~旅は続く~「夜の果ての旅」ルイ・フェルディナン・セリーヌ | 訳:生田耕作 | 夜の果ては、果たして何処に?暗い夜を旅する、その果てまで、尽きるまでー
~旅は続く~「夜の果ての旅」ルイ・フェルディナン・セリーヌ | 訳:生田耕作
セリーヌは現代というよりも近代ですが、 とにかく何度も読みました。
学生の頃に、赤線を引きながら読み耽りました。
赤線を引いた箇所は、ノートに書き写しました。
結構、いえ、かなり陰鬱な雰囲気の重苦しい作品かな、
とは思いますが(笑)、20歳の頃の私にとっては「心の友」でした。
ほんの少しでも、誰かの心にビビッと響いたら嬉しいなー、
なんて思いまして、徒然なるままに書いてみました。
引用をいくつかしていますので、そこでビビッ!
としたら、心より嬉しい限りです。
心の旅が好きな方、
憂いと哀しみに浸るのが好きな方、
斜めに見るのが好みの方、
どうぞお気軽にお立ち寄りくださいませ。
セリーヌを読み耽っていたのは、学生の頃。
20歳頃の私は、いつもどこか冷めていて、
いつも何かを憂えていた。
絶えず、どこかへ行きたい気持ちが疼うずいていた。
「旅」が好きだった。
タイトルからぐいぐい惹かれた。
「世の果ての旅」
夜の果てまでの旅?
果たして何処に?
暗い夜を旅する
その果てまで
尽きるまでー
しびれた。
何度も読んだ。
赤線を引きながら読み耽った。
赤線を引いた箇所は、ノートに書き写していた。
そのノートは今でも手元にある。
ほんのわずかでも、
誰かの心に静かに響くといいな、
そんな思いが、ふと。
古びたノートに書き写された文章を引用しながら、
20歳の頃の追憶を少しばかり混ぜたりしながら、
「夜の果ての旅」について書いてみる。
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「自分に愛想をつかすのは容易なことじゃない。
なにもかも中止して
もう一度じっくり考えてみたい気持ちにさそわれる。
自分の中で心臓がゆっくり打つ音を聞いてみたい。」
「僕はたえず自分がからっぽになることを、
つまり存在する真剣な理由が
何ひとつなくなることを恐れつづけてきた。
いまや現実は、しなれたみみっちい環境とは、
あまりにかけ離れすぎた。
この境遇の中で、僕はみるみる溶け去っていくようだった。
今にも自分が存在しなくなりそうだった。
あっさり跡形もなく。
つまり、わかりだしたが、
自分に向かってなじみの事柄を話しかける人間がいなくなると、
もう僕はどうしようもない一種の倦怠の中に、
いわば、じわじわした、恐ろしい魂の破局の中に
沈みこまずにおれないのだ。やりきれない体験だった。」
「僕たちは自分が所有しているものしか、
本当に知ることはできないし、
また、所有しているものからしか、
解放されることはできないのだ。
僕の場合は、さんざん夢を抱き、
失った結果、根性はすっかりひび割れ、
寒々とした隙間風にさらされ、醜くねじれてしまっていた。」
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翻訳が一切の文句なく素晴らしい。
生田耕作先生はたくさんの翻訳を残されているけれど、
翻訳とは全く別の、一つの作品のようになる。
「眼球譚/マダム・エドワルダ」(ジョルジュ・バタイユ)を読んだ時、
「これが、本当に翻訳文なの?」
感銘とともに衝撃だった記憶が今でも鮮明に。
ジョルジュ・バタイユの「エロティシズム」については、
いつか、じっくりと書きたいと思っていたりする。
こちらの訳は、なんと澁澤龍彦!
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「夜の果ての旅」の立派な原書が今でも手元にある。
フランス人の友人から、プレゼントでもらった思い出の原書だ。
A4サイズより少し大き目、
厚さは3cmを超えているゴージャスな代物。
挿絵がたくさんあり、独特の雰囲気がたまらない。
どれも白黒で影が濃く、どこか陰鬱で、もの悲しい。
セリーヌの世界の“夜の温度”が、
挿絵のひとつひとつから浮かび上がってくる、
重くて、静かな世界のー。
「疲労と孤独の中では、神々しさが人間の外部に浮かび上がるのだ。」
「こんどばかりは苦痛を、真の苦痛を覚えた。
みんなに対して、
自分に対して、
彼女に対して、
全ての人間に対して。
僕らが一生通じてさがし求めるものは、
たぶん、これなのだ。
ただ、これだけなのだ。
つまり、生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。」
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日本語の文庫は、長い年月を旅してきた紙の色になったが、
何回かの引っ越しで行方不明になり、かなり昔に買いなおした。
赤線が引いてないバージョンは、何か足りないというか、
何かを忘れてしまったような感じが否めない。
かなり黄ばんでいるけれど、また読んでみようか、
つい数日前に思った。
今のワタシの新たな旅が始まるかもしれない。
横浜駅のホームで電車を待ちながら、
立ったまま読み耽っている20歳の自分ー
今でも鮮明に思い出せる。
あの頃の自分は、
まだ胸の奥にいる。
記憶を辿りながら、 旅は続く。
20歳のワタシ、
今のワタシ、
それぞれの道へ
~おわり~




