3ー8
馬車が屋敷に着き、キースがさっさと屋敷の奥の方に消えると、私はイライアスと廊下を歩き始めた。
「私は今日は先に入浴をしますので、貴方もそうしませんか?」
てっきり先に入浴をするからお前は夕食を一人で食べていろ、と言われるのかと思った。どうして私まで先に入浴を……。
「ええと、つまり……。」
「可能な限り食事は必ず一緒に取りましょう。申し訳ありませんが今日は炎天下で剣の訓練がありましたので、汗を洗い流したいのです。………それとも空腹で我慢ができそうにありませんか?」
どんな訓練をしているのだろう。私は汗と土埃にまみれた宮廷騎士たちが剣を握る姿を想像した。
それにしても、この宮廷騎士団長は、夫婦は食卓を必ず共に囲むべきだ、という曲げたくない主義をお持ちらしい。特段それに反抗する意義も見出せなかったので、私は頷いた。
「では私も先にお風呂に入りますね。」
この屋敷には風呂が複数存在するので、こういう時に便利だ。
食堂が複数存在するのも、こんな時に便利なのかもしれない。どうしても孤食をしたい時、とか。
最早便利と言うべきなのか定かではないが。
服を脱ぎ、温かい湯を浴び始めると、王宮でレイモンド王子から聞かされた話がどうしても気になった。ーーーやはり本人に聞くべきだろうか。
王宮の人間は信用出来ないので、誰にも聞けない。というか、どう聞けば良いのかも悩ましいところだ。
「ちょっと小耳に挟んだんだけど、私の夫が前の宮廷騎士団長を殺したって話、知ってる?」
とか………?
ーーーそんな場面も自分も想像が出来ない。やはりこうなったら、イライアス本人に聞いてみるしか無い。レイモンド殿下の方から話しかけて来てしまった以上、今後私が注意する為にも事情を少しくらい知っておかなければ。そもそも私からすれば、唯一王都で頼れる筈の存在であるイライアスの情報が、少な過ぎるのだ。多少は彼を信頼しなければ、この先やっていけない。
私はイライアスについてもっと知らなければならない。確認するしかないだろう。
入浴の間中、私はその事ばかり考えていた。
髪を乾かし、部屋着に着替えてサッパリして人心地つくと、かなり時間が経っていた。
時計を見てゾッとした。何故女性の入浴と身支度はこんなにも時間がかかるのだろう。自分の事ながら、毎度不思議だ。
これでは、イライアスを待たせてしまっているだろう。待たせてばかりだ。私は大慌てで、廊下を走った。
食堂に駆け付けると、案の定既にイライアスは席についていた。彼は私を見るや、一度目を見開き、その後どうしてなのか、どこか熱を帯びた眼差しでこちらを見つめて来た。
「おい、廊下を走るなよ。王宮でやったら白い目で見られるぞ。」
感じの悪い声の方向を見れば、食堂の隅にあるソファに座ったキースが、私に白い目を向けていた。彼はサイドテーブルに置かれた便箋の束を次々に開封しては目を通していた。
ムッとしながらも待たせた事を詫びながらイライアスの向かいに座ると、イライアスは口を開いた。
「駆けてくる貴方の姿に、出会った頃の貴方を思い出しました。」
彼はそれだけ言うと、侍女がついだ赤い酒を飲み始めた。
出会った頃の私ーーー私たちには、もう十年も前のたった一日の出来事だ。
食事を食べながら、私はジワジワと質問を開始した。
まずは昼に第一王女の誕生日会があった事を話し、メリディアンが蓑虫になっていた逸話で場を和ませた。いよいよ、外堀から埋めていく。
「昼食会にはたくさん王室の方々がいらしていたんですが、存じ上げない方ばかりでした。」
「そうでしょうね。国王陛下には王子王女が山ほどいらっしゃいますから。実は私も全員の名を覚えきれていません。ここだけの話ですが。」
「あのう、そこで何人かにお声を掛けて貰ったんです。……ええと、レイモンド王子とか。」
勇気を総動員して逆鱗王子の名を出してみたが、手応えは皆無だった。イライアスは平然と肉料理にナイフを刺し、適当な相槌を打っている。しかし視線を感じてキースの様子をうかがうと、彼は目を剥いて私を凝視していた。俺の忠告を何故いとも簡単に無視するんだーーーそう言いたいのだろう。
だが何もかもから目をつむるわけにはいかない。知るのは怖いが、知らないでいるのはそれ以上に恐ろしい。私たちは同じ家に住んでいるのだ。というより、夫婦なのだから。
いや、自分でも何を言っているのか良く分からなくなってるけど。
「ええと、レイモンド王子はとても感じが悪かったんです。」
「そうでしょうね。彼の後ろ盾だったジマーマン家を没落させたのは、宮廷騎士団による当時の騎士団長襲撃でしたから。」
私はスープに突っ込んでいたスプーンをビクリと止めた。話の核心に突然触れたからだ。乱れそうになる呼吸を整えながら続きを待つ。
「貴方も見た事はあるでしょう。ディディエ=ジマーマン宮廷騎士団長を。彼は、自家が推す第二王子レイモンド殿下の、ライバルだったフィリップ殿下の暗殺を企てた疑いで、宮廷騎士団に討たれたのです。」
暗殺を企てたーーー?!
だとすれば、イライアスたちがディディエを襲った正当な理由が一応存在した事になる。レイモンド王子が言った、自分の出世の為に上官を殺したという見解は逆恨みなのではないだろうか。
「レイモンド殿下は他に何と?」
「私が、………イライアスさんに騙されていると。私を愛してなんていない、とか………。」
後で思い直すと、分かり切った事ながら、胸の深い所にグッと鋭利な物を刺し込まれる感覚に似た痛みを覚える。そうだ、私は人質に使えるから王都に連れて来られただけなのだと、事情を知らない第三者からすら指摘された気がしたのだ。
「………失礼な事を仰る。レイモンド殿下は私に敵意しか抱いていらっしゃらない。メリディアン王女の侍女としても、あまり関わらない方が賢明です。」
スプーンを動かすと乳白色と琥珀色の二層からなるスープの色合いが乱れた。上の層は撹拌したじゃがいものスープだ。混濁していくその色を見ているうちに、気づきたくないけれど気づかされてしまった。
そうだ。
「父さんが軟禁状態にあるのも、私が今ここにいるのも、全部私が子どもの頃、アルを見つけたせいなんですね。」
「また突然何を。………自分を責めているのですか?貴方が拾わなければレスター王子は恐らく生き延びていませんでしたよ。そちらが良かったと?」
分かっている。
私はあの時人助けをしたつもりだった。けれど、我が家にとっては不幸だったのではないだろうか。アルがいた六年は貧乏だったがそれなりに楽しかった。我が家の輝いていた時代だ。でもその後の辛い年月の方が遥かに長かった。
「レスター王子にとって、ヨーデル村での日々は彼を支える糧になっている筈です。明日、彼が王宮で過ごした北棟に行きますか?」
アルが生活していた場所を、見られる!?
私は思ってもいなかったその話に飛びついた。アルが王都でどんな日々を送ったのか、少しでも垣間見る事ができるかもしれない。
興奮気味にイライアスを見つめると、彼は頷いた。
「では、フィリップ殿下に頼んで明日の夕方に貴方を案内して頂きましょう。」
「フィリップ殿下ですか……?」
何も殿下自らのお手を煩わせたく無い。おそれ多い。というかあの殿下ははっきり言って苦手だ。
「レスター王子の私物は厳重に管理されていますから。」
イライアスはそう言うとグラスの酒を飲み干した。そのままイライアスの視線がキースに投げられると、キースは直ぐ様起立し、何故か食堂を出て行った。
キースの姿を目で追った後、首を元に戻すとイライアスの緑の双眸が私に注がれていた。それはどこか感情を抑えたもので、人工物かと見まごう程に澄み切った色合いの美しいそれを正面から受けると、目を通り越して頭の中まで彼の視界が突き抜けてくる様な感覚さえ覚えた。
「レイモンド殿下は何か他に?」
言って良いのかどうかなど、迷う余地がなかった。そこには尋問をする事になれていると感じさせる、独特の強制力があり逃れる事が容易ではなかった。
「イライアスさんがその手でディディエさんを殺害した、と。」
まずい。空気が氷点下になったじゃないか。