3ー4
ショアフィールド邸の裁縫部屋は王宮のそれに劣らないくらい立派な部屋だった。屋敷の侍女に案内して貰うと、早速王宮で作った刺繍の手直しを開始した。
明日は時間があれば父さんを訪ねてみよう。それまでに花を咥える鳥の姿を幾分マシにしたかった。
隙間だらけの刺繍の修復作業に勤しんでいると、軽く扉がノックされ、あまり有難くない人物が現れた。相変わらず仏頂面のキースだ。
「こんにちは。」
「……イライアス様から、あんたについている様に頼まれて帰って来たんだ。言っとくが、補佐官は暇なわけじゃないからな。」
イライアスが帰宅したら話し合う必要がありそうだ。
彼は無言で裁縫部屋に入って来ると、私の近くにあった空いている椅子を戸口付近まで引き摺り、溜息をつきながら腰を下ろした。そのまま腕を組んで寄り掛かり、視線を下に投げていた。
私は暫くの間、キースが何か話しかけて来るのではないかと思って顔を上げていたが、彼は黙りこくったままなので、作業を続ける事にした。
なるべく彼の存在を気にせず手元に集中しようとしたが、大の男が置物よろしく余り広くない部屋にいるのだから、容易ではない。
なんだか刺繍すらどこをどう直せば良いのかも判然としなくなってきた。
私は糸の処理をしながらキースに話しかけた。
「キースさんはこの屋敷にお住まいなんですか?」
「勿論。補佐官は通常、上官と寝食を共にする。」
「えっ!?し、しんしょくを……?」
私が素っ頓狂な声をあげると、キースは不機嫌そうに表情を曇らせた。
「今、変な事考えただろう!?おかしな意味で言ったんじゃない。俺もイライアス様も、そっちの趣味は無いからな!」
赤面しながらやや声を荒げて説明するキースの様子がおかしくて、私は笑い出しそうになるのを堪えた。
補佐官は位の高い軍人だけに専属でつく決まりになっており、宮廷騎士団であれば団長でなくとも全員それぞれの補佐官を従えている。王立補佐官養成所で厳しい訓練を受け、時には死者すら出るという卒業試験を受けなければなれないという補佐官は、上官への絶対服従を叩き込まれている。尚且つ彼等は常に一心同体の如く共にいるので、彼等を主人公にした婦人向けの文学作品が少なからず世に出ており、人気を博していた。
それらの作品はたいてい、補佐官とその上官の禁断の恋物語を主題にしていた。私はその分野に興味は無かったが、その手の文学をこよなく愛するご婦人方は少なからずいた。一度姉のマーニーが大流行したその手の本を家で読んでいた事があった。私も読ませてもらったのだが、あの時は相当な衝撃を受けたっけ………。
キースの言動から私はどうしてもこういった小説の架空の物語を連想してしまった。いけないいけない。
恐らくキース自身もこの手の文学が有る事を知っているのだろう。
私は膨らんでしまいそうになる妄想に歯止めをかけながら言った。
「キースさんはいつからイライアスさんの補佐官に?」
私がイライアスと出会った頃、彼は既に補佐官だったのだろうか。
キースは抑揚のない声で答えた。
「俺は王立補佐官養成所を六年前に主席で卒業したんだ。」
はい?
聞き直した方が良いだろうか。聞き間違いだと断言したい報告を今受けた気がする。
「おい、なんだその胡散臭そうな反応は。俺が主席で悪いか。」
「………どんな卒業試験だったんですか。口の悪さを競ったんですか?」
「あんた、人の事言えないぞ………。本来補佐官から上官を選ぶ様な逆指名は出来ないんだが、主席だけは特別にそれが許されるんだ。……俺は本当は当時の騎士団長を狙っていたんだが、生憎ディディエ様の補佐官は空席じゃなくてね。同じ頃、性格の不一致から補佐官を解任していたのがイライアス様だった。次期団長と呼び声高かったからな。俺は迷わずイライアス様を逆指名した。それが六年前だ。」
性格の不一致って、それこそ関係の壊れた夫婦に使われる言い回しじゃないか。
私もイライアスとは現時点で性格の不一致を感じている。
私はふと疑問に思って尋ねた。
「キースさんって、おいくつなんですか?」
「29だ。」
「お、お若く見えますね。特に言動が……。」
「それは褒めているんじゃなく、けなしているんだよな?」
私は慌てて膝にのせていた木枠から手巾を外すのに集中する振りをした。
その夜、私は屋敷の中にある図書室から借りてきた本を読み、王室について勉学に励んでいた。
ヨーデル村にいるとそんな情報に疎くても全く困らなかったが、王宮に行く限り、多少は王室情報に明るくないと色々と不都合が出て来る様な気がしたからだ。
現国王にはお子がたくさんいらした。家系図は関係を示す線が無尽に伸びていて、その中で国王はまるで巨大な蜘蛛の巣の蜘蛛の大将だった。
王室の家系図を眺めていると、隣の部屋の扉が閉められた音が聞こえた。イライアスが帰宅したらしい。
補佐官キースをいちいち私にはりつかせる件について、話し合いを持とう、と私は自分の部屋を出た。
扉を開けた瞬間、視線が床に落ちた。私の部屋の前に、小さな布張りの細長い箱が落ちていたのだ。
キョロキョロと辺りを見渡すが、誰もいない。
意を決して箱を手に取り、中を開けると中には一枚のカードとネックレスが入っていた。キラキラと白い光を放つ透明な石が並び、中央には鮮やかな涙型の赤い石がぶら下がっていた。綺麗だけど、こんな物がどうして。
中にあるカードをつまみ上げて指で開くと、見覚えある大層な達筆でこう書かれていた。
謙虚で可愛い私の妻に
なんだこれ?読み間違えかと思って再度読み返す。
手本みたいな美しい字は、どう見てもイライアスの手によるものだった。宮廷騎士団長などをやらせるには勿体無いくらい綺麗な字だ。教師に転職してはどうかと本気で考えてしまう。
念の為頭の中の記録をめくり、確かめる。イライアスには一応、妻が私しかいないはずだ。イライアスに可愛い、と言われるなんて、照れ臭いとか、恥ずかしいとかを通り越して、これこそ嫌味にしか思えない……。
私はそのままの足でイライアスの部屋を訪ねた。
彼の部屋の扉をノックすると、間髪入れずに扉が開けられ、イライアスが中から顔を出した。彼は既に部屋着に着替えていて、ゆったりとした服を着ていた。胸元が開いた柔らかそうな白いシャツは、悔しいかな彼をいつもより色っぽく見せていた。
それにしても、私がノックをしてから中から扉が開くのが速かった。彼が扉にしがみついていたとしか思えないほどだ。
私は手の上の箱をおずおずとイライアスに差し出した。
「あのう、こんな物が私の部屋の前に落ちていたんですけど…」
「落ちていたのではなく、置いたのですよ。お気に召しましたか?それなら控え目で、身につけやすいのではありませんか?」
まさか買ってきてくれたのだろうか?こんな高価そうな物を貰ったことがないので、どうして良いのか分からない。
着けてあげましょう、と囁く様なイライアスの声がしたかと思うと、彼は箱からネックレスを出して、私は肩を押されて後ろを向かされた。後ろからイライアスの手が私の首元に回され、冷んやりと重みのあるネックレスが胸元に掛けられた。彼の指先が私の髪の毛を掻き分け、うなじの辺りで動くのを感じた。留め金を止めるその動きで、時折私の首筋を暖かい指が掠め、腰の辺りからぞわぞわと痺れに似た波が上がって来てしまう。
着け終わると再び正面を向かされ、イライアスは至極満足そうな極上の笑顔を浮かべた。
「よくお似合いです。貴方の髪の色によく映える………。」
そう言うとイライアスの手が私の方に伸ばされ、彼の指先が髪に軽く触れた。
頭の芯から揺さぶられそうな感覚に危険を覚え、私は必死に自制した。この美貌で微笑まれ、贈り物を貰って軽く触られでもした日には、大方の女性なら後先考えずに胸に飛び込みたくなってしまうに違いない。澄んで輝く緑の双眸を艶然と微笑みながら注がれると、腰から砕けてしまいそうだ。
イライアスはあくまでも無意識なのかもしれないが、一夜限りの相手とやらをこうして手にいれて来たのだろう。
私までそんな手口に引っかかってはならない。私は一度大きく深呼吸をすると、話題を変えた。
「あの、ありがとうございます。大事に使わせて頂きます。………ところで、キースさんの事なんですが。何も毎日私につけなくても良いのではありませんか?彼と二人というのは、その、………なんだか気まずくて。」
「ええ。安心なさい。明日からは貴方も一日王宮で過ごしますから、私の当直勤務が無い日以外は私と往復共に過ごせます。」
「ああ、そうでしたか。それなら安心ですね!」
互いの間に自然と綻ぶ様な笑みが零れる。………あれっ。それって喜んで良いんだろうか。