2ー4
全然、眠れなかった。
快晴の空から差し込む陽光が、寝不足の目に眩しい。
私は目をショボショボさせながら、揺れる馬車の中で私の正面に座るイライアスを見た。
こちらも正視に苦しむくらい眩しかった。
宮廷騎士団の軍服ではなく、濃い紫色の下地に白い糸でふんだんに模様が縫われた派手な上下を着込み、邪魔で仕方なさそうなくらい太く重そうな金色の指輪や腕輪をはめていた。落としたら後で盗んでやろう。
緩く波打つ金髪は白い柔らかそうな布で右耳の下で一つにされ、その布の長い裾の先には何故か小さな鈴が縫い付けられていて、馬車が揺れる度に、彼の胸元でりんりんと涼しげな音をいちいち立てていた。
今朝は大変だった。
やっと眠りにつけた早朝、突如五人もの侍女が私の寝室に乱入してきたのだ。彼女達は私の困惑顔を意に介する事なく、私の寝間着を毟り取り、代わりに矯正下着を巻き付けて内臓が潰れるのではないかと危惧するほどの力でそれを締め上げた。
年長と思しき侍女が他の若い侍女たちに矢継ぎ早に指示を与えており、それが実に的確過ぎて聞くに耐えない内容だった。どこの肉でも良いから引っ張ってきて胸を膨らませろ、だの藪みたいな髪がこぼれない様にきつく結い上げてピンでガチガチに留めろ、だの高いヒールで寸足らずを隠せ、だの。
化粧が施されて、王宮を訪ねる身支度が整った頃には、私も侍女たちも疲れきっていた。
………でも、素敵なドレスだ。
私は自分が着ている薄緑色のドレスの生地を撫でた。胸周りが開き過ぎているのが気にはなるが、貴族たちがこういったドレスを着ているという事は私も知っていた。それに、侍女たちの腕前のお陰で、奇跡的に胸に谷間が出来ていた。
「とても良くお似合いですよ。」
はっと顔を上げると、イライアスが私を見ていた。
ありがとうございます、と言うと私は恥ずかしくなって目を逸らした。
「セーラ。王子様の御前では、私に話を合わせて下さいね。私達は相思相愛で結婚したことになっていますから、それを忘れずに。」
えっ……。
どんな作り話をすれば私達が相思相愛になれるんだ。そんな嘘をどうしてつかなければならないのだ。
「……あ、あの、どうしても結婚しなきゃいけないんですか?」
「しなきゃいけないのではなく、もうしているんですよ。」
自分の立場が弱過ぎてどう対抗すれば良いのか分からない。父さんに会ったら、相談しよう。
やがて馬車の窓いっぱいに王宮が見えてきた。高い丘の頂にそびえるその灰色の王宮は、王都を見下ろす様に建っていて、朝の霧よりなお高く突き出たその壮麗な姿は天空宮とも呼ばれていた。
四角い巨大な建物の四方の角に、円柱型の建物がくっ付いた形をしており、青いドーム型の天井は青空をうつしているかの様に見える。
威風堂々とした王宮の建物の周りを、灰色の大きな鳥が悠然と舞っていた。まるで王宮を守護しているみたいに。
麓から王宮の正門まではかなりの距離があり、勾配も強い為、辿り着くのは容易では無い。
平民は第一の門と呼ばれる麓にある門で馬車や馬から降りて、徒歩でそこから頂上まで進まねばならない。
第一の門から少し登った先には第二の門があり、下級貴族はそこから徒歩となる。
その後の第三の門は中級貴族の馬を止め、上級貴族と一部の王族は第四の門まで徒歩を強いられる事は無い。
第五の門まで馬車で行けるのは、国王夫妻とその子女だけであった。第五の門は事実上、王宮の正門である。
それぞれの門には門番がいるのだが、彼等は馬車に彫られた家紋を見て、通行を許可していた。ホルガー家はその辺の平民と何ら遜色無い暮らしぶりだったから、私は第一の門で降りなくて良いのだろうか、と本気で心配した。
流石に馬車が軽やかに第二の門まで通過しようとしたとき、私はイライアスに声をかけた。
「私はここで降ります。」
「その必要はありません。貴方一人で降りて歩いて正門まで行くのですか?私に上で待っていろと?」
うっ、と返事に困った。
更に、いまだ見上げるほど遠く高くに存在する王宮を見て、その距離にかなりの躊躇を感じた。
正直、あんな長距離の坂道は歩きたく無い………。寝不足で出来たクマを隠す為の厚化粧がドロドロになりかねないし、無理矢理履かされた靴の異常な超高ヒールが折れそうで怖過ぎるからだ。
私は謙虚な笑顔を作り、答えた。
「そうですよね。お待たせしちゃ、申し訳ないですから、一緒に行きます。」
私達は第四の門で馬車を降りた。
そこから散策程度の短い道を歩くと第五の門だった。
第五の門の先は建物で四方を囲まれた空間が広がっていて、宮廷騎士団の騎士たちがあちらこちらに立ち、警備をしている様だった。彼等はイライアスが入ってきた事に気付くと一斉に敬礼をした。何となく気まずいので私も見よう見まねで敬礼をし返してみる。だが数秒後にイライアスの刺すような冷たい視線を浴びたので、額を掻く振りをして誤魔化した。
王宮の建物の入り口は大きなアーチ型の扉で、常に開かれているらしく、その両脇に宮廷騎士が控えていた。
私は生まれてから九年間を王都で過ごしたが、王宮に入るのは初めてだった。緊張と好奇心で高鳴る胸を抑え、中に足を踏み入れた。
ヒールの足音が広い空間に響き渡る、白い石造りの荘厳な内部の様相は、奥に入って行くとガラリと雰囲気が変わった。真紅の絨毯が廊下の真ん中に敷き詰められ、色とりどりの石や壁紙に囲まれた明るい内装になったのだ。
すれ違う人々は皆豪華な衣装を身につけており、私はその度目を見張った。見慣れない女がいるせいか、彼等は私の事を随分とジロジロ見てきた。
何度か角を曲がった所で、私達は廊下の向こうから歩いて来る中年男性に声をかけられた。彼はイライアスに会釈をしながら口を開いた。
「騎士団長殿!お久しぶりです。」
騎士団長?
私は驚いて隣を歩くイライアスを見た。
彼は話しかけてきた男性と世間話をし始めた。
数分でそれを切り上げると、イライアスは私に立ちどまらせてすまない、と詫びてきた。
「いえ……。それより、イライアスさんは今宮廷騎士団長なんですか?以前は確かディディエさんという方が騎士団長さんだったかと。」
「ええ。………今知ったのですか……。お陰様であれから出世したのですよ。」
なんと。また随分若造を団長に据えたもんだ。大陸一大きいこの国最強の軍隊との呼び声高い宮廷騎士団の、その頂点に位置する男が、髪から鈴などぶら下げていて良いのか。
やがて私達は両開きの大きな木の扉の前にやって来た。
扉の両端には紺色の揃いの制服らしき物を着た男たちが二人いた。彼等は背の高さほどに長い木製の棒を床に立てて片手に持ち、視線一つ動かさず直立不動で控えていた。イライアスが彼等に目くばせをすると、彼等は即座に一度頷き、直後に手にしていた棒をドン、と強く床に打ちつけた。すると内側から扉が開かれ、両側に開かれた扉の先に、高い吹き抜けの大きな部屋が広がった。
イライアスに続いてその中に入ると、初めて見る素晴らしい景色が視界に飛び込んできた。
広い部屋には大きな窓が全面についており、丘の頂という立地のお陰で、眼下に美しい王都が見渡せた。360度に開けたその光景は、王都を越えて遥かな先まで臨む事が出来、
街並みの向こうに緑の山々が見えた。
まるで自分が空に浮かんでいる様だ。そこはまさに天空宮の名にふさわしかった。
部屋の奥の方には、全面に空の絵が描かれた巨大な柱が二つ並んでおり、その間の数段高くなった所に金色の豪奢な椅子が鎮座していた。
私は絶景に目を奪われるあまり、そこに腰掛ける人物がこちらに向かって歩いて来る事に、全く気がついていなかった。その人物は私の目の前まで歩みを進めて来ると言った。
「姉上!!お久しぶりでございます。アルです!」
そこにはアルとは似ても似つかない男性がいた。