2ー9
通された食堂は昨日夕食を頂いた食堂とは別の食堂だった。この屋敷には食堂が複数あるらしい。
何の為に……。貧乏人には理解出来ない。
昨日の食堂よりはこじんまりとした広さだったが、それでもこの中にヨーデル村の我が家がまるごと収まってしまいそうだ。八人くらいが座るのにちょうど良さそうな大きさのテーブルが中央にあり、何かの書類に目を通しているイライアスが奥に既に座っていた。イライアスはゆったりとした白いシャツに灰色のズボンを履き、くつろいだ様子だった。胸元には親指大の縦長の金色のメダルが下げられていた。
彼は私がキースに連れて来られるのをみとめるや、微笑を浮かべて自分の向かいの席を指差した。
濃い茶色の板張りの床をヒールでコツコツと鳴らしながら、指定された席につく。
すると部屋の隅に控えていた侍女がやって来て、皿の上に乗せられていた純白のナプキンを私の膝の上に乗せてくれた。続けて別の侍女が現れ、透明のボウルを私の斜め向かいに置いた。ボウルには水がはられて、紫や白の花弁が浮かびゆらゆらと揺れていた。
なんだろう、これ。
それにしても面倒くさい。家で昼食をとるのに、なんだってこんなに仰々しい段取りがあるんだろう。
「お父上との再会はいかがでしたか?」
向かいに座るイライアスが尋ねてきた。
「なんていうか・・・。調理場で働いているとは思いませんでした。あの、父とは良く会われるのですか?」
「そうでもありません。常に動向を気にはかけていますが。」
それはやはり、見張っているということだろうか。
私は運ばれてきたパンに手をつけた。
外側はパリパリとしているのに中はしっとりとして、とても美味しい。
しかし手で千切ると大量のパン屑が生産され、皿やテーブルの周りを汚した。ちらりとイライアスを盗み見ると、不思議なことに彼も同じように千切って食べているのに、全くテーブルが汚れていない。
行儀が悪いと思われそうなので私はパンを諦めて、魚料理へと移った。
視線をあげるとイライアスと目が合い、滲むような笑顔を浴び、一瞬硬直しそうになった。
そうだ。
彼について質問しよう。趣味や特技くらいは知っていないと、相思相愛で結婚したなんて嘘はすぐにばれてしまうもんな。
「あのう、ご兄弟とかはいらっしゃるんですか?」
「私に興味が?姉と、弟がおります。」
「こ、このお屋敷にお住まいですか?」
まだ挨拶もしてないけど。
屋敷が広大過ぎて、同じ屋根の下にいても探し回らなければ会うことができなさそうだ。
「私はここには妻と二人で住んでいます。」
フォークにさしていた付け合わせの野菜が、どさりと皿の上に落下し、ソースが飛び散った。
慌ててナプキンで拭こうかと思ったが、逡巡した。ナプキンは純白なのだ。シミになりはしないだろうか
何故純白なのだ。使い捨てか。
私がどうすべきか悩んでいると、侍女が後ろから別のナプキンでさっと拭いてくれた。
ええと、妻とは、私のことだろうか。
それとも天下の宮廷騎士団を束ねる長には、妻が別にいたりするんだろうか。
別に私はそれでもかなわないけれど。
無意識にきょろきょろとあたりを見回す。
すると呆れた様な声をかけられた。
「誰を探しているのです。貴方のことですよ。」
やはりそうか。
「ご両親とかは・・・」
「今は北にある領地に住んでいます。少し落ち着いたら、会いに行きましょう。」
それはぜひ遠慮したい。行きがかり上娶った妻です、とか紹介されてもあちらさんも困るだろう。
「ここの料理は口に合いますか?」
「はい。とてもおいしいです。長くいたら、太れそうです。」
「貴方はもう少し肉付きを良くした方がよろしい。」
すいませんね、貧乏だったもんで。
どうにもこうにも失礼な男だ。私はふと、王宮で出会ったシューリやほかの女性たちを思い出した。皆さん、出るところがきっちりと出ていて、それでいて首や腰はとても細かった。断言できるが、私がたくさん食べても尻や腹が出るだけで、あんな風にはなれないだろう。
背中から肉をかき集めても、彼女たちの様な深い谷間ができない自分が哀れだ。私は皿の上の最後の野菜と一抹の虚しさを噛みしめながら、ボウルに張られた水を見た。
浮かんでいるのは何の花だろう。
それを確かめようと、ボウルに手を伸ばし、顔に近づけて涼しげな水面を見た。
不意にその上に大きな手が被せられた。
驚いて顔を挙げると、イライアスが立ち上がってこちらに腕を伸ばしていた。長い腕だ。ここまで届くとは思わなかった。
「飲まないで下さいね。手を洗うためのものですから。」
「み、見ていただけですから!」
「そうですか。それは良かった。」
私は消え入りたいくらい恥ずかしくなりながら、ボウルを元に戻した。
イライアスはそのまま食卓を周り、私のすぐ横まで来ると、私が座る椅子の背に両手をかけ、ぐるりと回し、私はイライアスと向かい合う形になった。彼の腕の距離分しか離れていないので、不覚にも心臓が鼓動を速くする。手を椅子の背から離して欲しい。
周囲をうかがうと、さっきまでいたはずの侍女たちがいない。手際良く追い出したのか。
「明日は、一緒に王宮へ行きますが、王女様と会われてからそこから先、貴方は一人になります。十分気を付けてください。」
私は条件反射のようにこくこくと頷いた。
だが意に反してイライアスの緑の瞳は急に冷たい色を帯び、すがめられた。
「本当にわかってくれていますか?注意した先から貴方は約束を破ってくれたようですが。」
私の目の前に、封筒が突き付けられた。
一瞬のうちにそれが何か分かり、血の気が引く。私がさっき母さんに書いた手紙ではないか。
「黒く塗りつぶして推敲しておきました。それにしても貴方は誤字脱字が多いですね。」
怒りなんてわく余地はなかった。
均整のとれた長身の騎士団長に覆い被さるように見下ろされ、恐怖を覚えない人間なんていないだろう。それに美形が睨むと独特の凄味があった。私は指先から冷たくなり、怖くて震えそうになるのをどうにか堪えた。
「貴方の母親は長女に話し、長女は夫に話すでしょう。貴方は遠くに住む母親の口に戸を立てることはできないのですよ。どうか穏便に貴方を守らせて下さい。」
触れそうなほど近くにいるイライアスの目からどうにか目を逸らすと、何気なく彼の胸元にぶら下がるメダルに焦点を合わせた。
「先ほどから随分これを気にしていますね。そんなに気に入ったのならあげますよ。」
イライアスはメダルを掴むとそのまま引き下ろし、金色の鎖を引き千切ってしまった。切れた鎖は彼の手の中のメダルの上部につけられた輪から、涼しげな音を道連れに床へと落ちた。私は硬直したままそれを眺めていた。
イライアスは手の平を閉じ、メダルを軽く一度握ると、再び手を広げた。
何が起きたのか分からなかった。メダルは真中で曲がり、半分ほどの長さになっていたのだ。
なんて怪力なんだ。
試しに震える手で取ってみると、メダルはやはり硬く、ちょっとやそっとでは曲げられそうにない。
そのままイライアスの手が私の首に伸ばされ、そっと触れた。
ーーーー殺される!?
なぜか私はそう思った。メダルをいとも簡単に曲げられる男にとって、私の首を折ることなど造作もないだろう。だが彼の手はするすると上へ向かい、私は顎を軽く掴まれると上向かされ、視線を合わすことを強制された。
「・・・・それとも貴方は、殿下の手枷の方がお好みでしたか?」
返事ができなかった。どちらがマシだったか、確信が持てなくなったからだ。
イライアスは私から手を離すと呟いた。
「変態王子と頭のおかしな騎士団長、ですか。」
しまった。母さんに宛てた手紙にそんなことを書いたっけ。
的確な表現だ、とイライアスが自嘲気味に囁くのを上の空で聞いた。