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【書籍化】王宮の至宝と人質な私  作者: 岡達 英茉
第4章 彼等の言い分
37/72

4ー8

ドーンにあるショアフィールド家の屋敷は、王都の屋敷とは異なり、控え目な大きさの屋敷であった。白亜の直線的な外壁を持つ、三階建ての屋敷は海の直ぐ側に位置し、屋敷の裏手から続く階段を下れば海に出れた。

普段はショアフィールド家の人間が居住していない為、屋敷内は調度品や家具と言ったものが必要最低限しかおかれていなく、昨今華美過ぎる生活空間に慣らされていた私は、質素な内装だ、というふてぶてしい第一印象を持ってしまった。壁さえ有れば彼方此方に絵が飾られていたり、絵が無くてもゴテゴテと装飾されたり目が疲れる模様の壁紙が貼られている天空宮や王都のショアフィールド邸と違い、内部の壁は感動的なまでに白かった。しかしながら、大きな窓からは青く広がる美しい海が見え、シンプルな内装は逆に景色の良さを引き立てていた。

焦げ茶色の木の床はやや年季が入っていたが、良く掃除が行き届いていた。歩くと少しギシギシと軋む音が、何やら不思議と心地良い。

侍女たちが荷解きを始めると、私も手伝おうとして、けれども疑問に思った。侍女たちは私の荷物もイライアスの荷物も両方とも、主寝室に運び込んでいた。一際広いその部屋に置かれた寝台は一台だけだ。まさかイライアスと二人でこの部屋を使うのだろうか。屋敷内を彷徨いて他の部屋を覗いてみると、明らかに使用を意図しておらず、掃除がされていない部屋も多かった。使用人用の寝室は準備が出来ていたが、私たちの為に用意された寝室は一つだけの様だった。

これはマズい。

私とイライアスは夫婦だが結婚していない。いや違う、結婚しているが夫婦ではない。

イライアスは屋敷に到着して早々、こちらを日頃住み込みで管理している夫妻と話し込み始めていた。居間の席につき、少し小太りの夫妻は帳簿の様な物を前に説明をしたり、屋敷内を身振り手振りで指しては近況と、財政状況を説明していた。

潮風で外壁が傷み、修繕をしなければならない。

近くで盗み聞きしていると、夫妻が最も強調したいのはその点と見受けられた。


イライアスとの話が終わると、夫妻は丁寧に私に自己紹介をしてくれてから、居間を出て行った。すかさずイライアスに駆け寄る。


「イライアスさん、大変です。私たちが同じ寝室を使うと思われています。」

「夫婦ですからね。それはそうでしょう。この屋敷はあまり部屋数が無いので。嫌ですか?」


えっ!?

嫌かどうか………?そういう問題じゃないのだ。私は単なる同居人なのであって、寝室を共にすれば流石に色んな過ちが起こり………得ないだろうか。それともイライアスにとってみれば、私などデカイ置物くらいにしか見えていないのだろうか。例え触れる程の距離に私が薄い寝間着姿で横たわっていようと、彼を抑え難い性衝動か何かに駆らせて何かしようなどと思わせる魅惑は私には無いのだろうか。

そうですか。左様でございますか。王宮の至宝様に対して、却って恥ずかしい問題提起をしてしまった気さえしてくる。

私は咳払いをした。


「そもそも部屋数があまり無いというイライアスさんの認識におおいに誤りがあります。ヨーデル村にこの屋敷があったら、城と呼ばれてもおかしくありません。」

「勿論侍女に言って別の寝室を今から急遽用意させる事も可能ですよ。貴方が私と別々の部屋になっても困らないなら。」


なぜ別々の寝室になると私が困るのだ。逆のはずじゃないか。首を傾げながら私は答えた。


「その様にお願いします。」


イライアスが軽く頷きながら行ってしまったあとで、考えた。もしやこんな事を頼んだら、何が何でも部屋を別にしたがっている、新婚なのに倦怠期の夫婦だとでもここの管理人や侍女たちに思われるのだろうか。さしずめイライアスは、私が寂しい新妻だと後ろ指さされる事態を心配してくれているのだろう。

それは今に始まった事ではないし。





私はイライアスとジルの三人で、歩いて屋敷の周囲を散策した。

芝の間を縫う砂利道を進むと、屋敷からそう離れていないところに赤い屋根の牛舎があった。その前に並ぶ白い木の柵をヒラリと乗り越えると、イライアスは牛舎の方に進んでいった。私もジルの手を借りて柵を乗り越え、彼について行った。

牛の糞の臭いが漂う牛舎の中に入ると、男性が牛の身体をブラシの様な物ですいていた。彼はイライアスが声を掛けると、目を丸くして振り返った。つなぎを着たその中年の髭面の男性は直ぐに笑顔になった。


「イライアス様!お久しぶりです。ーーーそちらにいらっしゃるのはまさか本当に奥様ですか!?」

「セーラです。よろしくお願いします。」

「私の妻が、ドーンの牛の乳を味わいたくて堪らないらしくてね。」

「おお!いま絞りますんで、お待ちください。余所の牛乳などもう飲めなくなりますよ?」


男性は手を拭くと牛の横にしゃがみ込み、銀色の小さなバケツ型の器にリズミカルに乳を絞り始めた。コップ一杯分ほどを手際良く絞ると、彼はバケツを私に差し出した。

まさかバケツごと手渡されるとは思わなかった。だが、彼は私が自慢の搾りたて牛乳を味わうのを、今か今かと目を輝かせて待っていた。ここで躊躇しては女がすたる。仕方なくバケツを傾けてそのまま慎重に飲んでみた。

その牛乳は私がいつも飲んでいる物よりもとろみがあり、濃く感じた。イライアスが説明していた塩味は全くわからなかったが、鼻を通る風味まで普段口にする牛乳とは違った。


「美味しいです。クリームみたいに濃いですね。」

「そうでございましょう?イライアス様はお小さい時、牛の足元に屈んではお口を開けてその中に絞ろうとなさっていましたよ。危なっかしくて、なんどお止めしたか……。」


男性は嬉しそうに教えてくれた。その昔のイライアスの話が意外で、本人に話の真偽を確かめようと見上げると、イライアスは照れ臭そうに目を逸らした。


「子どもの頃の話ですよ。」


それはそうだろう。

今もやっていたら、全力で他人のフリをしたい。






屋敷の裏手には大きなバルコニーがついていて、そこから出ている階段を下りると、海だった。真夏ならば何度も泳ぎに来れるだろう。屋敷の人たちはその小さな砂浜にテーブルと椅子を出してくれて、焼きたてのお菓子を並べてくれた。侍女がバスケットからポットを出すと、カップにお茶を注ぐ。

海を見ながらいただくお茶は、最高に美味しかった。

屋敷の人たちは私とイライアスに気を使ってくれたのか、準備がととのうと屋敷に戻り、私たちを二人きりにした。

私はクッキーをつまみながら、ぼんやりと波間を眺めていた。海を見ると思考が止まり、時間を忘れてしまいそうになるから不思議だ。寄せては返す波の音はなぜこんなに人を落ち着かせてくれるのだろう。


「気持ちが良いでしょう?」

「はい。最高ですね。」


私とイライアスはたまに目を合わせてはお互いに柔らかな笑顔を見せ合った。

私たちは暫しそんな穏やかな時間を過ごした。

ふいにイライアスの手が、机の上の私の手に重ねられた。どうしよう、何のつもりだろうと思っているとその手は直ぐに離され、彼は立ち上がった。


「少し泳いできます。」


泳ぐ?

半袖では肌寒いようなその季節に?

目が点になる私を余所に、イライアスはさっさとシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になった。その露わになった素肌を見て、思わず息を飲んだ。予想以上に逞しく、なんて綺麗なんだ!こりゃ見応えがある、と両手で盛大な拍手をしたくなるくらいだ。しかし見惚れそうになったのは一瞬だった。イライアスの上半身は傷だらけだったのだ。

騎士として、剣を振るう中でついた傷だろう。

とりわけ胸から脇腹にかけて、非常に目立つ大きな縫合のあとがあり、痛々しかった。相当な怪我だったに違いない。それこそ、生死をさまよう様な。

そう想像すると、ある事が思い当たった。まさかその傷は、ディディエ前宮廷騎士団長を討った時の戦いで出来たものだろうか?

イライアスは私のもの言いたげな視線に気付き、腹に渡るその傷に触れた。


「五年前に負ったものです。当時は、死にかけました。」


そう言うなり、下衣はベルトだけを外すと海に向けて速歩で進み始めた。彼はあっという間に波打ち際から先へ進み、やがて海に浮かぶ頭だけしか見えなくなってしまった。

寒くないのだろうか。見ているこちらは見ているだけで寒くなってくる。両手を交互に力強くかいて、沖の方まで行くとそこから浜辺に並行に泳ぎ出す。

暫く半ば呆れてその泳ぐ姿を眺めていたが、やがて飽きて私は再びテーブルの上のお菓子を口に運び始めた。とても美味しい。こんなに上手に私もいつか焼いてみたいものだ………。料理は不得意ではないが、菓子作りは苦手だった。一番最近焼いたクッキーはなぜか石の様に硬く、異常にツヤがあり、驚異的に味が無かった。そんな事を考えながら視線を海に戻すと、イライアスが見当たらなかった。

おかしい。

見落としただけだろう。水面は日の光で乱反射しているから………。

目を凝らして気を取り直して海をつぶさに見るが、さっきまで見えていたイライアスの金色の頭が、どこにもない。クッキーを放り出して波打ち際まで走る。

心配のあまり胸が早鐘を打ち始めてしまう中、必死に波間を見渡すが、やはりいない。

嘘、まさか………溺れた?!

私はどうしようかとたたらを踏んだ。屋敷は階段を登ってすぐだ。人を呼んで来るべきだろうか。いや、そんな悠長な事はしていられない……!

いまだイライアスの姿がない事を確認してから、私は靴を脱いで思い切って海の中に入って行った。

水は身を切る様に冷たい。何だってこんなに冷たい海をあの男は泳いだりしたのか!まるで拷問だ。余程皮膚が分厚いのか。

冷た過ぎて膝から上はとても水に浸かる事が出来ない。


「イライアスさん!」


名前を呼びかけるが、当然返事はない。どうしたら良い。イライアスは沈んでしまったのだろうか?水面を眺めていても知りようがない。海中に顔を突っ込んで中を覗くべきだろうか?

イライアスの名を叫びながら、水面に視線を泳がせて横に走った。ドレスの裾が海水を吸い、足元にまとわりつき、私は転んでしまった。両手をついて腰まで海に浸かってしまい、縮み上がる思いで立ち上がる。

すると少し先の水面がゆらりと膨らみ持ち上がったかと思うと、金色の物体が浮き上がった。直ぐにそれはイライアスの頭だと認識が出来、次の瞬間には彼は胸から上を水面からだして立っていた。彼は顔から垂れる水滴を払いのけながら、私を驚いた様子で見ていた。

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