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誰が何と言おうと我がホルガー家は貴族だった。
しかしながら誰がどう見ても我がホルガー家は立派に貧乏だった。
私の祖父が子どもの頃には既にホルガー家には使用人はおろか、持ち家すらなかった。
大陸一大きく、周辺諸国を圧倒する国力を持つ我がイリリア王国が東の小国ガルシア王国と戦い、その領地を大幅にぶんどった時、イリリアは戦争特需に沸いた。だが父が売り歩く鍋だけはサッパリ売れなかった。
そんな訳で私、セーラ=ホルガーが両親と姉の四人で、田舎に住む叔母を頼って都落ちしたのは九歳の時だった。
「父さん、馬車を止めて!」
森の中を走る車内で最早我慢出来ない尿意に襲われ、私は御者をしていた父に向かって叫んだ。
大量の引越し荷物を積んでいた馬車は直ぐには止まれず、やや進んでからようやく私を森の小道におろした。
まだ九歳とはいえ、羞恥心は立派にある。人目につかない所で用を足す為に、私は脇目も振らず森の藪の中に分け入り、鬱蒼とした木立に隠れる様にしてかがみ、用を足した。
はあああ………。
我慢が報われた安堵の溜め息を長々とつくと私は再び立ち上がり、家族が待つ馬車に戻ろうと走り出し、何か奇妙な物を藪の中に発見して、立ち止まった。
見間違いだろうか。何度か瞬きをして視界をはっきりさせる。
腰ほどの高さの草むらの中に、黒い布の塊が見える。
私は恐る恐るそれに近づき、あっと息を呑んだ。
それは黒いマントを羽織った子どもだった。私と同じくらいの年の子どもが、森の中に無造作に転がっていた。
死んでる………?!
私は叫び出しそうな口元を押さえなら、食い入る様にその動かぬ少年を観察した。横向きに転がる彼の肩先ほどまでの長さの黒い髪が、彼の顔にかかって口の周りで呼気に合わせる様にそよいでいた。
違う、生きてる……。
私は足元に絡みつく藪をかき分け、サッと駆け寄ると、少年を揺り動かした。
「……み、水……。」
呻く様にそう囁きながら少年は目を開けた。私は開かれたその瞳の淡さに驚いた。
彼の瞳はまるで透き通っているみたいに見える、淡い淡い青色だった。そんな色の瞳はそれまで見た事が無かった。私は何かとんでもない宝物を発見した気持ちになった。
水を少年が要求している事は、私の頭の中から早々とすっぽり抜け落ちていた。
私は少年が起き上がるのを手伝うと、露わになったその容姿を見て感激した。
少年は絵本に登場する天使の様に美しい顔をしていた。目鼻立ちは大層整っており、まるで、巨匠の手で寸分の狂い無く掘り上げられた彫像の様だ。肌が抜ける様に白く、黒髪とのコントラストが毒々しいほどに、冴え冴えとしていた。
私は類い稀な物を見た思いで、満面の笑みを浮かべていた。
「ここで何しているの?昼寝?」
私の呑気な質問に対し、少年は再度言った。
「お水、下さい。」
「今持ってないの。馬車まで来てくれたらあげられるよ。おいで。」
座り込んだままの少年の手を取り、道に向けて歩き出すと、少し進んだ所で彼は足をもつれさせ、転んでしまった。
なんだか随分疲労困憊しているみたいだった。不思議に思いながらも、私は少年の腕の下に身体を入れ、彼を支える様にして歩くのを手伝った。
家族が待つ馬車に辿り着くと、当然ながら両親は少年を見て血相を変えた。
両親は少年を馬車に担ぎこみ、水を与えて介抱しながら、彼に矢継ぎ早に質問をした。
なぜ森の中にいたのか。
名前は何というのか。
親はどこにいるのか。
だが少年は、投げかけられた全ての質問に対して、首を振り続けるのだった。
「次の街に着いたら、この子の親を探そう。」
だが数時間後に街に着くなり、少年はブルブルと身体を震わせて、下車を拒んだ。
君のお母さんとお父さんを探すんだよ、心配いらない、と優しく説得する両親を尻目に、彼の顔は白さを増し、やがて目に涙を溜めながら私に縋り付いてきた。
何か、余程酷い事があったのだろうか。
少年は終始そんな様子で、お人好しの父には彼を放り出す事など出来やしなかった。私達はたまたま拾った仔犬に懐かれてしまい、飼う羽目になるのと似た経緯で、その少年を引き取る事になった。都の家賃事情についていけず、田舎に引っ越す我が家の経済事情を考えれば、それは両親にとってみれば運の悪い拾いものだったかも知れない。しかし私は単純に、驚異的に可愛らしい従順な弟が出来て、とても嬉しかった。
だが後から考えれば、その少年ーーー私達は彼をアルと名付け、勝手に七、八歳くらいだろうと判断したーーーを我が家の一員として招き入れた事は、災難以外の何ものでもなかった。