第26話 聖女との和解
第26話 聖女との和解
その日は、ひどく静かな午後だった。
庭の白い花がふわりと揺れ、
風が葉を撫でる音だけが、規則正しく流れている。
「……お時間、いただけますか」
控えめな声に振り向くと、そこに立っていたのは
白を基調とした衣を纏う、聖女リリアナだった。
「構いませんわ」
私は小さく頷いた。
(逃げる理由はありませんもの)
東屋に向かい、そっと腰を下ろす。
しばらくの沈黙のあと、彼女は口を開いた。
「……謝りたいのです」
「何を、ですか」
「すべて、です」
その声は、想像以上に静かだった。
「私は“聖女”という役割に甘えていました」
「……」
「誰が悪いか、誰が正しいか、
誰が選ばれるべきか――
そういった構図の中で、無自覚に振る舞っていました」
指先を、ぎゅっと握りしめている。
「あなたの婚約が破棄されたとき、
私は……少しだけ、安心していました」
「……そうですか」
「最低ですわよね」
そう言って、苦く笑った。
「ですが今ならわかります」
顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見る。
「あなたは“奪われた”のではなく、“縛りから解き放たれた”のだと」
私は何も言わず、ただ聞いていた。
「そして、レオン様の隣にいるあなたは……
とても、穏やかで、誇らしげで」
小さく息を吸う。
「……羨ましいです」
その言葉は、聖女ではなく、一人の女性としてのものだった。
「リリアナ様」
「はい」
「私はあなたを恨んでおりません」
「……」
「あなたも、あなたなりに役割を背負っていたのでしょう」
少しだけ、微笑む。
「ですから安心なさいませ」
「……ありがとうございます」
彼女の肩がわずかに震えた。
「正直に申し上げます」
「どうぞ」
「私は王太子を愛していました」
「存じています」
「ですがそれは、“皇太子の隣に立つ私”を愛していただけで」
唇を噛みしめる。
「本当の私を見てくれる方ではありませんでした」
一瞬の沈黙。
そして彼女は、ふっと息を吐いた。
「あなたが選んだ未来は、正しかったのだと思います」
「それは、私が決めることですわ」
「はい」
少しだけ柔らかな表情。
「でも、認めさせてください」
そう言って、深く頭を下げた。
「……あなたの選択は、美しいです」
私は驚いたように目を瞬いたが、やがて静かに微笑んだ。
「光栄ですわ」
ちょうどそのとき、足音が近づいてきた。
「クラリス様……?」
顔を出したのは、警戒レベル最大の男爵三男。
「……何かありましたか」
隣に立つその姿に、リリアナは苦笑する。
「安心なさってください。
私は、敵ではありません」
「……それは、非常にありがたい情報です」
「緊張しすぎです」
(護衛としては優秀ですけれど)
リリアナは立ち上がり、改めて頭を下げた。
「お二人の幸せを、お祈りいたします」
「ありがとう存じますわ」
「……本心です」
そう言って、彼女は静かに去っていった。
――――
沈黙ののち。
「……緊張しました」
レオンがぽつりと言う。
「見ていればわかります」
「しかし、聖女様から“敵ではない”宣言をいただけたのは
非常に戦略的優位です」
「戦ではありません」
(どうしてすぐ戦場になりますの)
私はふっと息を吐き、彼を見る。
「あなたはよく耐えましたわね」
「クラリス様が落ち着いておられましたので」
「信じていたのですか」
「はい、全面的に」
その言葉に、少しだけ笑ってしまった。
「では、今の対話は無駄ではありませんでしたわね」
「無駄どころか、平和的解決です」
「大げさです」
「ですが私はこう見えて
“愛は争うより話し合い派”なのです」
「戦闘力が高いようにしか見えません」
(精神的な意味で)
空を仰げば、白い雲が流れていた。
「……これで、過去は過去になりました」
「はい」
「そして、未来だけが残っています」
「その未来に、私はいますよね」
「ええ、いますわ」
即答だった。
彼は、少しだけ照れたように笑った。
「それだけで、十分です」
私は静かに思う。
この和解は、誰かが勝ったわけではない。
誰かが負けたわけでもない。
ただ、それぞれが
“自分の場所に戻った”だけなのだ。
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次は
▶ 第27話「王太子、完全敗北」
ついに王太子が現実を突きつけられる回となります。




