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【書籍化】王宮の至宝と人質な私  作者: 岡達 英茉
第4章 彼等の言い分
34/72

4ー5

貴族というのは実は凄まじい体力の持ち主らしい。

私は農民の方が頑丈に出来ていると長年偏見を抱いていたが、その認識を訂正する時期が来た様だ。

夜も深くなり、得意では無い社交の場の他愛ないお喋りと愛想笑いとダンスに疲れた私は、大広間の隅に置かれた革張りのソファに座り込むともう立てなくなった。このままソファと一体化しても悔いは無い。

靴を脱いで、足首をクルクルと回す。少しずつ人は減ってはいるものの、大広間の中はいまだ賑やかだ。

王女はダンスに参加していた。もうすぐ曲が終わるだろう。そしたら立って、また王女のそばにいないといけない。ああ、疲れる。この夜会とやらは、いつ終わるのだろうか。スケジュールは存在しないのか。


「疲れただろう。もう帰らないか?」


ぼんやりとしていると耳元で低い声がして、驚いた。キースがソファの隣の床に膝を付いて私を見上げていた。今まで全然見かけなかったが、どこにいたのだろう。魅力的な申し出だが、主であるメリディアン王女がまだ居るのに、先に帰るわけにはいかない、そう言おうとして絶句した。

キースの顔色がすこぶる悪かったのだ。


「キースさん、大丈夫ですか?顔色が青白い通り越してドス黒いですよ。」

「それ、割と失礼だぞ。………悪いが俺が帰りたいんだ。」


まだ佳境にある夜会で、王女を放り出して帰るのは憚られる。だが、キースの顔色は私が今まで見た中で一番酷く悪かった。元々地黒なので分かりにくいが、妙に青ざめているのだ。このまま昏倒してもおかしくは無いほど、血の気が無い。


「体調が悪いんですか?分かりました。王女様に一言言ってきます。」


ちょうどダンスが終わったらしい。

紫色の唇に、目だけはギラギラしているどこか異様な補佐官を放置できない。先に帰す事も考えたが、そうしたらイライアスに後でお小言を言われる予感がする。私はメリディアン王女に先に帰宅する無礼を詫びに行った。


キースは馬車の中で、眉根を寄せてひたすら目を落として考え事でもしているみたいだった。いつも以上に重苦しい雰囲気を醸し出している。たいてい彼は私といる時、暗かったが、あれ以上が存在するとは思わなかった。底なし沼みたいな男だ。

私は思い切って聞いてみた。


「体調がどこかお悪いんですか?」

「そうじゃない。」

「何だかとてもお辛そうですよ。」

「………放っておいてくれ。」


切り捨てる様な物言いに、ムッとした。心配して話しているのに、そんな態度をとらなくても良いではないか。気を使って早く帰ってあげたのに。私の親切はこれっぽっちも伝わっていないらしい。

キースは背中から流すマントの一部を右手に巻きつけていた。


「そのマントはどうしたんですか。」


キースは不機嫌そうに瞳を曇らせた。眉間に更なるシワを寄せ、長く息を吐いた。


「何も、聞かないでくれ。」

「まさか右手に怪我でも?」


キースの瞼がゆっくりと持ち上がり、私を捉えた。かと思うとその焦点は直ぐにぼやけて、揺らいだ。彼は目を一度閉じると再び緩慢に開いた。


「………田舎貴族は田舎に引っ込んでりゃ良かったんだ。久々の大規模な夜会だからって、張り切って王都に出られた日にはこちらが困る。」

「そ、それ私の事ですか!?」


なんて失礼なんだ!もう堪忍袋の緒が…。


「ああ?違う。あんたの話じゃない。………良いか?今から言う事は馬車を降りたら忘れてくれ。俺の父の話だ。俺の父は子爵でね。狭い世界で生きる田舎貴族だったんだが……。」

「もしやキースさんのお父さんが今日の夜会に?」

「最後まで聞いてくれ。……父じゃない。父とは俺が十代の頃に勘当されてから会っていない。その父の古い友人が今夜の夜会に来ていたんだ。」


どこか上の空でそう言うキースは、難しい顔をして口元を抑えた。その拍子にややずれたマントの隙間から、袖口が見えた。そこに何やら染みがある。彼は私の視線に気付くと、サッとそれを隠した。

赤黒いその染みに私は首を傾げた。


「キースさん、やっぱり怪我を?袖口に血みたいなのが……。」

「俺の血じゃない。」


それは良かった。……いや、良くない。それじゃ、誰の血を袖につけているのだ。

どこか人目につかない所で殴り合いでもしたんだろうか。いや、殴るだけであんな血は付かないだろう。

私は意を決して両手を伸ばし、彼が再び巻き付け直そうとしているマントの端を掴み、引き剥がした。


「やめろっ!」

「き、キースさん、それどうしたんですか……!!」


露わになったキースの右袖には、ベッタリと大量の血がついていた。殴り合いなんてレベルじゃない。これは殺し合いレベルである。


「心配するな。物とりの犯行に見せかけてきた。貧民街においてきたから、身元なんて割れやしない。」


私は叫び出しそうな自分の口を必死に抑えた。

嘘、嘘に決まっている。この補佐官は何を言っているのだろう。


「………これでおしまいだ。」


キースは掠れた声て吐き捨てた。


「おしまい………?」

「イライアス様にご迷惑はかけられない。俺は補佐官を辞職する。」


私たちは暗い車内で暫し物言わず見つめ合った。キースの目つきの悪いギラつく眼光が、まるで闇に浮いているように見える。

私の心臓が痛いほど動いて血流を押し上げ、興奮の余り頭がクラクラとしてきた。


「あの、話が全然見えないんですけど。順をおって説明してください。」

「夜会で久しぶりに会った父の友人を、殺してしまった。遺体はさっき捨てて来た。厄介な事にイライアス様を巻き込まない様に、俺は姿を消すよ。」

「ど、えっ、……。」


突然の展開に混乱の余り、言葉にならない。

一生懸命整理をする。いや、並べられた事実は簡潔なのだが、認め難いし理解し難いのだ。


「お父さんの友達を殺したって、何ですかそれ。意味が分かりません。」

「邪魔だったから、消した。それだけだ。そうするしかなかったんだ。親の知り合いはある意味親より厄介だ。あんたには分からんだろう。分からなくて、良い。だがもうイライアス様にお仕えする資格が無い。とにかく、これをイライアス様に渡してくれ。」


キースは胸ポケットを探ると中から何やら封筒を取り出し、私に突き出した。

辞職願い、と書かれている。


「毎日持ち歩いていたんだ。早晩こうするつもりだった。あんたが来てから、使う日が近いだろうとは思っていたよ。」


私は首をブンブンと横に振った。とんでもない事が起きている。私の誘拐犯で保護者で夫な泣く子も黙る天下の宮廷騎士団長の、口と性格は悪いが王立補佐官養成所を首席で卒業した部下が、ばったり出くわしたらしき己の父の友人を意味不明な理由から殺して、それを遺棄してきたらしい。

ここに人殺しがいます!!

馬車を今すぐ飛び出して誰彼構わず知らせて走り回りたい心境に駆られる。


「心配するな。俺は必ず、あんたを守りに帰ってくる。」

「いえ、結構です。」

「帰ってくるから、待ってろ。今見聞きした事は忘れてくれ。あんたは俺と帰宅しただけだ。良いな?」

「む、無理…」

「今日見た事は忘れてくれ。」


こんな犯罪に巻き込まれて、忘れられるほど私の感性は雑じゃない。私は純朴な人間なのであって、正直者だし嘘は下手だ。

私は震える手に握らされた手紙を、顔をしかめて見た。こんなものをイライアスに渡したら、色々問いただされるのは必至だ。盛大に目を泳がせて、裏返った声で「私は何も知りません。辞職願いって何でしょね?」と答えるのが関の山だ。怪し過ぎる。子どもの使いじゃあるまいし、黙って辞職願いを受け取る奴はいないだろう。


「色々、無理があります。」

「やるんだ。嘘をつけ。そうだな、イライアス様にはお話しても良い。でも他の人間は絶対にだめだ。イライアス様という盾を失えば困るのはあんただぞ。」


イライアスがいなくなったらーーー私は王宮に移されるんだろうか。最悪の場合、じきに王都から出る王国軍に同行して、前線まで連れていかれて、ガルシア王国軍の目の前に鎖に繋がれて担ぎ出されるのかもしれない。

まだそれは私には起こり得ない、可能性の低い未来に思えた。でも、ガルシア王国軍相手にイリリアの国境警備隊が苦戦するなど、誰が予想しただろう。

薄ら寒い思案にくれる私に、キースが低い、淡々とした声で畳み掛けた。


「本当の人質がどんなものか知りたいか?どれほど虐げられても助けの手が届く事はない。一切の理不尽も不条理も身一つで耐えるんだ。いつか抜け出せると信じて。」


キースがゆらりと腰を浮かせ、次の瞬間には、私の首筋に硬く冷たい剣先が当てられていた。


「キース、さん…」


なぜ、こんな事を。

剣を抜く仕草を一切認識出来なかった。

馬車の座席に張り付いたみたいに、身体が動かない。きっと冗談だ、キースはふざけているだけだーーーそう思いたかったが、首を僅かに動かすと、冷たい剣はピッタリと私の動きに合わせてついて来た。キースの暗い目は怖いくらい冷たく鋭利だったが、その奥に、激情を感じた。


「何の真似ですか。け、剣をおろして…」

「あんた危機感が足りない。これは今そこにある危機だ。分かってくれ。分かるか?」


私はこくこくと頷いた。

頷く他ない。

………それに分かっている。私だって状況は認識できているんだ。けれど、毎日そんな事を考えていたら、身が持たないじゃないか。全ての人間が現状を打開する力と能力を備えているわけじゃない。私は今を生きるのに手一杯なのだ。別に能天気に王都での日々を過ごしていたわけじゃない。

私だって自宅に帰りたい。父と家族を引き裂いた罪は償いようがない。あの日アルの手を引いて、家族の馬車まで連れてきたのは、私なのだ。この事実は変わる事がない。これでも、自分の運命を受け止めているつもりなのだ。


「案ずるな。多分イライアス様は俺の事を深く追及したりしないだろう。あの方は馬鹿じゃない。自分に火の粉が及びそうだと分かればあっさり俺を捨て置くだろう。」


馬車が静かに止まった。

視線を動かすと、ショアフィールド家の玄関とその横に灯りが見えた。屋敷に着いたのだ。

キースは剣先を私の喉元から鎖骨に、鎖骨から腹部へとゆっくりと滑らせた。そのまま私の横腹に剣を動かすと、馬車の扉に向けて軽く私を剣で押した。


「降りてくれ。振り返らず、屋敷に入って。」





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