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【書籍化】王宮の至宝と人質な私  作者: 岡達 英茉
第3章 王宮勤め
19/72

3ー2

「王女様はお寂しい方なんです。兄王子様ばかりに皆の目が行きますから…。やたら私たちの注意を引きたがっているだけなんです。」


イリスは私と二人になるとそう言った。似た様な境遇の子どもたちは教会の学校にもいた。問題を起こす子は親の愛情を受けているという感覚が希薄な子に多かった。月並みだが、それは実際事実だった。私は何となくそんな事を思い出した。

廊下をイリスと二人で歩いていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。

振り返るとフィリップ殿下が爽やかな笑顔を浮かべて私を見ていた。彼は顎を軽く動かし、イリスに場を外すよう促し、それを受けて彼女は無言で深くお辞儀をしてから、先に行っています、と私に一言残して歩き始めた。

ここでは右も左も分からないのだから、置いて行かれたら、私が困るではないか。

慌てて走って追いかけようとすると、肩を後ろから軽く叩かれ、ギョッとして振り返ると、私のすぐ後ろにフィリップ殿下がいた。

フィリップ殿下は手近にある扉の一つを開けると、そっと私の肩に力を入れて、流れる様な仕草でその部屋に私を先導した。

その様にして、私はものの数秒でフィリップ殿下に見知らぬ薄暗い小部屋に連れ込まれていた。

ここは、どこだ。

真昼間からカーテンが閉められていて、陽の恩恵を受ける事なく薄暗い小部屋には、白い大きな布が掛けられたソファとテーブルが置かれているだけで、一見して使われていない部屋なのだろうと推測された。


「メリディアンとは上手くやっていけそうかな?………そうでなければ困ってしまう。気になって、来てしまったよ。」


私たちは猛烈な勢いで部屋の角まで移動していた。殿下が異常に私に近づいてくるので、私は後ずさるしかないのだ。


「で、殿下。近いです。」

「そうかな?ちょうど良い距離だよ。」


私の頬に殿下の指先が触れ、ドキンと胸が早鐘を打つ。その麗しい顔で至近距離に、迫らないで欲しい。私の頭の中でキースが警鐘を鳴らしていた。殿下は歩く女捕獲器である、と。私はなんとか自分の身体の左側に見つけた退路に進もうと、一歩足を動かすと素早く殿下が壁に手をつき、それを妨害された。


「あのレスター王子が気に掛ける女性だからね。どんな人かとずっと思い描いていたよ。」


きっとご期待には添えなかったに違いない。


「レスター王子とは、親しかったんですか?」

「世間話をする程度にはね。留学生の王子達は皆北棟で居住していたけれど、あの王子は実に綺麗で、とても目立っていた。」


人を壁と自分の隙間に挟んだまま、回想に耽らないで欲しい。ちなみに今思い出したが、私は仕事中だった。

私には見る事が出来ない遠くを眺めている様子だった殿下の瞳が、私に戻された。

探る様に私を見ながら殿下は低い、抑えた声色で言った。


「イライアスのどこが好きなのかな?」


ギクリと心臓が跳ねた。そんな事、考えた事も無かった。なぜなら、好きになってすらいなかったからだ。

えっと、なんて答えよう。

顔?顔は完璧だ。身体、というのは流石に生々し過ぎる。月並みなのは優しい、という答えに思われるが、残念な事に優しかった体験が思い浮かばない。覗き込む殿下の秀麗な顔に耐えきれず、焦った私は口を開いていた。


「彼はわ、私の初恋の人なんです。」


殿下は表情一つ変えず、そう、とだけ言った。

そう?

あまりに短い返答に、却って不安になる。

信じて貰えたのかどうなのか。


「切り札は手元に置いておくべきだ。やはり君は私の側にいるべきだった。イライアスも何を考えているんだか。……それとも彼も人の子だったのかな?」


困惑して私が殿下を見上げていると、殿下の青い瞳が視界限度いっぱいまで迫り、さっとその唇が私の唇に押し当てられた。


「で、殿下…」


狼狽えた私の唇の上にそっと殿下の人差し指が当てられた。

そのまま囁く様な声で彼は言った。


「イライアスには秘密だ。」


私の頭の中では、キースが鳴らす鐘がうるさいくらいガンゴン爆音を立てていた。反響が壮絶過ぎて頭痛がしそうなくらいだ。

上流貴族は風紀が乱れている、とか不倫や浮気が日常茶飯事だ、といった話を耳にした事がある。あれは、下流を彷徨う人間たちのやっかみが作り出した勝手な妄想だと思っていた。だが、今間違いなく私はその乱れに巻き込まれていた。

まさかこの国の王子様にキスをされる日が来ようとは夢にも思わなかった。


「殿下は、こういう事をしょっちゅう侍女になさるのですか?」

「実はね、私とイライアスは女性の好みが似ているんだよ。」


それはイライアスと殿下は王宮で同じ侍女たちにばかりちょっかいを出しているという事だろうか。真意をはかりかねて私は目の前の殿下を睨みつけた。すると予想に反して、殿下は愉快そうに笑った。


「私にここで媚を売らないのはメリディアンか君くらいだよ。」


彼は漸く壁に着いていた手を離した。


「邪魔をしたね。きっとメリディアンと君は気が会うよ。頑張ってね。」


満足気に小部屋を後にした殿下が閉めて行った扉を呆然と眺めた後、私はイリスを探そうと廊下に出た。驚いた事に彼女は廊下の突き当たりでカートに寄り掛かって私が追いつくのを待っていてくれた。

イリスは私がかけてくるのを見るなり、黒い眉を軽く持ち上げた。


「良かった。あのまま部屋からお二人が出て来なかったらどうしようかと思っていました。殿下は御手が早いと有名な方ですから、お気をつけて。しかも逃げれば逃げるほど本気を出す方だと聞いてますので、適当な頃合いで手を打つ事をお勧めします。」

「て、適当な頃合いで何の手を打つんですか!?」

「引くばかりでなく、こちらから積極的に迫ってみれば良いのでは?」


そんな高度な技、どうやって……!?

上流階級の恋愛事情に全くついて行けない。

言葉を失う私を他所に、イリスは裁縫部屋と呼ばれる部屋に入って行った。

真ん中に低いテーブルがあり、座り心地が良さそうな布張りの大きなソファがいくつか並んでいた。壁一面には引き出しが埋め込まれており、イリスはそのうちの一つを開けて布や木の枠といった裁縫道具を取り出した。私も試しに引き出しの中を覗いてみると、中にはギッシリと多彩な糸や布が詰められていた。

私は簡単にその部屋についての説明を受けた。


「私は先生にお出しするお茶を取りに行って来ます。セーラ様は王女様を連れて来て下さい。」

「はい。あの、セーラ様だなんてよして下さい。セーラで良いですから。」


するとイリスは大真面目な顔で言った。


「ショアフィールド家の方を、呼び捨てになんて出来ません。」


ショアフィールド家の威力はこんなどうでも良いところで発揮されるのか。

王女様を先ほどの部屋に呼びにいくと、部屋には初めて見る男性がいた。

王女様と世間話をしているその男性は、私がやって来た事に気付くと、少し困り顔で私に会釈をした。

なるほど、30歳くらいだろうか。なかなか顔立ちが整っている。恐らくこの人物が政治学の先生なのだろう。しかし肝心の王女本人の美貌の兄殿下に比べれば、平凡にすら見える。

念のため時計を確認するとやはりもう、政治学の授業の時間は過ぎている。私は軽く咳払いをしてから、目の前の先生しか目に入っていない様子の王女に話し掛けた。


「そろそろ刺繍の部屋に移動しましょう。時間ですよ。」


王女は視線すら私に寄越さない。

教会の学校の問題児にソックリだ。あの子は七歳だったけれど。

もう一度冷静な声で説得を試みるも、ナシのつぶてだった。これでは刺繍の先生を待たせてしまう。それに、イリスに私が使えない奴だと思われるじゃないか。仕方が無い。

私は王女がまだ話している最中の先生に無理やり話し掛け、長引かせてしまってすみません、と彼に詫びながら出口となる扉を開けた。期待通り先生は安堵した様子で私に頭を下げてから退出して行った。

少々強引な手だったが背に腹はかえられない。それにしても気の毒にイケメン教師も、楽ではない。

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