表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一方通行  作者: 間宮 榛
1/5

01 恋するブラウニー



 誰も気づかないような、自己満足の告白をしよう。

 そう思ったのは、バレンタインに作るお菓子の材料を買いに行ったスーパーだった。バレンタイン前になると妙に値段が釣り上がる製菓用チョコレートに板チョコ、卵を入れれば簡単にできるチョコレートケーキの素、きらきらしてるのに実際に食べてみるとあんまりおいしくないアザラン、これから愛の言葉を紡ぐであろう三色セットのチョコペン。そんなものがバレンタイン特集として目立つように陳列されている、製菓材料コーナー。ウキウキと浮かれた空気を演出するそこに、なんだか不釣り合いな気分でいた時だった。板チョコを砕くか、それともチョコチップを買うか悩んでいる時に、ふいに頭にそんなことが思い浮かんだのだ。ピカッと閃いた時に漫画で描かれる電球マークのように、今まで頭の中にそんなこと欠片もなかったにもかかわらず、神様のお告げのようにその言葉が浮かんだ瞬間から離れなくなった。天啓、なんて格好つけた言葉が、頭をよぎって消えた。

 告白は、生まれてこのかた十六年、一度もしたことがない。

 私は臆病者だ。告白して、相手に期待していた以外の反応を向けられるのが、何より怖い。自分が思っていた以外の感情を見せられるのが、怖い。だから、告白をしなかった。私が告白して関係が壊れるくらいなら、告白なんてしないで同じ距離を保ちたい。同じ距離を保って、もし相手に恋人が出来てしまったとしても、相手が幸せそうならば私も心が温かくなる。だから、それだけで十分な気がした。私に恋情を抱く相手がいるとも思えないし、きっとこの先、こうやって好きになっても何も言わず行動せずを貫いて、そうして相手が幸せになるのを見ているだけだと思っている。相手が幸せになっているのを見て、あたかも自分も幸せになったような気になる、そんな人生。

 そんな私だからこそ、相手が気づきもしないような、そんな告白をしようと思った。相手が気づかなくていい。臆病者の私が、自己満足だとしても気持ちを伝えるという行為をする、それが大事だと思ったから。少しだけ、一歩と言い難いほどの小ささだけど、それでも前進だと思うから。

 自己満足の告白をしようと思ったその意中の人が、前に「甘いものはそんなに得意じゃない」と言っていたことを思い出した。確か、委員会のお疲れ会で担当教員がジュースをおごってくれることになった時。じゃんけんで負けた私とその人が、購買で指定された紙パックジュースを買っていた時のことだ。メモに記されたミックスジュース、ヨーグルト、ミルクティー、レモンティーと順に籠に入れていき、コーヒー牛乳を手に取った瞬間だった。

「もう少し甘さ控えめだったら、選ぶ余地もあったんだけど」

 斜め上から降ってきた言葉が意外で、顔を上げると複雑そうな表情で眉を顰めていた。私が手に持っているコーヒー牛乳に注がれる視線から、納得をする。カフェオレに近い割合で牛乳が入っているそのコーヒー牛乳は、砂糖やガムシロップではなく練乳を使用しているのだ。それも、たっぷりと。コーヒーが好きということは知っていたから、コーヒーは飲みたいけれど甘すぎて飲みたくない、という葛藤がなんとなくわかった。なんて返答したらいいのかと思案する私を気にすることなく、その人は私の手からコーヒー牛乳を抜き取って、籠に入れた。その頃にはもうその人が好きなことを自覚していたから、微かに触れた指先が、燃えるように熱かった記憶がある。メモに書かれたものを全部籠に入れ、最後にその人が自分用にと籠に追加したのは、紙パックジュースと同じ値段の、ブラックの缶コーヒーだった。

 甘いものが苦手なんですか、とは、聞かなかった。見ていたからなんとなく嗜好は知っていた、というのもあったし、ひとりごとのように落とされたその言葉がそれを裏付けていたから。甘いものはあまり得意じゃない、ということを知れただけで、私の心は満足した。一方的な、自己満足の恋。委員会のみんなが待っている教室に戻るまで、気を使ってくれたのか色々と話したけれど、やっぱり私は甘いものが苦手かどうか聞かなかった。教室に戻って、みんなが紙パックの甘ったるいジュースをおいしそうに飲んでいる中、その人がブラックの缶コーヒーをおいしそうに飲んでいるのを見て、満足した。私とは違うものを好んでいるけれど、それでもその人は幸せそうに飲んでいるし、同じ時間と空間を共有できるだけでもう十分と言っていいほど私は満ち足りていた。まだ、深い好きになっていなかったせいもあるから、そんな些細なことで満足していた。

 今の私は、それから半年もたって、少しだけ満足できなくなっている。できれば隣に立って、恋人という関係性を二人の間に見出したい。そんなことができなくても、もう少しだけ、私のことを意識してほしい。ささやかだけど、確かに私の気持ちは成長していた。もう、無視できない程度には大きく育っていた。厄介というほど大きくなってはいないけれど、それでも否定できないほどになっている。

 それでも、臆病者の私は、面と向かって告白をしようとは思えない。卑怯者だから。ずるいから。言い訳はどれだけでも出てくるけれど、その言い訳はどれも私の背中を押すわけではない。むしろ、引き留めてくる。引き留めて、今のままでいいなんて甘い誘惑をして、一歩も動けなくする。

 だから私は、自己満足の告白をしようと思う。相手が気づいてくれる可能性なんて、ほぼゼロに等しい告白を。告白できた、という事実が、私を少しだけ強くすると思うから。

 そう決心して、板チョコとくるみを手に持っていた籠に入れた。



   * * *



 二月十四日、バレンタインデー。

 その日付とその日を象徴する言葉を聞いて、心躍らない人間は少ないのではないだろうか。特に、高校生というステータスを持つ私たちにとっては。誕生日でも記念日でもないのに、誰かにチョコレートを贈り、受け取る日。チョコレート会社の陰謀であるはずなのに、それに乗じて堂々と告白ができる日。学校という空間は、それだけでそわそわと浮足立って、どこか落ち着かない空気に包まれる。

 それはもちろん、私のいる教室も例外じゃなかった。放課後、風紀委員会の会議が行われている教室でも。

仁香きみかちゃん、ハッピーバレンタイン」

「ありがとう。あ、私も。はい、どうぞ」

「やった、チョコチップクッキー! あたし好きなんだ」

「本当? よかった。味はあんまり期待しないでね」

「いやいや、仁香ちゃんのおいしいって知ってるから。あたしの方こそ買ったのでごめんね」

「ううん、チロル好きだから嬉しい」

「きなこもちは神だよねぇ。あっ先輩、ハッピーバレンタイン!」

 委員会会議が終わってすぐ、同じ学年だけど違うクラスの笹島さんから、色鮮やかなチロルチョコの詰め合わせを貰った。きなこもちのが好きだから、単純に嬉しいなと思った。机の横にかけていたたくさんのクッキーがつまった紙袋の端にそれをそっと忍びこませて、積極的に配り歩く笹島さんを見習って席を立った。

 誰が始めたのか知らないけれど、バレンタインデー前後に必ずある委員会会議では、女の子がお菓子を作って男女問わずみんなに配るという習慣があった。一年目の私たちはもちろん知らなくて、年が明けて最初の委員会の後、先輩たちに呼ばれてそれを知った。手作りもよし、買うもよし、とにかくみんなに配って交流を図ること。風紀委員会は所属リピート率が高いから、親交を深めるのと礼を表するのにこの行事はうってつけだった。義理チョコでも楽しんだもの勝ちだと、新年最初の委員会の後、女の子だけを集めて尾本おもと先輩は見惚れるような笑顔で言った。

 私は手始めに、隣の席で片づけをしていた津由つゆ君にクッキーをひとつ、差し出した。

「津由君、はい。いつも助けてくれてありがとう」

「……ああ」

 津由君は隣のクラスの風紀委員で、仕事をする時には私とペアになる相棒だ。態度が怖いと女の子たちの評判はあまりよろしくないけれど、ペアとして行動して、一種の照れのようなものだと知った。津由君は言葉は少ないけれど、私のことをさりげなく助けてくれる優しい人だった。

 大きな手で受け取って、ラッピングされたそれをまじまじと見ている。スヌーピーが食べるような、型抜きしないで作る大きめのチョコチップクッキー。形は少し歪かもしれないけれど、味見しておいしかったと自分でも思う。それは私の腕がいいんじゃなくて、レシピが素晴らしいから。津由君が少しだけ眉根を寄せたのに気づいて、失敗したかな、と不安になる。

「……甘いの、苦手だった?」

「少し。でも、嫌いじゃない」

 津田君、たぶん無理してる。甘いの苦手だったんだ。悲しい気分になったけれど、それを見せないように無理矢理笑って、急くように言葉を紡ぐ。

「あの、甘かったら、食べなくてもいいから。嫌だったら、捨てちゃっても」

「いや、そんなことしない。食べる。……ありがとう」

「どう、いたしまして」

 こちらに視線を移した津田君の眉間の皺が消えて、少しだけ口角が上がった。切れ長の目も僅かだけど細められている。ほぼ一年、一緒にいたからなんとなく笑ってくれたのがわかった。いつも難しそうに眉間に縦皺をくっきりと浮かべているからとっつきにくいけれど、私でもわかるような表情の変化が嬉しい。たぶん気を使ってくれたんだろうけど、それでも心がじんわりとあったかくなる。優しいなぁ、やっぱり。

 他の人にも配らなければという任務を思い出して、同じ学年の人から順番に回った。女の子とは交換する形で、男の子にはお礼を添えて渡す形で。クッキーが減って、かわりに貰ったものが増えていく。紙袋の中は色々な色が溢れてカラフルだった。貰って早速開封している人もいるから、教室全体が甘い匂いに満たされてなんだか自然と楽しくなってくる。中学校の頃は告白なんて考えたこともなかったから、女の子同士で友チョコを交換するくらいだった。だから、委員会内だけだとしても、こんなにたくさんの人に作って渡すことは初めてで。何度もオーブンでクッキーを焼くのは大変だったけれど、ラッピングしているうちに何だか楽しくなっていた。

 みんな配り歩いているからか、結構テンポよく渡していけた。最後に残ったのは、クッキーの包みがひとつと、もうひとつ。最後に渡そうと思って、残しておいた二人分。教卓のところで、仲睦まじい様子で言葉を交わす男女。尾本先輩はとても美人だし、優しいし、素敵だし。水主みずし委員長は理知的でかっこいいし、さりげなく優しいし、気がきくし。二人とも互いを思い合っているのがよくわかって、外見も互いに引けを取らないくらい申し分なくて、とてもお似合いの二人だ。そんな二人の空気を壊すのがなんだか申し訳ないような気がして、最後に回してしまっていた。大好きな先輩と、これから告白をする相手。私は軽く深呼吸して、勇気を体中からかき集めた。

「あら、仁香ちゃん」

「尾本先輩、どうぞ」

「わたしに? 嬉しいわ、ありがとう!」

 先輩はクッキーを持ったまま、いつもみたいに私を抱き締めた。尾本先輩からは花に似たいいにおいがして、その腕は細いのに離さないようしっかりと私を囲んでいて、なんだかくらくらする。ぎゅうぎゅうと力強く抱き締められて、先輩に包みこまれるのは嫌じゃないけれど、気恥ずかしかった。腕をどうしたらいいのかわからなくて、いつも流されてされるがままになってしまうけれど。

「ああああっあの、いつもありがとうございます」

「ううん、いいの、大好きな仁香ちゃんのためだもの。あーかわいい、もう食べちゃいたいくらい」

 頭ひとつ分大きい尾本先輩は、私を抱きしめるとそのきめ細かい頬を頭にすりすりとしてくるのが常だった。今日もその例にもれず、すりすりとされてしまう。この尾本先輩からの激しいスキンシップはもはや恒例行事となっていて、私はよく尾本先輩に抱き締められたり頭を撫でられたりしていた。委員会はもちろん、高校内でも地味に知れ渡っていて、尾本先輩が溺愛する後輩、ってことになっている。その噂を知った時はびっくりしたけれど、普段はマリア様のように優しく平等に微笑みかけてくれる尾本先輩が私をかわいがってくれるのは、全然嫌じゃなかった。私も、優しいこの先輩のことを慕っているから。どんな形であれ、自分が慕っている人に好かれるのは嬉しい。

「泉、その辺りでやめておけよ。ゆずりはが苦しそうだ」

「セイちゃんうるさい。仁香ちゃんに体一杯の喜びを伝えているだけなのに」

「お、尾本先輩に喜んでもらえて私も嬉しいです」

 尾本先輩の隣にいた水主委員長の苦笑交じりの言葉で、包囲網がほんの少しだけゆるめられる。それでも尾本先輩の腕は私の腰と背中に回っていたし、距離はゼロと言っていいほど密着している。尾本先輩は不満そうに水主委員長に文句を言ったけれど、私もこれは近すぎると思う。

 やっとゆるめられた腕の中から窺うように顔を上げれば、美しさに目がくらみそうなほどの至近距離で、とろけるような極上の笑みを浮かべた尾本先輩と目が合う。もともと容姿のいい人だということもあって、愛しいものを見るような目に私は簡単に翻弄される。気恥ずかしくなって視線を逸らそうとしたら、尾本先輩は少しだけ拗ねたように唇を尖らせた。

「尾本じゃないでしょ、仁香ちゃん。泉よ、い・ず・み」

「いちいち強要してやるなよ……」

「いちいちうるさいわよ、セイちゃんは。泉って呼んでくれなきゃ放してあげないんだから」

「う、あ、あの、いっ……ぃずみ、せんぱいっ」

「仁香ちゃんかわいい……っ! かわいすぎるわ! さてはわたしのこと萌え殺すつもりなのねそうなのね! 仁香ちゃんになら本望っ!」

「おい、余計に絞めてどうするんだ」

 気心が知れた仲だからか、水主委員長は尾本先輩にだけは思ったことをぽんぽんと気兼ねなく言っている……気がする。私の観察から導き出した結果なんだけど。でも、いつも物腰柔らかで人当たりのいい水主委員長からすると、かなり気を許していると思う。前に先輩と廊下ですれ違った時に見かけた、男友達と話している時と同じかそれくらいの気さくな態度だから。水主委員長は性別年齢に関係なく基本的に名字で相手を呼ぶのに、尾本先輩に限っては「泉」って下の名前を呼んでるし、尾本先輩も「セイちゃん」って水主委員長の下の名前である清一せいいちを使ったニックネームで呼んでる。委員長と副委員長、というだけでは片づけられないくらい親密で、でも私は二人とも別の意味で好きで。特に尾本先輩は私を殊の外かわいがってくれていて。だから、恋敵のカテゴリに振り分けられるはずの尾本先輩を嫌いになることも、距離を置くこともできなかった。距離を置く以前に、尾本先輩から近寄ってきて構い倒されるから。それでも私は、水主先輩が楽しそうにしてくれていたら、それで満足できる気がした。今までだってできたのだから、今更できなくなるなんてことはないと思う。それでも、私じゃない誰かに笑いかけたり楽しげにしている様子を見て、ちくりと心が痛むのは、否定できなかった。

 すっぽりと抱きこんでいた尾本先輩の手が、不満げに私の体を解放した。ちくりとした心を隠して、私は笑顔になった。紙袋の中に残された、最後のひとつを手にとって。

「あの、水主委員長。いつもありがとうございます」

「俺にもくれるの? ありがとう、楪」

 手が震えなかったのが、奇跡に思えた。柔らかな笑みを浮かべてくれた水主委員長の顔を見て、私はもう幸せすぎて死んでもいいとさえ思えたから。自己満足の告白という最大のミッションをクリアーした私は、今ならラスボスを倒した勇者と手を取り合って達成感とともに喜びあえる気がした。

「あら、セイちゃんのはクッキーじゃないのね?」

 水主委員長の手元を覗いた尾本先輩が呟いた言葉に、どきりと心臓が跳ねる。口の中が乾いて、ふわふわとした高揚感は瞬時に霧散した。本当だ、と尾本先輩に渡したものと見比べる水主委員長。どうしたらいいのか混乱し、とりあえず何か言おうと開いた口からは思ってもみない言葉が滑り出てきた。

「み、水主委員長、甘いものが苦手って、前に言ってたの、で」

 鳩に豆鉄砲、という言葉がぴったりの表情になる水主委員長。その横で、訝しげに眉を動かす尾本先輩。もう口から出てしまった言葉は、なかったことにはできない。私は理由の一端でもあるそれを懸命に説明することにした。

「あっあの、前、一緒にジュースを買いに行った時、ブラックのコーヒーだったから……」

「あー……ああ、お疲れ会の時か。よく覚えてたね、楪」

「だから、その、クッキーだと甘いので……お砂糖減らして、ビターチョコで作ったんです」

「ああ、なるほど。助かるよ」

 実はみんなから甘いのばっかりもらって、ちょっと困ってたんだ。

 そう言って苦笑いする水主先輩に、私は目を奪われた。ノンフレームの眼鏡の下で困ったように目が細められていたけれど、それでも水主委員長は嬉しさの混ざった笑顔でいたから。苦手なものを貰っても、気持ちがたくさん籠められたそれを貰うのは満更ではないんだろうな。水主委員長ばかりを見ていた私は、この時、尾本先輩がどんな表情で私たちを見ていたのかこれっぽっちも知らなかった。

「ありがとう、楪」

 もう一度お礼を言われ、私は恐縮しながらその場を去ろうとした瞬間。

「……わたしも食べたいわ、それ」

「えっ……」

「いいなぁ、ブラウニー。ねえ仁香ちゃん、わたしの分はないのかしら?」

 私を再び腕の中に囲いこんで、後ろから先輩が耳元で囁いた。耳に熱い息がかかって、ぞくりとする。逃げられないように固定された肩が跳ねたのが面白いのか、尾本先輩はそのまま言葉を続けるものだから、私は痙攣するように無様に反応するしかなかった。

「あっあのっ、尾本せんぱ」

「い・ず・み、でしょ?」

「……泉先輩、は、甘いの大好きだって聞いていたので……すみません」

 気がきかなくて情けないと項垂れると、尾本先輩はくすりと笑って、ぎゅっと一度力強く抱きしめてきた。後ろから抱かれているものだから、先輩の表情が見えない。首筋や肩にさらさらとした先輩の長い髪が当たるから、きっと顔は耳に近いままだと思う。私の耳は尾本先輩の呼吸音すらも拾ってしまって、背中に感じる体温が妙にあたたかくて、緊張して体が硬くなる。

「今度、わたしにも食べさせてね? セイちゃんにだけなんてずるいわ」

「は、はい」

 私ががくがくと壊れた首振り人形のように何度も頷くと、尾本先輩は満足したのかようやく腕を離してくれた。解放された私は振り向いて勢いよく頭を下げると、それこそ逃げるようにして二人の前から足早に去った。なんだか恥ずかしくて、水主委員長の顔はもちろん、尾本先輩の顔もよく見られなかったのだ。

 自己満足の告白は、こうして水主先輩に気づかれることもなく、実にあっけなく幕を閉じた。私は前と変わらず尾本先輩に激しいスキンシップをされ、水主委員長を見ては幸せを祈るだけの、地味な片思いを続けている。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ