うん、この世界滅ぼそう—外伝—聖女デカパイ・モン・デ・ミーナ
魔王ベンピー・デ・キレヂーによる世界滅亡の危機から、三ヶ月。
世界には平和が戻っていた。
人間と魔族の間には交易路が開かれ、魔族領では今日も食物繊維の摂取が奨励されている。
そして、世界を救った聖女デカパイ・モン・デ・ミーナもまた、ヒンヌー教総本山へと帰還していた。
「デカパイよ。」
大神官が厳かに告げる。
「魔王との戦い、誠にご苦労であった。」
「ありがとうございます。」
「勇者ゲイリー・ベーンを支え、人類を滅亡から救った功績。神もお喜びであろう。」
「はい。」
「ただ……」
大神官の視線が下がった。
つられてデカパイも下を見る。
そこには。
あった。
「……やはり、大きいな。」
「三ヶ月ぶりに帰ってきた私に最初に言うことがそれですか?」
ヒンヌー教。
——《胸は慎ましきほど神に近し》
その教義は、世界が救われようと変わらなかった。
デカパイは世界を救った。
しかし、乳房は小さくならなかったのである。
「ともかく、少し休みなさい。」
「はい。」
「それから明日、ホウマン教の使節が来る。」
その名を聞いた途端、デカパイの表情が変わった。
ホウマン教。
ヒンヌー教とは千年以上にわたり対立を続ける宗派である。
その教義は単純明快。
——《豊満なる肉体にこそ、神の慈愛は満ちる》
太いほど尊い。
柔らかいほど美しい。
そして何より、胸は大きければ大きいほど神に近い。
ヒンヌー教とは、何一つ分かり合えなかった。
*
翌日。
デカパイは、その女と出会った。
「ホウマン教より参りました。」
女は優雅に一礼した。
「聖女、チチデカーノ・パイパイボイーンと申します。」
デカパイは息を呑んだ。
大きい。
自分より。
明確に。
「……負けた。」
「何がです?」
「いえ。」
年齢は自分より少し上だろう。
穏やかな顔立ちに、腰まで伸びた金色の髪。そして、豊満という言葉をそのまま人間にしたかのような身体。
ホウマン教の神官たちは、彼女を見るたびに拝んでいた。
「なんと神々しい……」
「まさしく神に愛されし御姿……」
「ありがたや……」
デカパイは眉をひそめた。
気に入らなかった。
自分は同じ身体の特徴によって疎まれてきたというのに、この女はそれだけで崇められている。
「あなたがデカパイ様ですね。」
チチデカーノが微笑む。
「お噂はかねがね。」
「どんな噂です?」
「ヒンヌー教にあるまじき豊満さを誇る聖女だと。」
「喧嘩売ってます?」
「褒めています。」
「あなた方の宗派ではそうでしょうね。」
二人は笑顔で見つめ合った。
互いに一歩も譲らなかった。
こうして、二人の聖女は最悪の出会いを果たした。
*
転機が訪れたのは、その日の夜だった。
会談を終えたチチデカーノが帰路についた直後、馬車が魔物に襲撃されたのである。
デカパイが駆けつけた時には、護衛の神官たちは倒れ、巨大な魔獣がチチデカーノへ迫っていた。
「伏せて!」
デカパイの杖から閃光が迸り、神聖魔法が魔獣を吹き飛ばした。
「なぜ……」
「話は後です!」
二人は背中を合わせた。
デカパイが結界を張り、チチデカーノが傷ついた者を癒す。
驚くほど息が合った。
やがて最後の魔獣が倒れ、辺りに静寂が戻った。
だが、その時だった。
「チチデカーノ様!」
神官の悲鳴が響く。
倒したはずの魔獣が、再び立ち上がっていた。
巨大な爪が振り下ろされる。
デカパイは考えるより早く、チチデカーノを突き飛ばした。
鮮血が舞った。
*
目を覚ました時、デカパイは小さな宿屋のベッドにいた。
「……ここは。」
「動かないでください。」
傍らにはチチデカーノが座っていた。
「傷は塞ぎました。しかし、血を失っています。」
「皆さんは?」
「無事です。」
「そうですか……」
デカパイは安堵し、静かに目を閉じた。
しばらく沈黙が続いた後、チチデカーノが口を開いた。
「なぜです?」
「何がですか。」
「私を庇ったでしょう。」
「目の前にいたからです。」
「私はホウマン教の聖女ですよ。」
デカパイは目を開けた。
「だから?」
チチデカーノが言葉を失う。
「宗教が違えば、見殺しにしていいんですか?」
「……あなたは、不思議な人ですね。」
「よく言われます。」
「それに……」
チチデカーノは小さく笑った。
「とても美しい。」
「…………」
デカパイの眉間に皺が寄る。
「また胸の話ですか?」
「いいえ。」
即答だった。
思わずデカパイは彼女を見る。
「あなたのことです。」
その言葉に、なぜか何も返せなかった。
*
それから数日、チチデカーノはデカパイの看病を続けた。
話してみれば、不思議と気が合った。
好きな食べ物や苦手な朝のこと。聖女としての愚痴や、神官長への不満。
そして、身体のこと。
「羨ましかったんです。」
ある夜、チチデカーノがぽつりと言った。
「私が?」
「ええ。」
デカパイには理解できなかった。
「私はこの身体のせいで、ずっと教団で浮いてきました。」
「知っています。」
「あなたは違うでしょう。教義そのものみたいな身体じゃないですか。」
「だからです。」
チチデカーノは、自分の胸元へ視線を落とした。
「私は幼い頃から、何をしても褒められました。」
魔法を覚えれば、神に愛されているから。
試験で首席を取れば、神に選ばれているから。
困っている者を救えば、さすが豊満なる聖女。
「誰も私が努力したとは言ってくれませんでした。」
その声は静かだった。
「私ではなく、この身体が聖女になったみたいでしょう?」
デカパイは何も言えなかった。
初めて、目の前の女が自分と同じに見えた。
自分は身体を否定されてきた。
彼女は身体を崇められてきた。
正反対だった。
けれど、二人とも自分自身を見てもらえなかった。
「私は……」
チチデカーノが続ける。
「あなたが羨ましい。」
「どうして。」
「あなたは、その身体を否定されながら聖女になった。」
デカパイの目が見開かれる。
「あなたの魔法も。あなたの優しさも。あなたが世界を救ったことも。その胸が成し遂げたことではありません。」
チチデカーノは微笑んだ。
「全部、あなたが成し遂げたことでしょう?」
デカパイは俯いた。
そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。
*
一ヶ月後。
二人は頻繁に会うようになっていた。
表向きは宗教間対話。
実態は、お茶を飲んでくだらない話をするだけだった。
デカパイはチチデカーノの笑い方が好きになった。
チチデカーノはデカパイの真っ直ぐなところが好きになった。
そして二人とも、その感情の名前にとうに気づいていた。
問題は、周囲も気づいたことである。
「認められん!!」
ヒンヌー教大神官の怒声が響いた。
「よりによってホウマン教の聖女など!」
同日、ホウマン教でも。
「認められませんぞ!!」
大神官が机を叩いた。
「よりによって貧乳を神聖視する邪教の女など!」
そして翌日。
デカパイとチチデカーノは、街外れで落ち合った。
「どうします?」
デカパイが尋ねる。
「決まっています。」
チチデカーノは微笑み、そっと手を差し出した。
デカパイは、その手を取った。
二人は逃げた。
*
夕暮れ。
二人は小高い丘へ辿り着いた。
奇しくもそこは、かつて勇者ゲイリー・ベーンがデカパイへ想いを告げた場所だった。
あの日のことを思い出す。
彼はいい人だった。
勇敢だった。
優しかった。
ただ。
漏らした。
今でも男性から好意を向けられると、デカパイは時折思う。
この人もいつか、大切な場面で漏らすのではないか、と。
「どうしました?」
チチデカーノが尋ねる。
「いえ。昔のことを少し。」
デカパイは夕日を見つめた。
そして、彼女へ向き直った。
「チチデカーノ。」
「はい。」
「私はあなたが好きです。」
風が吹いた。
「ホウマン教の聖女だからじゃない。」
デカパイは続ける。
「その身体だからでもない。」
チチデカーノの瞳が揺れる。
「あなたが、あなた自身を見てほしかったように。」
一歩、近づく。
「私は、あなた自身が好きです。」
チチデカーノはしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく微笑む。
「ずるい人ですね。」
「え?」
「それは、私が言いたかったのに。」
彼女も一歩、近づいた。
「私もあなたが好きです。デカパイ。」
初めてだった。
自分の名前を呼ばれて、こんなにも嬉しいと思ったのは。
二人の距離が縮まる。
そして、唇が重なった。
短い、触れるだけの口づけだった。
胸の大きさなど関係なかった。
ヒンヌーも、ホウマンも。
神の教えさえも。
今だけは、どうでもよかった。
「デカパイさまああああああ!!」
遠くから声がした。
二人が振り返ると、丘の下から大勢のヒンヌー教徒が走ってきていた。
「お戻りくださいいいいい!!」
反対側からも声がする。
「チチデカーノさまああああ!!」
ホウマン教徒だった。
「そのヒンヌーの女から離れてくだされええええ!!」
二人は顔を見合わせた。
そして、笑った。
「行きましょうか。」
「どこへ?」
「どこでも。」
デカパイは答えた。
「二人なら。」
チチデカーノが笑う。
二人は手を繋ぎ、走り出した。
かつて、ヒンヌー教は説いた。
慎ましき胸にこそ神は宿る、と。
ホウマン教は説いた。
豊満なる身体にこそ神は宿る、と。
千年にわたり、二つの宗教はどちらが正しいのか争い続けた。
だが、二人の聖女はそのどちらも選ばなかった。
胸が大きかろうと、小さかろうと。
そんなものに、人を愛する資格を決めさせはしない。
神が何と言おうとも。
教典に何と書かれていようとも。
自分が誰を愛するのかくらい、自分で決めればいい。
こうして、世界を救った聖女デカパイ・モン・デ・ミーナと、神に愛された聖女チチデカーノ・パイパイボイーンは。
二人揃って、神様に中指を立てた。
後世、二人の逃避行は宗教史を大きく変えることになる。
ヒンヌー教とホウマン教。
千年続いた両宗派の対立は、二人の聖女を連れ戻すという共通目的によって、皮肉にも初めて協力関係を築いたのである。
それが後に歴史的和解へ繋がるのだが。
それはまた、別の話である。
ちなみに。
その頃。
勇者ゲイリー・ベーンは故郷の村で腹を下していた。




