最低賃金で雇える奴にマトモな人間なんていない
健康そうな褐色の肌に、細身で眼鏡をかけた男。彼は未記入の履歴書を眺め、目の前に座る大柄な男へと話しかける。
「この度はバイトの応募ありがとうございます。ところで――」
そう言って彼はもう一度履歴書に目を向け、目の前の男に向き直った。
「応募いただいた際に、履歴書をご持参くださいと電話先で申しましたが……」
困惑気味の彼をよそに、目の前に座る男は呑気に応える。
「はい!それです!」
礼儀もへったくれも無く履歴書を指差すこの男スズキは、人生初のバイトに挑もうとしていた。
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コンビニ店長を務める苦労人の小麦。彼は現在、人生最大級の難所に差し掛かっていた。
ついこの間バイトの応募が入り、日程調整の末に迎えたこの日。彼の目の前には、自分よりも長身の男が座っていた。
そんな奴から渡された履歴書には、証明写真どころか一筆たりともない。それを自信満々で差し出されてしまっては、突き返すことも憚られる。
体格のいい男を前に、怖気づいているとかではない。そもそも、顔が阿呆を物語りすぎて、恐怖なんて欠片も湧いてこない。しかし、なんというか、あの、こう、良心がキリキリするのだ。ここまで邪気のない眼差しでガン見されれば余計に。
小麦は、「履歴書くらい埋めて来いよ」というツッコミを喉元で封殺し、仕方なく一つ一つ聞いていくことにしたらしい。
「まず、そうだな…名前を教えてもらっていいかな?」
「スズキです!!!」
なんて元気のいい返答だ。お調子者の男子学生でも出せないような大声に、小麦の鼓膜はお陀仏した。
コンビニの事務室で面接していることが意味を成さない程の大声に、小麦の顔が仏に一歩近づく。
「受け答えはそこまで大きな声でなくていいからね。」
相手を不快にさせない程度の注意
「はい!!!」
は、スズキに掠りもしなかった。無敵状態と言えばいいのか……。小麦は面接開始2分で帰らせてくれと切に願った。
なぜか小麦がスズキの履歴書を埋める事になっているが、この際それはどうでもいい。面接をいち早く終わらせるためにしていると言っても過言ではない。
この短時間でスズキのヤバさを目撃してしまい、早々に落とそうかとも考えた。が、第一印象だけでバイトを落としてしまっては互いの為にもならないと、お人好しな面が表立ってしまった。無駄に。
小麦はそのまま質問を続けた。
「年齢は?」
「27です!!!」
この歳で面接経験がゼロということが容易に分かってしまう。なんと哀れな。
小麦は悪くない。絶対に悪くないのだが、社会経験のない学生をいじめている気分になってしまう。
憐れみからか、小麦の質問が幾らか柔らかくなった。
「最終学歴は分かるかな?」
「勇魚高校です!」
衝撃の事実である。勇魚高校と言えば、市内一の名門高校。そこからどうしてこうなったのか。超常現象級のでき事に、小麦は聞き返さざるを得なかった。
「え!?あの勇魚高校!?」
名門校の面汚しを目の前に、小麦の仰天が店内に響く。
「あ、でも卒業式で追い出されたから、卒業できてないかも」
いや、この世に間違いなどなかった。危ない。あと少しで信用するところだった……。
小麦は遂に天を仰ぎだした。後、聞いておくことといえば、資格や志望理由、通勤手段ぐらいだ。……小麦は資格の欄を一言も埋めずに次へ移った。
「志望理由はあるかな?」
不信感が濃くなり、資格欄は見ないことにして、志望理由を尋ねた。
「家が近いから、かな…?」
学生の志望理由でも聞かされているのかと、小麦は開いた口をふさげなくなってしまう。
断定的な口調でもなければ、具体的な志望理由でもない。当然だが、こんなふざけたやつを雇うメリットもない。
どうせ雇わないのだからと、通勤手段も聞かなかった。小麦は疲労でもう話す気がなく、一言で面接をさっさと終わらせた。
「今日の面接は異常です。採用の際は後日連絡します。本日はありがとうございました。」
小麦はそう言って席を立つ。
「ありがとうございました!!!」
小麦の背中には、スズキの元気のいい(だけの)返事が届いた。
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人材不足のコンビニは、基本的に24時間も営業できない。そのため、小麦が毎日朝6時に店を開けに来ていた。出歩く人もほとんどいない時間帯だ。小麦は静かな早朝にシャッターのカギを手に取り、ガラガラと店前の防犯用シャッターを開けた
「おはようございます!!!」
と、同時に聞こえる声。小麦の本能が、振り返ってはならないと叫んだ。
嫌な汗が背中を伝い、後ろを振り向けないでいる。ただし、脅威がじっとしているなんて、そんな訳なかった。
小麦の顔を覗き込むように、スズキは背後から小麦の肩を掴み、顔を向けてきた。あっ、これ死んだわ()
小麦はなんとか平静を装うように、何度か笑ってみせた。カラッカラに乾ききってはいたが。
「スズキ君、朝早いね。うちに買い物かい?」
なんとかスズキには通用しそうだ。だとしても、内心はバックバクである。
バk…スズキは、不思議そうに小麦を見た。
「俺、今日から入れるので来ました」
「………は?」
あ、うん。その反応で合ってると思うよ。
到底、同じ人間と喋っているとは思えない会話だ。昨日、確かに小麦は言った。『採用の際は後日連絡します。』と。
小麦はどういうことか、一度真剣に考えて、かんがえて、カンガエテ、考えた結果、考えることを諦めた。
「そうか、そうか、入れる日程を教えに来てくれたんだよね。ありがとう。また今度、”採用だったら”連絡するね。」
ゴリ押しではあるが、小麦がスズキに肩を押し、コンビニから遠ざける。これで大人しく帰ってくれるようなスズキじゃない。
「あの、違います、今日から入れるので来ました」
さっきも聞いたわ!これ以上口を開かずおうちに帰りな!あっ、おっと、失敬。
小麦は「分かったからね。」とバカのふりをして、本物のバカを追い払おうと奮闘した。
* ・:-----:・ *
「いらっしゃいませー」
小麦は負けた。
レジにはニコニコで接客をするスズキ。スズキは絶対に帰ろうとはせず、その間にお客さんが来てしまったことで、店に押し入る隙を与えてしまった。
だからと言って、そのまま放置していたわけではない。小麦は胃を痛めながら、スズキの接客を観察していた。悲しいことに、自分の目で見てしまったのだ。スズキの完璧な接客を。
「いらっしゃいませーこんにちは-」
「ポイントカードはお持ちですか?」
「袋はご入用でしょうか?」
「合計6点で1273円です」
「1503円お預かりします」
「お返し230円です」
「ありがとうございましたー」
ちょっと緩めな感じもするが、接客用語は完璧だし、お客様との距離感もちょうどいいし……。小麦はいろんな意味で負けてしまった。何なら常連のおばあさんなんて、スズキとの世間話が気に入ったのか、商品を持ってすらいない。なんなんだよアイツ。…あれ?なんかこっち見てんな。
「すみません、店長!レジお願いします!」
なんでそんなに澄んだ目で店長をこき使えるの!?もう、怖いんだけど!
しかし、小麦は何も言えずにレジへ入った。
通勤ラッシュの午前を何とか乗り越え、時間は正午に差しかかろうとしていた。この時間は昼食をコンビニで購入するサラリーマンたちの群れが来る。
今のところ情けない姿しか見せていない小麦は、顔を引き締め、昼のピークが来る前に店内清掃を終えるところだった。
そういえばと、小麦はスズキに話しかけた。
「スズキ君、お昼は――」
スズキはじっとしていられないのか、小麦の言葉を遮った。
「そうだった!お昼から友人に食事を与えなければいけないので、帰ります!」
スズキに何時まで勤務できるかを相談しようとして、すぐにこの仕打ち。小麦を振り返りもせず走り出したスズキに、振り回された小麦の涙は見えなかった。
次の日も、次の日も、その次の日も、何も言わずに現れ、そしてそそくさと帰っていく。元々は五人で回していた店だ。特に問題はなかったが、スズキの接客はお客さんの間でも有名になっていた。スズキが出勤する日は来店者数が桁違いだった。でたらめな性格がマッチしたのか、親しみやすい接客がどの層からも好評だった。
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小麦が店のシャッターを開けたとき、最近では聞き慣れた声が背後から聞こえてきた。
「おはようございます!!!」
「おはようスズキ君。」
この会話の流れにも慣れたのか、小麦は顔を見らずとも、その人物がスズキだと分かった。
スズキは店に入るやいなや、手慣れたように制服に袖を通し、出勤ボタンを押した。まだまだ人の少ない時間帯だからこそ、その時間に給湯器へ水を入れ、床の清掃に取り掛かった。ドリンクなんかの補充もして、トイレ清掃も。さらには昼に向けてフライヤーを綺麗にしようと、油槽内の清掃まで。
おかしい。あまりにも人が少ない。いつもはもうここまでやればそこそこ人が増えていくはずなのだが、未だに一人もお客さんが来ていない。暇すぎてここまで誰とも話す機会がなく、スズキの頭には店内に流れているBGMが剝がせなくなっていた。
しかも、小規模なコンビニなせいで、フレーズも知らないマイナー曲一曲だけが、延々と流れている。スズキは少しずつイライラしてきた。
いつもであれば、通勤ラッシュで来客の多い時間帯が過ぎる頃、店長の小麦が裏から顔を出した。
「スズキ君。申し訳ないけど、お客さんも少ないし、僕は早めにお昼に出るよ。」
困ったことがあれば連絡してねと言い残し、小麦はスズキに店を任せて昼ご飯を食べに出た。
店内に残されたスズキは一人、BGMにイライラさせられながら、誰も来ないコンビニの店番をさせられることになった。
小麦が店を出て15分が経過したが、人はまだ来ない。
20分が経過した。人はまだ来ない。
30分が経過した。
「魅惑的なそのタランドゥスオオツヤクワガタ~♪」
スズキはハッとした。意識外で耳にこべりついた歌詞を知らぬ間に口ずさんでしまっていた。スズキの頭には、すでにBGMが流れ続けていた。
40分が経過した。そこでラフな格好の、スズキと歳の近そうな男性が来店した。スズキはニッコニコで接客したが、男性はイヤホンをしたままで、スズキのことを気味悪がって、そそくさと店を出た。
50分が経過した――
「い、いあああ…あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
スズキが壊れてしまった。スズキの叫び声でも、BGMが遮られることはなかった。スズキは発狂して、事務所に走る。
あった!元凶のCDプレイヤーはデスクのど真ん中に置かれていた。スズキは思考より先に、CDプレイヤーに向かって拳を振り上げた。
「止まれー!止まってくれー!」
当然ながらCDプレイヤーなんて扱ったこともないスズキ。ディスクの取り出し方も、BGMの止め方も分からず、とりあえず殴り続けた。
「やめて?止まって?お願いだから止まってってー!」
何なら無機物相手に懇願すらし始めた。
そこに、昼食から帰ってきた小麦が遭遇する。
「ちょっ!なにやってんのスズキ君!や、やめて!やめて!それ高いんだから!」
小麦は背後からスズキを羽交い絞めしようと奮闘した。だが、スズキの暴走を止めるより前に、BGMが止まった。あられもない姿になったCDプレイヤーに、小麦は顔面蒼白。対照的にスズキは清々しい顔をしていた。
達成感でルンルンのスズキはカウンターに戻ろうとする。その後ろでは、般若の顔の小麦が現れた。
「スズキ君!君はクビだ!」
状況を呑み込めないスズキは、制服をはぎ取られ、そのまま店の外に叩き出されてしまった。
こうして、スズキの1週間にも満たないバイト生活が終わった。
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スズキの部屋と似た場所で、スズキともう一人の男が話をしている。
「ってことがあってさー」
スズキは目の前の男に愚痴をこぼしていた。
「いや、全面的にお前が悪いな。給料握らせてくれただけ優しいだろ。」
正論をかますのは、スズキの高校の頃の同級生で、スズキが住むアパートのオーナーの息子、佐原。
「てか、さっさと自分の部屋戻れよ!」
「見捨てないで佐原!」
泣きつくスズキを容赦なく部屋から追い出す。
「話の続きは家賃を収めてからだ。」
凄む佐原にスズキは何も言えず、佐原も容赦なくバンッと扉を閉めた。
スズキはどうすることもできず、扉に背を向けて、トボトボと自宅へと戻った。
2025/12/23 修正




