純粋という言葉は世間知らずだと罵るために存在する
今年もやってきてしまったクリスマス・イブ。スズキは最低限のものしか揃っていない部屋で何をするでもなく、布団に寝転がりただ一点、天井を眺めている。
「ああ、暇だ〜」
やっと言葉を発したかと思えば、これだ。恋人たちがクリスマスに彩られた街でショッピングをしている時に、ただ一人部屋で天井を眺めているだけ。
こうなったのも、先日たまたま買い物に出たときに、全財産の給料袋をどこかに落としてきたためだ。そりゃ暇だろうな。
「なんか楽しそうなことないかなあ」
スズキはゴロゴロと転がりながら部屋を往復した。「暇だ暇だ」と連呼しながら、二十代後半の成人男性が幼児退行していく。これのどこに需要があるのか、見るに堪えない。
1分弱程騒いだ頃だろうか。スズキの動きが突然ぴたりと止まった。彼にとある考えが過ぎったのだ。それは、クリスマスの悲劇を描いた有名な童話、『マッチ売りの少女』を真似てみようというもの。マッチを持って街を練り歩くだけなら、青い制服に身を包んだ強面なお兄さんたちと、白黒ツートーンのお洒落なセダンでドライブデートするだけなので、ギリギリセーフ(?)と言ったところか。いや、こいつがそんな発想で終わるはずがないか……
* :・-----・: *
佐原はついに我慢できなくなり、勢いよく窓を開けた。
「お前は何がしたいんだ!」
声を荒げる佐原の姿を、スズキはぽかんとして見つめる。
「俺が突然騒ぎだしたみたいな、その表情辞めろ!」
スズキはそんな顔していただろうかと、怪訝そうに自身の顔を触って「えっ?」と言いたそうに佐原に向き直した。その行動で余計に腹を立てた佐原が拳を振り下ろす。
避ける気も無かったスズキは、想像以上の痛みに頭を押さえ涙目になった。暴力反対だと顔を上げるスズキに、佐原は全てを諦め、呆れた調子でため息を漏らす。
「てか、表情だけで意思疎通を取ろうとするな。そろそろ喋ろよ。」
「あっ」
本当に忘れていたのか、スズキはやっと声を出した。そこに佐原が疑問を投げかける。
「お前今何やってた?」
スズキが、え?そんなの当然見れば分かるでしょ?と、太々しい顔をしたかと思えば、佐原はふざけるなよと拳を握り直し、深い笑顔を見せた。佐原の拳に反射的に顔を覆ったスズキが答える。
「マッチ売りの少女ごっこだけど?」
スズキは佐原がその扉を開けるまでずっと、灯したマッチを片手に持ち、そのマッチの火に独り言をかけるという、精神疾患患者のような奇行を繰り返していた。それをマッチ売りの少女ごっこと言うスズキに、佐原は「何言ってんだ」と聞き返したい気持ちを必死に抑えた。
「その行動の目的は?」
「同情を誘ってタダ飯を食らうため」
悪びれる様子もなくスラスラと答えるスズキに、佐原は頭を押さえた。正直なところ、二十代後半の成人男性が他人の家の窓前でマッチを灯して独り言とは、知り合いでなければ即刻通報案件である。
呆れた佐原がスズキに告げた。
「部屋の中で独り言を呟いてるだけじゃ誰も気づかないだろ。」
本当にそのとおりである。
「確かに!」
流石スズキだ。今気づいたらしい。ということは――
「じゃあ俺外に行ってくるわ!」
勢いよく部屋を後にしようと、スズキは走り出した。のを、佐原がスズキの後襟を捕まえて阻止する。
「おい待て、そんな恰好でマッチだけ持ってたら、放火魔だと勘違いされるだろ!」
どう見ても部屋着の格好にひげも整えていない男が街中にいるとなれば、やはり青い制服に身を包んだ――(以下略)だろう。
ため息を吐いてスズキの襟から手を離した佐原は、気が緩んだことで邪悪な考えが浮かんできた。
「なあ、お前、タダ飯が食いたいんだよな?」
馬鹿でもこの提案がマズいことだとは分かったみたいだ。
「え、あ、いや……」
スズキの目が見事なバタフライをしている。佐原はそんなことなどお構いなしに、一度離した襟を掴みなおした。
自室で独り言を呟いていた奴の悲鳴など、周りの住人は気にすることもなかった。
* :・-----・: *
人の通りが多いワカサギ商店街の入り口付近に、身に覚えのある奴の姿が見える。
世間が浮かれるクリスマス。カップルや家族連れが商店街を出入りしていた。その分、ポイ捨てや、自転車と歩行者との衝突事故が増えてしまう。中には既に忘年会をしている団体も少なくない。酔っ払いが商店街で爆睡をかますケースもあるのだ。まだ時間は日中であるため、酔っ払いは少ないが、それらを防ぐため、スズキは派遣された。スズキが心から望んだタダ飯のために。
商店街は住宅街のど真ん中にあり、周りの住宅街のアパートなどは、ほとんどが佐原不動産の管轄だ。そして、この時期の住宅近辺での見回りを強化するように、佐原不動産と提携している佐原管理事務所に依頼が入る。佐原の勤めている管理事務所にだ。しかし、事務所の定休日は水曜日。そして、今日は水曜日。佐原は、丁度いいところに見つけた暇人に、治安維持のための見回りを全て任せたのだ。
なんの問題もないだろう。本来はやらなくていい定休日に見回りをすることで、地域住民は助かる。休日に出勤する必要がないため、管理事務所の社員も助かる。そして、社会不適合者の男が、社会に貢献できる機会を与えられている。win-winどころか、win-win-winな関係である。何故か一人だけ不満げな顔をしているが、まあ、大丈夫だろう。
スズキはトングとビニール袋を持って、商店街の周りのゴミ拾いをしている。ゴミはそこまで多くはないが、自転車で商店街を走っている人たちへの声かけが難しい。鋼の意思で絶対に自転車から降りようとしない奴や、道路でも走っているのかと思うほどのスピードで自転車をこいでいる奴もいる。それを人混みの中で注意することは容易ではない。トリッキーの権化のようなスズキでも、奴らを止めることは出来ない。
そう。出来ないので、スズキは出来るようにした。
「ぢょっど、お゛兄゛さーん!!!」
自転車をこいでいるサラリーマンが振り返ると、後ろからはバケモノのような顔をした男が自転車の背後を追いかけてくる。右手には凶器のトング、左手には死体を詰めることの出来そうな袋を持った男が。自転車に乗ったサラリーマンは、そのバケモノを見た影響か、動揺してハンドルを無茶な方向に切ろうとして転倒。幸いなことに、通行人がけがを負うことはなかった。
周りを歩いている人は、大丈夫かなと言いながら通り過ぎる者、なんて迷惑なと睨みつける者など、様々な反応を見せた。サラリーマンは衆目にさらされた恥ずかしさと、変な男に追いかけられた恐怖で、半泣き状態だ。そんなサラリーマンに声をかける男がいた。
「お兄さん、今日は人が多いから、商店街を通るときは自転車を押してね。」
そこには、先ほどのバケモノが。スズキは、寒さでグズグズの鼻を啜りながら、くぐもった声で自転車をついに止めた。
スズキは気づいたのだ。珍しく。自転車の真後ろには人がいないと。そこで出した答えはただ一つ。自転車の真後ろを全速力で追いかければいいのだ。うん、これぞスズキクオリティー。
寒さに弱いスズキが様々な自転車を追いかけ始めて約40分。鼻水は止まらず、自転車も止まらない。故に鼻水を我慢した気色の悪い顔で、自転車の後ろを付け回していた。佐原の采配により放火魔容疑を逃れたスズキだったが、たった今、不審者として通報されそうになっている。
スズキに追いかけられた哀れなサラリーマンは、スズキの顔を直視できず、「ごめんなさーい!」と一言残して、自転車を押して走り去っていった。なぜかスズキは達成感を感じたような顔で、鼻をすする。スズキはルンルンした顔でゴミ拾いに戻った。
スズキが見回りを始めてから5時間。背後から声が聞こえた。
「おいお前、なにやってんだ?」
佐原の目の前には、スズキが自転車で走行する高校生カップルを襲っている様子が映っている。スズキは背後から声をかけた佐原の姿を見て、褒めて!と言いたそうな声色で返事をした。
「佐原!自転車に乗ってたから、降りるように注意してた!」
「俺の目には高校生を襲ってるおっさんが映っているんだが?」
解せない状況に佐原は眉を寄せる。佐原がスズキの注意を引いている内に、高校生カップルはそそくさと姿を消した。
佐原は「やっぱり人選ミスだったか?」と、独り言をし始め、スズキは理解が追い付いていないのか、首をかしげる。その様子に、考えても仕方ないかと、佐原はスズキの手を引いた。
「まあいい。今日の勤務はここまでだ。さあ、帰るぞ。」
スズキは、佐原が迎えに来てくれたこと、そして一緒に帰れることにスズキは飛び跳ねた。
商店街の中を通り、スズキたちが住むアパートに帰る。商店街の中の店舗は、いくつかがシャッターを既に閉めている。冬の時期の夕方は夜かと思えるほどに暗い。その中を、二人で手をつないで歩いている。スズキは考えることなく、手を引かれるままに真っすぐ歩いた。
商店街の入り口に近づいている。スズキはそのまま真っすぐ歩こうとした。が、横に手を引かれ、危うく転ぶところだった。スズキは道の脇に行こうとした佐原の顔を見た。佐原は不思議そうにスズキを見る。
「何してるんだ。タダ飯が食いたいんだろ?」
佐原が入ろうとしていたのは、商店街にあるスーパーだった。そして、店の前には見覚えのあるエプロン姿の女性がいた。
「鈴木君。今日はみんなですき焼きにしましょう?」
彼女は伊藤イワナさん。スズキの隣の部屋に住む主婦の女性だ。イワナさんは優しく微笑み、スーパーに入っていく。
「ほら、俺たちも行くぞ。」
それに続いて佐原とスズキも店の中に入った。
イワナさんは先に入ってすき焼きに使う具材を選んでくれている。
「野菜は何を入れようかしら。二人は好きなものとかある?」
白菜を手に、イワナは後ろをついてきていた二人に話しかける。
「俺はネギと豆腐、しらたきは入れたいですね。」
「そうだった!ネギを忘れてたわね!」
朗らかなイワナさんと佐原は、楽しそうに具材を選んでいる。
そこに、スズキが割って入った。
「俺はチャーハンが好き!」
そんなスズキの意味の分からない発言にも、イワナさんは優しく笑って答えた。
「やっぱり鈴木君って面白いわよね。今度はみんなでチャーハンを食べましょうね。」
スズキは「うん!」と元気よく返し、完全に小学生とお母さんの図だ。
佐原は困ったような表情で二人の後姿を見ながら、満足そうに息を吐いた。
* :・-----・: *
大量の荷物を持って帰ってきた三人は、佐原の部屋に入った。既にガスコンロがリビングの机の上に用意されている。その上ですき焼きを調理しながら食べる腹積もりなのだろう。
イワナさんは部屋に入ると、袖をまくった。
「ちょっとキッチンを借りるわね。」
イワナさんは野菜の入った買い物袋を手に、キッチンへ向かう。
「はい、お願いします。」
佐原はキッチンを案内した。佐原もスズキも料理経験がゼロに等しい。そんな二人は戦力外だ。鈴木なんか、まだ火もついていないガスコンロ前でよだれを垂らしている。用意が良すぎんだろ!
キッチンからはトントンと小気味のいい包丁を振るう音が聞こえる。そこにザクザクと野菜の切れる音も重なり、ワクワク感が増す。2分程度経ったところで、準備が終わったのか、キッチンから声がする。
「二人とも、残りの具材を持ってきてもらえる?」
取り皿や箸を机に並べていた佐原は、「はい。」と机に食器を置いて、買い物袋を取ろうとした。
「ありがとう鈴木君。」
佐原が買い物袋を取りに行こうとしたときには、既にスズキが食材を届けていた。どれだけお腹がすいているのか。
結局、食器を並べることにした佐原は、二人が鍋を持って来るのを待った。
「じゃあお鍋を持っていくわね。」
イワナさんが鍋を持ってリビングに現れた。鍋の中にはミチミチに食材が詰められている。鍋がガスコンロに置かれてから、佐原は火をつけて蓋をした。
5分後、グツグツとすき焼き鍋が音を立てはじめ、イワナさんが蓋を開いた。
「良さそうね。じゃあお肉を入れて火が通ったら食べましょうか。」
イワナさんがその場を仕切り、肉を入れ火を通す。佐原の財布で購入したお高い霜降り肉は、あっという間に美味しそうな茶色に変わった。
「「「いただきます。」」」
クリスマスらしさなんて何一つない食卓で、三人は楽し気にすき焼き鍋をつつく。あれだけ敷き詰められていた食材たちはすぐになくなり、スズキは底の見える鍋を見つめた。
「安心して。締めのうどんを食べましょう!」
待ってましたと言わんばかりの顔で、スズキの瞳が輝いた。
弱火でグツグツと火をかけている鍋に、そのままうどん麺を入れる。更に肉を追加し、見事な牛すきうどんが完成した。二度目のいただきますをし、全員満足げに食事を終えた。
スズキは椅子の背もたれに体重を乗せ、くつろいでいる。イワナさんは片づけてくれている。佐原は、――佐原は、二つの封筒をスズキに差し出した。
「はいよ。お前がこの間無くしてた給料袋だ。」
そういって、片方の封筒を前に出した。
「そして、これは今日の駄賃だ。これでしばらくは食事は困んねーだろ。」
佐原が駄賃だと言って差し出した封筒を、スズキが受け取る。そこには、五時間働いたにしては多い、一万円が入っていた。
「今度はちゃんと働けよ。」
そう言って佐原は片づけを手伝いに、キッチンへ向かった。




