第4話 恋愛経験ゼロ男の挙動がおかしい
第4話 恋愛経験ゼロ男の挙動がおかしい
――レオン・バルディエ視点
(落ち着け。呼吸だ。まずは呼吸)
すー……はー……。
無理だ。
意識すればするほど、昨日のことを思い出してしまう。
伯爵令嬢クラリス・フォン・エーデルシュタイン。
あの高嶺の花みたいな人と、二人で街を歩いた。
しかも。
「楽しいです」
って、口にした。
(なんで言ったんだ僕)
あれは完全に勢いだった。
でも嘘ではなかった。
本当に、楽しかったのだ。
(でも視察だって何度も強調されていたのに……)
「うわあああああああああああ……」
自室のベッドに顔を埋めてうめく。
壁には、剣の稽古用に作った予定表。
机の上には、伯爵領の資料。
そして、頭の中にはクラリス様。
歩き方。
声の高さ。
微笑み方。
紅茶を飲む仕草。
(だめだ、好きすぎる)
そもそもだ。
なぜ僕が彼女を好きになったのか?
思い返せば、きっかけは学園の講義だった。
他の生徒たちが寝たりおしゃべりしたりしている中、
彼女だけはまっすぐ黒板を見て、真剣に筆を走らせていた。
「無駄は嫌いですの」
そう小さく呟いた横顔に、なぜか目が離せなくなった。
(あれが、始まりだった気がする)
以来、遠くから、ただ見ていた。
話しかける勇気などなかった。
だって、僕は男爵家の三男。
家柄も実力も、王太子には到底及ばない。
それなのに――
あの日。
王太子が、彼女を切り捨てた瞬間。
あまりにも、理不尽で、あまりにも、当然のように。
その姿を見て――
(……気づいたら、足が前に出てたんだよな)
あの時のことを思い出すだけで、背中がぞわりとする。
王族の前で叫んだ。
貴族だらけの場で叫んだ。
「結婚してください!!」
(人生で一番、勇気を使った瞬間だった)
正直、今でもよく分からない。
どうしてあんなことができたのか。
でもただ一つだけ、はっきりしている。
(後悔してない……)
僕はゆっくりと起き上がった。
今日、このあと――
再びクラリス様に会う約束はない。
なのに、なぜかこの手が落ち着かない。
(何か、できることはないだろうか)
気づけば、机の上にペンを走らせていた。
「伯爵領の衛生改善案:補足資料」
意味もなく、真面目な資料をまとめ始める自分に苦笑する。
(これ、完全に好きな人に見せたいだけの行動では)
日が傾いた頃。
庭から声がした。
「……レオン様?」
使用人かと思ったが、違う。
聞き覚えのある、少し控えめな声。
(え?)
窓から覗くと、そこにいたのは――
クラリス様だった。
(な、なぜ!?)
慌てて部屋を飛び出し、玄関へ走る。
「ク、クラリス様!? どうされたのですか!?」
「突然お邪魔してしまい、申し訳ありません」
相変わらず、完璧な所作。
けれど今日は、どこか柔らかい雰囲気だった。
「いえ!! いえいえ!! 歓迎いたします!!」
(いや勢い)
「昨日の視察のお礼にと思いまして」
そう言って、小さな箱を差し出される。
「これは……?」
「焼き菓子ですわ。街の商人の方から預かったものですが、
レオン様も関係者なので」
(関係者扱い!!)
箱を受け取る手が、わずかに震える。
「ありがとうございます……」
一瞬、沈黙が落ちる。
だがそれすら、以前ほど居心地の悪いものではなかった。
「……レオン様」
「は、はい」
「昨日のことですが」
(昨日のこと!?)
心臓が音を立てて跳ねた。
「とても自然な振る舞いで助かりましたわ。
庶民の方との接し方も……」
「あ、あれはただ……普段通りに……」
「その“普段通り”が、できる男性は珍しいです」
(褒められている……?)
「……嬉しいです」
口に出してから、少し照れた。
クラリス様は、少し驚いたように、それからふっと微笑んだ。
「そう言っていただけるなら、良かったですわ」
その微笑みを、真正面から見る。
ああ、だめだ。
(これは、心臓が壊れます)
「……あの」
「はい?」
「よろしければ、また街へご一緒させていただいても……」
「視察ですわよ?」
「もちろんです!! 視察です!!」
(でも正直、心の九割はデート)
「……ええ、機会があれば」
そう言ってくれたその言葉だけで、
今日はもう何でも頑張れる気がした。
「では、今日はこれで失礼します」
「お気をつけてお帰りください!」
去っていく背中を見ながら、僕は胸の奥をそっと押さえた。
(どうしよう、本当に好きだ)
静かになった庭。
夕暮れの風が、少しだけ甘い匂いを運んでくる。
(この気持ち……ちゃんと伝えていい日が来るのだろうか)
まだ“友人”という立場。
でも、それでもいい。
少しずつでいいから――
彼女の隣に、居られるようになりたい。
そう願いながら、
僕はもらった焼き菓子の箱を、そっと抱きしめた。
――クラリス様。
今日も、あなたが笑ってくれますように。
この作品とは別に、もうひとつ「悪役令嬢」系のラブコメも書いています。
タイトルは
『悪役令嬢になりたいのに、全部善行扱いされてしまうんですが!?』
「悪役をやりたい令嬢」が、頑張れば頑張るほど周囲から褒められてしまう、
誤解まみれの転生コメディです。
クラリス達の“格差婚ラブコメ”とはまた違った方向で
「こじらせた想い」が暴走していきますので、
気になった方はそちらも覗いていただけると嬉しいです。




