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【書籍化】王宮の至宝と人質な私  作者: 岡達 英茉
第4章 彼等の言い分
30/72

4ー1

ここ最近の王女のブームは「質実剛健」らしかった。

飾り気ないドレスに、ヒールの低い靴。ただ簡単にまとめただけの髪の毛。

感化されやすい年頃の彼女は、私が農園の倉庫に閉じ込められてから、なぜか質素な暮らしに歪んだ憧憬を抱くようになったらしい。もしかしてダリアとマーヤが農作業をした事に、影響を受けたのかもしれない。とんだ飛び火である。ある朝突然、「わたくし、こんなに無駄に装飾的な衣服を着たくないの。」と侍女が準備したドレスに文句をつけ始めたのだ。

当然私たちは当初、いつもの彼女の突飛な発想をやめさせようと、説得を試みた。だが頑固な王女は瞬きの激しいグラバー夫人の泣き落としや脅迫といった不断の努力に屈服することなく、その「流行」を押し通した。

王女いわく、浮かれた格好をするのは王族として相応しくないらしい。それに度々攻めてくるガルシア相手に国境で奮闘する警備隊に顔向けができない、とも言っていた。だが残念ながら彼女が王宮内でその流行の火付け役となる事は出来なかった。

質素に目覚めたのはメリディアン王女だけだった。お陰で彼女は他の王女たちから更におかしな目で見られたし、主より豪華な服を着てはいけないと気を使った私たちはその巻き添えをくった。メリディアン王女は新しいドレスを作ってもらう事を固辞していたが、浮いたその分の服飾費は恐らく他の王女たちの為に回されただけなのではないかと思われた。


イリリアでは既に王国軍の招集がかけられており、主力部隊となる兵士たちは王都に集められ、複数の訓練所にわかれて訓練を積んでいた。東部地域で集められた一部の兵士たちは既に国境警備隊に混ざって動員され、国境でガルシア王国軍に応戦していた。善戦している、ガルシア王国軍を追い払うのは時間の問題だ、などと噂されていたが、なかなか終結の話は伝わって来なかった。それどころか王宮で見る宮廷騎士団の人数が急に増え、王宮内が緊張感に包まれる様になっていった。イライアスが仕事帰りに疲れた顔を見せる日も多くなった。

事態は良く無い方向へ進んでいるのではないか。

私はひたひたとそんな予感に襲われていた。

やがてメリディアン王女の仕事の中に、王都内にある王国軍の訓練所への訪問が頻繁に含まれるようになり、私はいつに無いガルシア王国との衝突が現実に起きているのだと更に日増しに実感するようになった。


「刺繍は良いわね。わたくし、戦いに行く兵士たち皆に手巾を縫ってあげたいわ。」

「ご立派な心がけです。だから先日からずっと刺繍をされているのですね。ですが、今はダンスの授業の時間なんですよ。」


ダンスの師を放置し、ソファに座り込んで刺繍を縫い続ける王女に私は苦言を呈した。彼女は手巾に青い花の模様を縫い込んでいた。それこそ、何枚も。

一度聞いてみたところ、「勇敢」、「勝利」が花言葉の花なのだという。あまりに長い花の名前だったので、聞いた二秒後にはもうその名を忘れていた。


「王女様。もうすぐ大きな夜会が開かれるのですよ。その為の授業なのですから…」

「ダンスはわたくしの信条に反するの。」

「何が信条ですか。まさか夜会をサボるおつもりではないでしょうね。」


イリスがふいに不機嫌そうな表情をあらわにした。

もし王国軍が王都から出陣したら華やかな催しは当分出来なくなる。その為に今度の夜会は王宮で開催される大層規模の大きなものになる筈で、国中から貴族たちが集まる事になっていた。


「十年に一度の大規模な夜会ですよ。国威発揚ともなる大事な場を欠席するなど、許されませんよ。」


イリスが厳しい声音で言うと王女は、何よー、とむくれた。


「セーラが教えて貰いなさいよ。ダンスが苦手だと前に言っていたじゃない。わたくしは得意なの。セーラこそ必要だわ、」


私はそれを無視するつもりだったが、所在無さげに部屋の隅に立っていた中年のダンスの師は、その提案に飛び付いた。彼は颯爽と私の前に立ち、仕方なく私は両手を取られてステップの指導を受ける羽目になった。

元来運動能力が低い私にとって、人の動きを真似するというのはとても難しいのだ。

私は何回教わっても動きが覚えられず、何度も師の足を蹴ったり踏みつけたりした。


「ほほほほ!セ、セーラ………!!あなたそれ本気でやっているの?苦手なんていう表現ではお釣りがくるわよ!」


笑いで苦しそうな王女の声に振り返ると、王女はお腹を抱えて私のダンスを笑っていた。いつの間にか手の中の裁縫道具は放り出されている。私のダンスは余程彼女の笑いを誘ったらしい。


「違うわよ!こうよ、こう。逆なの。いつもそこで間違えているのよ。」


私の下手さに居ても立ってもいられなかったのか、王女はイリスの手を取り彼女を相手役に、見本を披露してくれ始めた。

ダンスをする気になってくれたのはありがたいが、同じ見本を何人が見せてくれても、分からないものはわからなかった。同じ様に動いているつもりなのに、何故か途中から足の置き場が間違っているのだ。


「夜会までになんとかしないと、ダンスに誘われたら困るわよ。」






王女の刺繍は馬車での移動の最中も続けられた。彼女は既に百枚近い枚数を縫い上げていた。彼女の様子を見ているうちに、本当に兵士たちにあげるつもりなのだろうか、と私とイリスは心配になってきた。

ある日私とイリスが王女にその事を尋ねると、王女は大きく頷いた。


「今度行く訓練所の兵士たちに持って行ってあげるのよ。国境警備隊の防衛が崩れそうになれば、彼等と合流するのですって。」


サラリと王女から言われたその一言に私は背筋がゾッとした。フィリップ王子から私が聞いた話を、王女まで知る様になっている。王都にいるイリリア王国軍とガルシア王国軍が衝突する。それは国境警備隊や地方の兵士たちの衝突とは重みが違った。


「王女様。おそれながら手巾の数は足りるのでしょうか。」


どう考えても百枚程度では足りない。


「分からないわ。全員には配れないかもしれないわね。……ねえ、それならお前たちも手伝いなさい。」


私とイリスはホラきた!とばかりに目を合わせた。その視線に気付いた王女は気分を害したのか、唇を尖らせた。


「だって。セーラが前に言っていたじゃない。父親に手巾をあげたら泣くほど喜ばれたって。」


………そうだった。

縫った手巾を父さんに渡しに行ったら、父さんは目に涙を溜めて笑いながら受け取ってくれた。

でもその時に、他の侍女に見つかるとマズイからもう来るな、と言われてしまったのだ。王女はその話を覚えていたらしい。


「ホルガー男爵が今度また王都にいらした時は、わたくしにも教えて。是非会わせなさい。」

「王女様。手巾を一部の者たちにしか渡せないと、却って兵士たちの士気を落としませんか……?」


私は慌てて話題を逸らした。


「あら。そうかしら、そういうもの?分からないわ。次に行く訓練所には何人兵士たちがいるのかしら。………でもこれってとても良い考えだと思わない?」


心掛けは立派だと思う。

戦争なんて何処吹く風、と茶会や演劇鑑賞に興じる他の王女たちよりは、格段に。メリディアン王女は変わり者だと専ら噂されていたが、正妃のただ一人の王女としての立場上、彼女は私からみれば他の王女たちより余程仕事をしていると言えた。茶会や鑑賞も仕事のうちだという王族の理屈を除けば。

彼女の侍女をし始めて一月近くが経ち、私はメリディアン王女が我儘だけれど可愛い、と思える様になっていた。もしかして妹がいれば、こんな感じなのだろうか。王女様を妹と例えるのは失礼だけれど。

出来れば王女の努力は無駄にしたくない。私は時計を一瞥した。


「分かりました。ちょっと仕事を抜けても良いでしょうか?馬車で訓練所に行ってきて、人数を聞いてきます。」


イライアスはかなり過保護な男だった。

最近は騎士団の仕事が忙しくなり、イライアスは私と一緒に帰れなくなっていた。

だが帰りに彼に黙って寄り道をしたりすると、後で夕食のデザートの時にお小言を言われるものだった。それもねちっこく。何故和かに談笑しながら食事をし、デザートまでお小言を引き延ばすのか理解しかねた。しかも彼は着替える間私に食事を待たせると悪いとでも考えているのか、帰宅後宮廷騎士団の軍服のまま食卓に向かうので、余計威圧感があった。

もしかすると、イライアスは私が逃げ出したりする事を恐れているのかも知れない。私がいなくなったらフィリップ王子から糾弾されるのは彼だろうから。

今日はデザートを美味しくいただきたい。

私は手近にいた宮廷騎士の一人に声を掛け、メリディアン王女の用事で出掛ける旨を伝えてから馬車に向かった。すると案の定、馬車が出発する頃にはキースが飛んで来た。


「同行する。」


簡潔に宣言しながらサッサと馬車に乗り込むキースは走って来たのか汗だくだった。


訓練所に着くと、突然現れた宮廷騎士とメリディアン王女の侍女である私に、対応してくれた訓練所の責任者は動揺した様子だった。私は挨拶もそこそこに、王女が訪問の為の前情報として、兵士たちの人数を知りたがっている、と適当な理由を付けて名簿を見せて貰うのに成功した。手巾の話を下手に出して、彼らを糠喜びさせたくなかった。

名簿をざっと見ただけで、手巾を全員に行き渡らせるのは無理だと分かった。そこで私は独身兵士の人数を数えてみた。既婚ならば配偶者から手巾を貰えるだろうから。几帳面な細かい字で埋められた名簿の「未婚」の字に丸が付けられた箇所に指を滑らせながら、その数を数える。

………それでも、相当な人数がいた。

私とイリスが手伝ってもこれでは達成出来ないだろう。

溜め息をつきながら事務室を出ると、外では砂埃を巻き上げて兵士たちが訓練をしていた。広い野外に木の板で作られた障害物があり、そこを大勢が乗り越えたり潜ったりしている。その片隅で、キースが数人の兵士たちと剣を交わしていた。彼は私が見ている事に気が付くと罰が悪そうに剣をおさめた。


「終わったのか。戻ろう。」


王女の手伝いで手巾に刺繍をする私の手元を見ながら、馬車の中でキースはぼやいた。


「どんな訓練を積んでいるんだ?てんで相手にならなかったぞ。平和ボケしているんじゃないか?」


さっきの兵たちの話だと直ぐに分かった。


「キースさんの腕が良過ぎるのかもしれないです。」

「お世辞が上手くなったな。たまたま俺が弱い連中を捕まえただけならいいが。」

「ガルシア王国の兵たちは強いのでしょうか。」


キースは少しの間考え込んでから口を開いた。


「現王は軍隊の訓練の仕組みづくりに力を注いだんだ。今までのガルシアとは違う。身分の尊卑に囚われずに人材の登用を行う珍しい王なんだそうだ。」

「………それでは軍事力に自信があるんでしょうね。どうして歴代のガルシア王はイリリアに攻めて来るんだと思いますか?」

「イリリアがガルシアの領土を奪うからだろう。」


キースはバッサリと言い捨てた。

こんな言い方をする人は今まで私の周りにはいなかったので面くらった。教師として、私たちは常に西進しようとするガルシア王国が悪いのだと子どもたちに説明をしてきたからだ。

ガルシア王国とイリリア王国は何百年も前から、領土争いを繰り広げてきた。取っては取られの関係がずっと続いているのだ。百年ほど前までガルシアはもっと大きな国だった。だがある時ガルシア国王が幼い男児を残して他界すると、ガルシア国内で後継者を巡り内乱が起きたのだ。やがてガルシア王国の一元支配は地方まで行き渡らなくなり、領地を持つ貴族たちはこぞって私腹を肥やし始めたらしい。住民たちに対する理不尽な重税と労働という搾取を見かねたイリリアは、無法地帯と化した国境沿いのデメル地方に軍事介入し、その地をイリリアに統合したのだった。それが契機となってガルシア王国は今日、東の小国と呼ばれている。

この出来事はイリリアから見れば、地域の安定と平和への貢献という大義名分のもとに行われたのだ。………でも。ガルシア王国の人々は本当はどう感じただろう?ガルシア王国側からすれば、国家としての面子をいたく損なわれたに違いない。

更に私が幼い頃、ガルシア王国はイリリアの領土に唐突に押し入り、逆に押し返されてあっさりと負け、ガルシアは再び領土を奪われた。それが現在の国境線である。イリリアはその土地への積極的な入植計画を実施し、今やその地は殆どイリリア人で構成されていた。

アルはそこを奪還しようとしているのだろうか……。


「ところで聞いても良いか?その刺繍、それはもしや花か?」

「聞く必要がありますか?どう見ても花でしょ。」

「俺の想像力も馬鹿にならないな……。」


ムッとした私が顔を上げるとキースは慌てて目を逸らし、急に窓の景色を堪能し始めた。

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