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『婚約破棄された伯爵令嬢は、男爵家三男の全力愛に困っています』  作者: ゆう
バグった求婚と距離感迷子編

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第19話 これは逃げられない

第19話 これは逃げられない


あの日から、少しだけ世界の見え方が変わった。


何も変わらないようでいて、

ふとした瞬間に思い出してしまう。


あの、静かな雨の日のこと。

そして、やわらかな感触。


(……私は一体どうしてしまったのでしょう)


鏡に映る自分の表情を見て、私は静かに息を吐いた。


ほんのり赤い頬。

落ち着かない視線。


優雅で冷静であるべき伯爵令嬢の顔としては、

どうにも不出来だ。


「クラリス様、お茶の準備が整いました」


「ありがとう、ミレイ」


いつもの時間。

いつものティーセット。

だが今日の私は、なぜか落ち着かなかった。


理由はわかっている。


(……レオン様が来られるから)


数刻後、ノックの音。


「失礼いたします……」


いつもと変わらないはずの声。


だが。


妙にぎこちない。


(お互い、気まずいですわね)


入ってきたレオンは、

明らかに視線の置き場に迷っていた。


「クラリス様、本日はお加減いかがでしょうか」


「問題ありませんわ」


「それは安心いたしました」


沈黙。


重くもないのに、

なぜか妙に張りつめた空気。


「……あの」


「はい」


「先日のことですが……」


(やはり触れますわよね)


「謝罪であれば不要です」


即座に言った。


「既に申し上げました」


「ですが……」


彼は少しだけ眉を下げる。


「驚かせてしまったのではないかと」


「驚きました」


正直に答えた。


「ですが、それ以上に」


私は言葉を選ぶ。


「……あなたらしいと思いました」


「それは、褒め言葉でしょうか」


「判断が難しいところですわね」


小さく笑うと、

彼も少しだけ緩んだ。


「ですが誤解なさらないでください」


「はい」


私は視線を真っ直ぐ向けた。


「私は逃げるつもりはありません」


「……」


「不快でもありませんでした」


「……それは、とても光栄です」


だが、問題はそこではない。


(私自身の問題です)


夜になると、どうしても思い出してしまう。


あの距離。

あの真剣な視線。

あの、不器用すぎる優しさ。


「クラリス様」


「何ですの」


「……何か、悩んでおられますか」


鋭い。


(この人は無駄に察しが良いですわね)


「……少しだけ」


「私にできることなら、何でもいたします」


「そこはもう少し軽くで結構です」


「努力します」


(やはり全力)


私は紅茶を一口含み、静かに言った。


「私はこれまで、恋という感情から逃げてきました」


「……」


「義務の婚約。王太子。責任。世間体」


そこで、少しだけ言葉が詰まる。


「ですが今の私は……」


ふっと視線を落とした。


「どうしても、それを無視できなくなっています」


「……それは」


問いかけるような間。


私は小さく息を吐き、はっきりと言った。


「あなたのせいですわ」


「……!!」


まるで雷に打たれたような顔。


「責任は取っていただきます」


「もちろんです!!」


即答。


「その前に、確認させてください」


「はい」


「私は今、あなたを意識しています」


「はい」


「常に頭の片隅にいます」


「光栄です」


「気づけば探してしまいます」


「……それは、非常に危険な兆候です」


「自覚しております」


私は真っ直ぐ彼を見た。


「ですので結論を申し上げます」


「……はい」


「これは――もう逃げられません」


静かな沈黙。


だがそれは、恐れではなく

覚悟の沈黙だった。


「……私はあなたを、好いています」


はっきりとした言葉だった。


少しも華やかではない、

けれど間違いのない告白。


「え……」


レオンの表情がゆっくり崩れていく。


「……本当、ですか」


「私は冗談を言う習慣はありません」


「……ではこれは」


彼は胸に手を当てる。


「夢ではありませんね?」


「現実ですわ」


その瞬間、彼の顔が一気に赤くなった。


「……では私は今から、正気を保てる自信がありません」


「保ちなさい」


「努力します!!」


(なぜそこは努力なのですか)


だが、声は震えていた。


「クラリス様」


「はい」


「それでは私は……」


「わかっています」


私は少しだけ微笑んだ。


「ですがまだ“答え”は出しませんわよ」


「……はい?」


「恋を認めたというだけです」


「……それでも十分すぎます」


「焦らないでください」


「焦りません。

ですが、毎日喜びます」


(だから極端なのです)


それでも、その瞳はまっすぐだった。


「……レオン様」


「はい」


「私があなたを好いても、逃げませんか」


「逃げません」


即答。


「むしろ喜んで捕まります」


「捕まらなくて結構です」


(なぜ拘束前提なのですか)


私は小さく笑い、視線を落とした。


胸の中で、何かがゆっくりと落ち着いていく。


そして思う。


もう、戻ることはないのだと。


それでもこの不器用な歩幅で、

あなたと歩いていくのも悪くない。


(いいえ……きっと)


悪くないどころか。


私は、今、確かに嬉しい。

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