2ー6
「イライアスさん、どういう事ですか!全然話が違うじゃないですか!」
私は麗しの変態王子様との面会が終わると、廊下に出るなりイライアスに詰め寄った。
彼は相変わらず涼し気な相好のままで、怒りをあらわに彼を睨み付ける筈の私は、体格と身長差から悲しいかな完全に迫力負けしていた。
でもこれは話が違うなどというレベルを越えている。
「事実を話せば貴方は来てくれなかったでしょう?………私なりに最大限の誠意は見せたつもりです。貴方の安全は保障しますよ。」
「誠意ってまさか結婚の事ですか?」
誠意の見せ方が根本から間違っている。誠意どころか狂気じみた悪意の方が表現として相応しいのではないか。
「本当の妻としての役割を望む気はありませんよ。ただその地位は少なくとも貴方をここでは護ってくれます。………戦況によっては何とも言えませんが。」
最後の一言が素敵だ。
なかなか正直に言えるものてはない。
ガルシア王国軍がこの国に優位に攻め込んで来たら、私を晒して盾にでもするつもりなんだろう。でも………。
ポツリとイライアスに言った。
「私は貴方たちが期待している様な存在にはなれませんよ。アルは私を恨んでいるでしょうから。」
イライアスは幾分目をすがめて不可解そうな顔をしたが、意に介する様子は無かった。
彼と私は無言で王宮の階段を降り続けた。
階段は乳白色の石造りで、中央に青い絨毯が敷かれていた。真ん中を歩かないと絨毯を踏み外して、石の階段の上に高く細いヒールがカツンと当たり、膝にこたえた。
一階まで降りるとイライアスは私にそこで待つ様指示してきた。
彼はそのまま地下へと伸びている階段の方に体を向けた。
「貴方の父上が今日出勤されているか見てきます。」
直ぐに戻りますから、と言い残して彼は階段を降りて行った。
まさか父さんに会わせてくれるという話まで嘘ではないと信じたい。でなければ極度の人間不信になってしまいそうだ。
ツルツルとした冷たい石の手すりに寄りかかる様にして、重い溜め息を吐いて身体を支えた。イライアスが消えて行った地下をぼんやりとながめる。
父さんは地下にいるのか。
王宮で他の貴族と混ざって働いているなんて、在りし日の自分の父の姿からは想像が出来ない。私も、父さんがいなくなったあの日から、十年がたちかなり変わっているはずだ。父さんも驚くだろう。顔を合わせたら何て言おう。聞きたい事や話さねばならない事が、山ほどある。
父さんがイライアスの様に煌びやかな貴族の装束を身に纏っている姿を、頭の中に思い浮かべようとしたが、なかなか難しかった。借りてきた服を着ているみたいにしかならない。でもあれから十年。父さんは今やすっかり王宮に馴染んだ貴族になっていることだろう。私は俄かに緊張しだし、佇まいを正した。
ふいに後ろから数人の女性たちが歩いて来る事に気が付いた。
豪華に着飾った彼女たちは、こちらを頭から爪先まで舐め回す様に眺めて来た。ーーーーーなんだなんだ。そのまま私のすぐそばまで来ると、立ち止まり、先頭にいる金髪の気の強そうな女性が口を開いた。
「見かけない方ね。どなた?」
私は無難に乗り切ろうと曖昧に返答する事にした。
「今日初めてこちらに参りました。セーラと言います。」
「ねえお前。」
金髪の女性の後ろにいた女性が、私ににじり寄って来た。こちらも例に洩れず、やたらと非友好的な視線を私に投げている。
誰も武器など持っていないのに、身が引き締まる様な危険を感じるから不思議だ。
「お前、さっきイライアス様に言い寄っていたでしょう?見たわよ。」
言い寄る?
詰め寄りはしたが、その事だろうか。
「イライアス様はただ一人の女に肩入れしたりなさらないわ。あの方は王宮の至宝よ。新参者が図々しく近付こうなんて思ってはいけないの。」
なんだか聞きなれない単語を耳にした。
「王宮の至宝…」
「ええ。そうよ。知らなかったなんて言わせないわよ。フィリップ殿下とイライアス様。お美しいお二人は当代の王宮の至宝よ。ここで上手くやって行きたいのなら、お二人とお前などが親しくなろうなんて夢にも思わない事ね。」
ドッと冷や汗が出てきた。
変態王子と詐欺団長に随分御大層な仇名がついているらしい。
私は彼等と親しくなりたいわけではない。断じてない。
だが胸を張って自分の境遇をここで暴露するのも如何かと思われた。とりわけ私がレスター王の義姉だという事は、私や家族の安全の為にも知られる訳にはいかない。この事はイライアスにもさっき釘を刺されたのだ。
私がモジモジしていると、一人の十代半ばと思しき少女が、隣に立つ黒髪の美人を指差して言った。
「良い?今一番イライアス様のご寵愛を受けているのはこの、シューリよ。分かるでしょ?これに懲りたら身の程知らずな真似はやめる事ね。」
私は驚いてそのシューリと呼ばれた女性を見た。
ハーフアップにされた艶のある長い黒髪は波打ちながら腰まで伸ばされ、大きな青い瞳は理知的な形をしていた。白く鞠みたいに盛り上がる胸元の膨らみに、同性ながら目が吸い寄せられるのが止められない。
しかし、特定の相手を作らないのに、一夜限りの関係にも寵愛を受ける当番みたいなものがあるのか。なんだか理解し難いシステムだ。あの男自体がそもそも理解し難いから、当然の産物か。
その時階下から軽やかに階段を駆け上がる足音がした。
まさか………。
予感は的中した。
噂のイライアスがこちらに向かって階段を登っていた。どこかにとりあえず逃げようにも、女性たちに囲まれていて逃げ場がない。最悪のタイミングだ。悪質な嫌がらせとしか思えない。
そうこうするうちにイライアスは階段を登り切り、にこやかに私たちに話しかけて来た。
「おはようございます。………セーラ、ホルガー男爵は下にいらっしゃいます。行きましょう。」
そう言うなり私の手首を引いて階下へ引きずって行った。
驚愕に見開かれた彼女たちの眼差しが一斉に私に浴びせられる中、私は逃げる様に地下へ行った。
地下へおりてやや薄暗い廊下を歩きながら、イライアスは前方に視線を投げたまま私に尋ねて来た。
「彼女たちと何の話をしていたのですか?」
「えーと、なんと言いますか、イライアスさんのご寵愛が今誰にあるかとか。王宮での心構えに関してご高説賜りました。」
聞いて来た癖になぜ黙る。
イライアスは私が答えると押し黙ってしまった。
私は無言で私の手を引くイライアスをチラチラ見ながらも、廊下の様相が変わった事が気になった。飾られていた美しい絵画や壁の装飾がなくなり、心なしか薄暗い。貴人が行き交うエリアではなく、明らかに王宮で下働きをする者たちが専用に使うエリアだと推測された。
父さんは、ここに?
簡素な木造の扉の前で立ち止まると、イライアスはそれを開いた。
大きな薄暗い部屋の中に木箱が所狭しと並べられ、その中に多種多様な野菜が山積みされていた。微かな土の臭いと冷んやりとした空気が私を包み込んだ。
「セーラ………」
ゴン、と重量感ある音を立てて何かが床に落ちる音がした。
ーーーー父さん………!!
斜め向かいに、父さんが立っていた。
記憶の中の父さんより目尻が少し下がり、小皺が増え、それとは対照的に髪が薄くなってはいたが、そこにいるのは紛れもなく私の父さんだった。
父さんと私は暫し見つめ合い、数秒の後にどちらからともなく互いの距離を縮めようと動きだし、父さんは自分が先ほど取り落としたばかりのジャガイモに躓いて見事にすっ転んだ。
心配、悲しみ、驚き、怒り。
並べてしまえば単純な言葉だが、今まで父さんに抱いていた長年に渡る複雑な感情は、不思議と十年も経つのに見慣れた肉親の顔を前に、全て押し流されてしまった。ただ今私の胸中を埋め尽くすのは、十年ぶりに会ってもなお変わらぬ父さんに対する愛情だけだった。例えそれが床に強打した膝を呻きながら摩る間抜けな姿だったとしても。
私は父さんを助け起こした。
父さんは娘との久し振りの再会に感激したのか、若しくは膝が余程痛いのか目に涙を薄っすら浮かべていた。
「セーラ。会いたかったよ。今まで連絡出来ずに本当にすまなかった。……ここで雇ってもらう代わりに、お前たちと連絡を取るのを禁止されたんだよ。」
「禁止って、誰に?父さん、私たちがどれだけ心配したか!!」
「宮廷騎士団にだよ。」
私は耳を疑いながら目をひん剥いて、背後に立つイライアスを振り返った。
彼は小首を傾けて僅かに片眉を吊り上げて私に無言という答えを寄越した。
声を失ってイライアスを睨む私に、父さんは続けた。
「……セーラももう聞いたんだろう?アルは、私たちの家族だったあの子は、ガルシア王国の王子だったんだ。十年前、宮廷騎士団に追い付いた父さんは、しつこく騎士団を問い詰めた挙句にその説明と引き換えに殺されそうになったんだ。」
そこまで聞くとゾッとした。
強張る私の表情に気付いて父さんは優しく微笑み、私がほんの子供の時にそうした様に、ポンポンと私の頭を叩いた。
「必死に命乞いをしたら、王宮を一歩も出ないで下働きをする事と、アルの件を口外しない事を条件に、破格の給与で雇って貰えたんだ。……父さんは稼ぎが悪かったからね。お前たちに例え会えなくても……と思ったんだ。」
私は再度イライアスを睨んだ。
「父さんと私たち家族をどうして引き裂いたんですか?」
イライアスは壁に寄り掛かりながら、緑の瞳をどこか面倒そうに私に流した。
「会えばレスター王子の話が漏れるからです。ご自分たちも父親と同じ境遇になりたかった、と?」
「そんなこと言ってません!」
すると父さんは私をなだめる様に落ち着いた声音で続けた。
「今は父さん、王宮の調理場で働いているんだよ。出稼ぎ暮らしの間の自炊がこんな役に立つとは思わなかった。それに、父さんの鍋が王宮で使われる日が来るなんて夢にも思わなかったよ。」
渇いた笑い声を立てた後、父さんは真剣な眼差しになって私に尋ねて来た。
母さんとマーニーはどうしているか、と。