2ー8
父さんとまた会う約束をしてから、私は王宮を出た。私は頻繁に父さんに会いに行こうと思ったのだが、父さんはそれをやんわりと断ってきた。
男爵である父が王宮で下働きをしていると知られたら、私が他の貴族令嬢である侍女たちに、虐められる、と父さんは主張した。
結局事態はイライアスの目論見通りに進んでいた。
私は無力感のあまり、王宮からイライアスの城みたいな屋敷みたいなバカみたいにデカい家に帰る馬車の中で、茫然と車窓を眺めていた。
「疲れましたか?」
向かいに座るイライアスの無駄な美声が私の神経を逆撫でした。
疲れているに決まっているじゃない。
でもそんな事より、とんでもない事に人を巻き込んでいる自覚はこの男には無いのか。
私は一念発起し、身体の隅々から勇気をどうにかかき集めて抵抗を試みた。
「あの、やっぱりどう考えても私と宮廷騎士団長様が結婚っておかしくないですか?っていうか、おかしいです。考え直してくだ…」
「存外しつこいですね。」
ピシャッと冷や水を浴びせられた気分がした。しつこい?
し、しつこい!?
そんな非難を私がされなければいけない状況だろうか?
「もう一度その話題を切り出したら場を問わず既成事実を作りますから黙りなさい。」
「えっ?き…」
冬場の湖にでも投げ込まれたみたいに瞬時に全身の筋肉が緊張した。
今なんて?
いや、聞こえてはいたけれど。一言一句耳に入ってくれたけれど。……理解したく無い。
既成事実って何だろう?貴族の間だけで通じる様な隠語か何かだと良いのだが………もしやそのままの意味だろうか。場を問わずってのが輪をかけて恐ろしい。それにしては物凄く冷静な顔で言われたんだけど。
とりあえず黙っておいた方が賢明そうだ。
「………呼吸まで止めろとは言っていませんよ。」
指摘されてやっと気付いたが、どうやら私は息をするのもやめてしまっていたらしい。慌てて息を整えた。
「あの、宮廷騎士団長様。」
「何故呼び名が後退しているのです。そんな他人行儀な。イライアスで良いと言ったでしょう。」
いやでも、他人なんですけど。
私たちは多分きっと確実にほぼ他人です。
良く考えると私この人の趣味も特技も知らないし。しかも呼び捨てにしたら補佐官とやらに殺されそうだし。そう言えば今日はまだあの補佐官に会っていないな。勿論ちっとも会いたくなんてないけど。
私は父さんから聞いた話をもう一度頭の中で反芻させてから、イライアスに尋ねた。
「イライアスさん、父さんが宮廷騎士団を追いかけたあの日、何があったんですか?」
「概ねホルガー殿が言っていた通りですよ。私たちは、レスター王子が長らく行方不明になっていた事を、なんとしても伏せたかったのです。無論、彼を奪還しようとして失敗したガルシア王国側は気付いていましたが。国民に我が国の失態は知られたく無かったのです。」
イライアスは宮廷騎士団に追い付き、当時の騎士団長に縋り付く父の様子を思い出しながら語ってくれた。
余計な事に首を突っ込み、騎士団の進行を阻む父は、状況からすれば、いつ斬り殺されても不思議ではなかったのだという。
「けれど、私たちは貴方の父上が恐ろしかったのです。」
「恐ろしい?あの父さんが?」
「爵位を持つ貴族の筈なのに、平民の服を纏い………大小様々な鍋を胴回りに巻いて防具代わりに、騎士団に乗り込んできた姿が、ただ恐ろしかったのです。あれが没落した貴族の末路かと思うと、私たちには他人事とは思えなかったのです。」
何だかわからないが、胸が締め付けられたみたいに切なくなった。
恐怖という名の珍妙な同情を買ったらしい父さんは、斬り殺されずに済んだのだという。でも父さんは騎士団長の許し無く王宮から出てはならないのだそうだ。
部屋に戻ると私は窓際に置かれた机の引き出しを急いで全部開けて中を確かめた。期待通り、そこには一通りのレターセットが入っていた。
焦りから震える手で、便箋を取り出して机上に広げ、ペンを走らせる。
父さんから今日聞いた話を、そして自分が巻き込まれている事態を洗いざらい紙面に書き連ね、それを畳むと母さんの宛名を書いた封筒に入れた。
母さんは今頃心配で堪らないはずだ。余計な心配をかけない為に、嘘をつく事も考えた。でも下手な嘘や隠蔽なんてしても、見抜かれるだろう。アルがどうなったのかを隠さずに、父さんの失踪は説明出来ないし、アルの事を知りたかったのは母さんも同じだ。母さんに絶対に誰にも話さないでおいて貰えれば良いだけの事なんだから、母さんが知りたがっているであろう事実だけを知らせたい。ただし、私が戦況次第で人質にされそうだなどという事は流石に書けなかった。頭のおかしい騎士団長と無理矢理結婚させられて、麗しの変態王子の妹の侍女をやるから当分帰れないかもしれない。それだけ書けば、十分だろう。これだけでも母さんが心労で倒れやしないかと気を揉んでしまう。
私は手紙を書き終えると、屋敷の中をそそくさとウロつき、なるべく地位の低そうな侍女を探した。廊下にモップをかけているうら若い侍女に目星をつけると、人目を気にしてから彼女にサッと駆け寄った。
「ねえ、お願いがあるの。後で郵便所にこの手紙を持って行ってくれない?」
突然話しかけられてびっくりしている様子の彼女の手に、手紙と一緒に数枚の札束を押し付けた。
それはかつてこの屋敷の主に渡された最高額紙幣。
罪悪感と後悔から、私はずっとそのお金にだけは手を付ける事が出来なかった。それを使うのにはまたと無い機会だろう。
彼女がこくりと頷き、受け取ってくれたので私は直ぐに部屋に戻った。部屋に戻って少しも経たないうちに、私の部屋の扉がノックされた。
微かに緊張して扉を開けるとそこには今日初めて見るキースが立っていた。
「昼食ができた。イライアス様は食堂で既にお待ちだ。行くぞ。」
キースはマントをはためかせて、私がついて来るかも確かめずに廊下を歩き始めた。そのかなりの速度に、私は半ば小走りでついていかねばならなかった。
少しは足の長さの差を考慮して欲しい。
オマケに私はまだ例の高いヒール靴を履いていたので、足は痛いわバランスは取り辛いわで彼について行くだけで一苦労だった。
ヨタヨタと小走りする私をやっと怪訝そうに振り返ると、キースは言った。
「その靴、まだ履き替えてないのか。」
「すみません、時間が無くて。」
「時間が無い?帰って来てから何してたんだ、あんた。」
手紙をコッソリ書いてたんですよ。とは言えない。
「私はあんたなんていう名前じゃありませんから。セーラって言う名前が…」
「平民みたいな名前だよな。ふん。生憎、セーラなんて呼んだらイライアス様に叱られるんでね。」
あんた、という呼びかけに関しては叱られないのか。
それにセーラが平民臭漂う名前だなんて、全然知らなかった。シューリとたいした差は無い気がするのに。
キースは歩く速度を少し落としてくれてから、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「じゃ、これなら良いか?奥様。」
「や、やめて…!絶対やめて。」
「今日はお綺麗ですね、奥様。危うく惚れそうになるくらい。別人かと思ったよ。」
「それ、褒めてるんですか?」
「褒めている。この屋敷の侍女の腕前を。」
そう言うなりニッと笑ったキースの顔は、意外にも少年の様に悪戯っぽく瞳が踊っていた。
今すぐ靴を脱いでヒールで後頭部を殴ってやろうか。