3ー6
メリディアン王女は他の王室の面子とあまりうまくいっていないのだろう。
彼女はあまり身内とは言葉を交わさず、食事中は後ろにいる私やイリスに話しかけてきた。途中で新参者の私には良く分からない話を二人が始めたので、少し後ろに下がった。
途端に射る様な視線を感じ、隣を確認すると、シューリの友人その一と思しき侍女から、私は睨まれていた。私が軽く会釈をすると彼女は口を開いた。
「信じられないわ。イライアス様が結婚だなんて……。どんな手を使ったの。知っていて?シューリは塞ぎ込んでしまって、部屋から一歩も出てこないのよ?」
そう口火を切ると、彼女は少し甲高い小声で、私に嫌味をまくし立て始めた。やれ私と宮廷騎士団長は不釣り合いだとか、大事な友人であるシューリを傷つけたのは私だとか、休まる間なく私を非難した。口から次々と紡ぎ出される私への中傷のその速さたるや、目を見張るものがあり、余りの速度に耳がついて行かず、段々彼女に何を言われているのか分からなくなる程だった。高速開閉される彼女の口元にある種の感嘆を覚えながらも、私は考えた。
シューリもシューリじゃないか。特定の相手を作らないイライアスにそんなに本気になって、どうするのだ。それとも最後にイライアスがシューリを訪れた際に余程酷いフリ方をしたのだろうか。
そう言えばイライアスは以前女に殺されそうになったとか言ってたっけ………。
彼女はしまいに、ワザとらしい溜め息を吐いた。
「イライアス様はお前などのどこが良かったのかしら。」
良くこんな失礼な事を本人に面と向かって言えるものだ。私はとりあえず話をもう終わらせようと、適当に返事をした。
「そうですねえ。シューリさんは、イライアスさんのどこが良かったんでしょうね。私も教えて欲しいです。」
うまい事話を区切るのに成功した。彼女はそのつぶらな瞳を一瞬見開くと、黙ってしまった。
「ねえ、あの一瞬で押し黙った侍女たちを見た!?」
興奮冷めやらぬ様子で嬉しそうにメリディアン王女は目を輝かせた。私たちは明日の視察で王女が行う予定になっているスピーチの原稿を彼女に書かせていた。王女の手元に置かれた原稿用紙はまだほぼ白いままだ。
イリスが呆れた声で、ペンを動かすよう王女に注意をする。
「王女様。いつもながらに悪趣味ですよ。セーラ様のお気持ちを少しはご考慮下さい。」
「あらぁ、良いじゃないの〜。あの女たち、世の中全部自分たちのものだと思い上がっているんだから。人生はうまくいかないものだと、知る経験も必要よ。良い薬よ。」
「お身内をその様に非難すべきではありません。思った事を何でも口になさらないで下さい。」
ぷっと頬を膨らませると、王女は気を取り直したかの様にクルリと再び目を輝かせ、私に尋ねてきた。
「お兄様から聞いたわ。15歳の時からの大恋愛だったのでしょう?だからイライアスは誰にも夢中にならなかったのね!」
大恋愛!?
相思相愛からさらにハードルが上がってしまったようだ。
いつも冷静沈着なイリスですら、私を興味深そうに見て来るではないか。私はシドロモドロになった。
「ええと、私たちは………イライアスさんが昔領地を訪れた時に、偶然出会ったんです。」
「素敵!そこからどうやって愛を育んだの!?」
素敵!その質問!
と思わず叫びたくなる。
この年頃の女の子らしく、この手の話が好きで堪らない、と王女の顔に書いてある。興奮と期待に見開かれた澄んだ青い瞳は邪気無く私に向けられ、思いがけず私は滑らかに答えていた。
「一緒に乗馬したり、飲んだり、森で色んな事を語り合ったり……。あとは、落とし穴を埋めたり。湖に行ったりもしました。」
最後のは嘘だ。アンリ=グリーンと実行予定だった計画だ。
簡潔な回答にもかかわらず、王女は胸に手を当てて恍惚としていた。少ない情報から、勝手に妄想を膨らませているのだろう。この年頃の時は私もそうだったっけ………。十代とは得てして夢見がちだ。それはその世代特有の才能の一つであり、長い人生を切り開く為の起爆剤みたいなものだ。私は自分の十代の頃に思いを馳せた。だがしかし、流石の想像力をもってしても、この現在の境遇は考えもしなかった。
なかなかはかどらない原稿の起案作業に、時計に目を走らせてから私は溜め息を吐いた。
これでは間に合わないのではないか。そう危惧していたが、時間ギリギリまで作業を放棄していた王女は、突然ペンを握り直して怒濤の勢いで原稿を作り始めた。
殴り書きさながら完成したそれは、見てくれは悲惨だったが内容は完璧で、私はこの王女に対する認識を再度改めた。
メリディアン王女は自分の能力を良く把握した上で、最大限サボっているのだ。イリスと私が出来上がった原稿をチェックしている間、王女は靴を脱いで机の上に足を乗せ、うーん、と解放的な声を発しながら伸びをしていた。
自由過ぎる。
これでは確かにお高くとまっている他の王室の女性たちとは馬が合わないだろう。
二日目の仕事が終わると、私は馬車が待つ王宮の一階まで、長い階段を下った。
今日は忙しくて、父さんに会いにいけなかった。
ポケットに入れている手巾が、役目を果たせなかった。折角昨日頑張って作ったのに。
今から調理場に行ってみる事も考えたが、私の勤務終了に合わせてくれているイライアスをあまり待たせるのも怖い。私が遅れても早すぎても彼はひょっとしたら弓矢を構えるかもしれないからだ。
「ショアフィールド夫人。」
廊下の中ほどで、私の足がギクリと止まった。後ろから、聞き覚えの無い声をかけられたのだ。誰だろう。
さっと振り返ると、痩身の若い男性が私に向かってゆっくりと近づいて来た。茶色い柔らかそうな髪は肩先で揃えられ、同じ色の瞳は柔和な色と形をしている一方で、どこか荒んで見えた。夕暮れの廊下はさほど明るくなく、廊下に並ぶ四角い窓から射し込む茜色の光のせいか、その男性の顔色はやや悪かった。
あっ、と私は声を発しそうになった。
昼の食事会で、第一王女の側に座っていた男性ではないか。とすれば、王室の男性の一人ということになる。
「お帰りですか?」
「はい。メリディアン王女様は今夕食を召し上がっています。」
「………。」
私の勤務は王女の夕食が始まるまでだった。王女は夕食後は読書の時間になっていて、気の毒な事に読む本まで予め決められていた。
男性は何も言わず、ただ私を正面から見ていた。その表情からは、どんな感情も読み取れなかった。
フィリップ王子やメリディアン王女のどちらにも似ていない顔だ。何気なくそんな事を考えた。
「あの宮廷騎士団長が結婚するなんて驚いたよ。」
またその話題か!!
さっさとこの場を後にしようと私が口を開きかけると、男性が先に言った。
「あんな非道な男のどこに王宮の女性が惹かれるのか、私には分からない。」
咄嗟に言葉を失った。
まさかイライアスの方を悪く言われるとは思っていなかった。軽い驚きを覚えつつ、私は確認する様にオウム返しに言った。
「非道……。」
「そう思わないか?イライアスは自分の上官である前宮廷騎士団長を殺害して、今の地位を得たのだから。」
殺害して?!
初めて耳にしたそのあまりな内容に、自分の動悸が速くなっていくのが分かる。
「自分よりもずっと年上の尊敬すべき世話になった上官を、あの手で殺めたんだ。あの美しい顔に返り血を浴びながらね。」