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【書籍化】王宮の至宝と人質な私  作者: 岡達 英茉
第3章 王宮勤め
20/72

3ー3

「わたくし、刺繍なんてやらないから!!」


裁縫部屋に入るなり、王女は力強く断言した。部屋には既に刺繍の師が来ており、布を手にした、丸い眼鏡を掛けた銀髪のお婆ちゃん先生がソファに深く腰掛けていた。

お婆ちゃん先生は王女の暴言には慣れているのか、なんら動じる事なく、人の良さそうな笑顔を私に向けた。


「こんにちは。セーラ様ですね?第三王子様から、貴方にも王女様と一緒に刺繍を教える様仰せつかっておりますよ。可愛らしい生徒が二人も出来て、嬉しいこと。」

「私も、教えて頂けるのですか?」


わくわく胸を高鳴らせながら先生に近づくと、先生はにっこりと笑って、木枠に挟まれた白い布を私に寄越した。


「今日は、手巾に小さな刺繍をしましょう。」


木枠の中にピンと張られた布には、青い色で鳥の絵が粗く描かれていた。嘴に花を一本くわえている。

先生はテーブルに広げられた色とりどりの糸を、シワシワの手で示しながら、好きな色を使ってね、と言った。


「まずは思うまま糸をいれて、色を入れていって下さいませね。」


早速ソファに座って針を取る私とは対照的に、王女はこちらに来ようともせず、窓の外を眺め始めた。そんな彼女を呆れ顔で私が見つめていると、先生が話し始めた。


「刺繍は王族の女性が習得すべき大事な習い事の一つです。その昔、建国の英雄である王女様のご先祖様が、隣国との大きな戦に行かれました。出陣の際に王妃様が『炎の戦馬』の刺繍を縫われた手巾を王様に差し上げ、王様は劣勢を跳ね返して大勝利を収められたと言われています。それ以来、男性のここ一番には、女性が刺繍をした手巾を送るのが習わしになっているのですよ。」

「炎の戦馬とは何でしょうか。」


私は初めて聞くその話に興味をそそられ、先生に質問をした。


「戦場にあって、火に包まれながらも馬上の主を守った、という伝説の馬ですよ。我が国の戦の勝利の旗印として崇められています。」


私は手の中の木枠を持ち直し、針をつまんだ。糸を針穴に通し、ピンと張られた白い布にチクチクと針を刺し始めた。鳥がくわえる花は細く、面積が小さいので逆にやり易かった。下絵から糸がはみ出ない様、細心の注意を払って没頭していると、王女が私に近づいて来て、聞いて来た。


「楽しいの?」


私は布から顔を上げて答えた。


「大事な人がこれを使ってくれるところを想像しながらやると、楽しいですよ。」

「それ、イライアスにあげるの?」


思いもかけぬ事を言われて、はたと思考が止まった。イライアスの事など、全く頭の中に無かった。私は父さんにあげようと思っていたのだ。古今東西、男親なら娘からの贈り物は何でも喜ぶ、と相場は決まっているし、父さんは長い事その経験が無かったので、これは父さんにあげるべきだという気がしたのだ。


「王女様も、………例えば兄君に差し上げるところを想像しながら縫われては如何ですか?」

「ええっ!?お兄様に?余計にやる気が萎えるじゃないの。」

「どなたでも良いんですよ。」

「………そんな事言っている割に、お前随分下手ねぇ。隙間だらけじゃないの。ちょっと、見てなさいよ。わたくしの方がずっと上手いんだから。」


王女は私の隣にどさりと腰を下ろすと、テーブルの上から木枠を取り、糸を選び始めた。どうやら私は期せずして彼女を焚きつけるのに成功したらしい。

なるほど確かに王女の手付きは慣れたもので、私のお粗末な鳥とは比べ物にならないくらいの出来栄えだった。私は急に自分の刺繍が恥ずかしくなり、大きな口を叩くのを控えることにした。


授業が終わる頃、イリスが部屋に戻って来て、私たちの様子を目にし少し驚いた様子だった。後から聞くに、王女がまともに刺繍をしたのは久方ぶりだったらしい。


その後王宮の中を別の侍女に案内して貰うことになり、私はあれこれ説明を受けながら広い王宮内を歩き回った。王宮は広大であったが、王女が日常的に使う範囲は意外と限られており、どうにか覚えられそうであった。私を連れ歩いてくれたその侍女は、初対面であるにもかかわらず、私の名前を聞くなり異常にツンケンした態度に豹変し、二度同じ事を聞いて来たら承知しないから、と顔に書いてある様だった。私は手の中の紙片に必死に汚い字でメモを取りながら心に刻んだ。

気のせいだと思いたいのだが、ショアフィールドの名前を出すと、侍女仲間に冷たくされるような気がするのだ。イライアスの妻という立ち位置は別な危険を呼んでいるのではないだろうか。彼自身の不徳の致すところでただでさえ良くなさそうな私の扱いが更に悪くなるのは御免だ。


その日は初日だった為に、私は余程疲れた顔をしていたのかもしれない。侍女を取りまとめるグラバー夫人という初老の女性の元に呼ばれると、私は予定を変更して半日で下がって良いとの配慮がされ、昼過ぎには家に向かう馬車に乗り込んだ。乗り込む時に気がついたのだが、家を出る時はイライアスが同乗していた。帰る時に私がこの馬車を使ってしまったら、彼はどうやって帰るのだろう。かといって、王宮の中で彼を探し回るわけにはいかない。オマケに私は慣れない場所で慣れない作業をして、大層疲れていた。いつ終わるのか分からないイライアスの仕事を待つなんて至難の技だ。

……まあ良いか。置いて行こう。


軽快な馬車の振動の中で、私は徐々に眠りの世界に誘われて行った。

虚ろになっていく視界の端に、王宮を後にするいくつ目かの門が見える。

突然私の身体が向かいの座席に吹っ飛んだ。無意識に前に出した受け身を取るための両手の防御で頭は打たずに済んだが、両脛を強かに向かいの座席に打ち付けた後、反動で背中から床にゴロンと落ちた。一瞬何が起きたのか理解出来ず、目を白黒させながら這いつくばる様にして起き上がると、窓の外に木が見えた。

景色が動いていないーーーその事に気付いて馬車が止まったのだと分かった。

タン、タン、と馬車の車体後方に何かがぶつかる音がする。

どうしようか悩んだが、引きこもっていても何にもならない。恐る恐る扉を開けると、目にも止まらぬ速さで何かが飛んで来て、開きかけた扉の内側がドン、と鈍い音を立てた。

その飛来して来た物体を認識するなり、私は短く叫んで転びそうになった。

扉には矢が突き刺さっていたのだ。

一体何事だ。何故この馬車は後ろから矢など射かけられている。これ以上飛んで来る矢が無い事を祈りつつ、馬車の外をそっと眺めると、馬に乗った一人の男が後方からこちらに突進して来るのが見えた。長い金髪を靡かせて、弓矢を構えながら馬を繰る男は、間違いなくイライアスだった。

あの人、何をしているのだろう。

イライアスは馬車からノロノロと出て来た私と目が合うと、馬の速度を急に落とし、形の良い眉をひそめながら私の目の前までやって来た。


「驚きました。貴方でしたか。」


全く同じ台詞を返してやりたい。

腰を抜かしそうになりながら、まだ馬車の中に半分身を隠す様にしていると、イライアスはやっと気付いたのか、次なる一発を射ようと構えていた弓矢を下ろした。


「貴方がこんなに早く帰るとは聞いていませんでしたので、一体誰がうちの馬車を勝手に使っているのかと、非常に焦りました。」

「初日だからもう帰って良いと言われたんですよ。………どうして矢なんて飛ばして来るんですか。」


イライアスは馬から滑り下りて、すぐ近くまで歩いて来た。弓を肩に掛けると、片手を腰に当てて馬車の周りを歩きながら、その車体に刺さった矢を抜き始める。自分で自分の家の馬車に射たその、矢を。


「手っ取り早かったからです。驚かせて本当にすみません。」


やる事が大胆過ぎる。

イライアスは車体に出来た傷をこれといって特に気にする風もなく、私に更に近づいた。


「私はまだ帰れません。一緒に帰ってあげたいのですが。気を付けて帰りなさい。」


いや、貴方が一番危ないから………。

渋い顔で私が再び馬車の座席に戻ろうとすると、いきなり左腕を掴まれ、制止させられた。激しく瞬きしながらイライアスを振り返ると、彼は私の胸元に視線を落としていた。私の申し訳程度の胸の膨らみに目が釘付けになっているとは思えない。どこを見ているんだ。

イライアスは私が首から下げているネックレスを凝視していた。


「今朝から気になっていたのですが、それは何かの嫌味ですか?」

「嫌味だなんて、そんな。折角頂いた物ですから、有難く身に付けさせて貰っているだけです。」


嫌味に決まっているじゃないか。

私は答えながら胸を飾る曲がったメダルに触れた。勿論他の人の前ではつけていない。変な人だと思われたらかなわないからだ。


「おやめなさい、みっともない……。貴方の部屋に、幾つか宝石類を用意させているでしょう。是非あちらを使って下さい。全て貴方の物ですから。」


確かに屋敷で私に与えられた部屋のクロゼットの中には、豪華なネックレスや腕輪がしまわれていた。どれもヨーデル村なら結婚式であっても身に付けない様な贅沢な物だった。


「あんなに凄い物怖くて使えません。なくしでもしたら、弁償出来ませんから。」

「身につける物をどうやってなくすのです。そもそも差し上げた物を弁償しろとは言いません。そんな人間に思われたなら心外です。それに我が家にある物は全て貴方の物でもあるのですから。………この私も含めて。」


へっ………?

最後の一言にどう反応すべきなのかが分からない。まさかこんな二人きりの時にまで、夫婦芝居を徹底したいのだろうか。こんな風に何の前触れも無しに三文芝居を開始されると、本当に困る。

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