第12話 女性に囲まれる男爵三男
第12話 女性に囲まれる男爵三男
夜会の空気は、甘く、ざわめき、そして――騒がしい。
私はクラリス・フォン・アルヴェーンとして優雅に佇んでいる……はずなのだが、視界の端にどうしても気になる存在がある。
「私は今、完全に背景です……」
柱の影で半分だけ顔を出しながら、ぼそぼそと呟く男。
「レオン様」
「はい!」
「背景は溜息をつきません」
「失礼しました、自然な背景に戻ります」
とは言うものの、どう見ても背景ではない。
むしろ視線を一身に集めている。
なぜなら。
「レオン様、こちらお飲み物はいかがです?」
「少しお話しできませんか?」
「以前からお噂はかねがね…」
――なぜか彼の周囲に、女性の輪が出来上がっていたのだ。
(……どうして?)
それも一人や二人ではない。
三人、四人、さらに増える。
「こ、これは…包囲ですか…?」
レオンが小声で呟く。
「親睦です」
「社交恐怖区域です!!」
(あなた、夜会に何をしに来ているのですか)
クラリスである私の方はというと、
誰一人として声をかけてこない。
なぜなら視線が全て――
「……あの男、何なの……」
「護衛? それとも恋人?」
「なぜあんなに女性に囲まれているの……?」
そちらに釘付けだからだ。
「……」
気づけば、私は無言でその光景を見つめていた。
(ずいぶん、人気ですのね)
心の中が、ほんの少しチクリとした。
だがそれを認めるのは、少し悔しい。
「私、リーナ・フォン・オルティスと申しますわ」
「こ、こちらこそ…レオン・バルディエです…」
「噂通り、とてもお優しそうで…」
顔を赤くして微笑む令嬢。
レオンは明らかに居心地が悪そうだ。
「い、いえ、その……僕はただ…通行人Aですので…」
「通行人Aが夜会に参加しますか」
(なぜそこで設定を貫くの)
女性たちがきょとんとする。
「通行人…?」
「はい! 誰のものでもなく、ただ風のように…」
「レオン様」
クラリスの声が、すっと空気を切った。
「はいっ!!」
反射で振り向く。
「風は、輪の中心に立ちません」
「……!」
女性陣が一斉にこちらを見る。
「クラリス様……」
レオンの声が、どこか申し訳なさそうになる。
「楽しそうですわね」
笑顔。だが、少しだけ温度の低い笑顔。
「い、いえ!!
これは社交的強制接近事案であって、僕の意思では…!」
「説明しなくて結構です」
(言い訳の方向性がおかしい)
「クラリス様が誤解されているのではないかと…!」
「誤解して欲しかったのですか」
「絶対違います!!」
周囲の令嬢たちがひそひそと囁き始める。
「……やっぱりあの伯爵令嬢なのね」
「独占欲、強いのかしら…」
「でも、あの男爵令息、あきらかにクラリス様しか見てないわよ…?」
その通りである。
彼の視線は、輪の中にいてもなぜか私を追っている。
(なぜそんな目でこちらを見るのですか)
どこか怯えているようで、どこか必死で。
「レオン様」
私はそっと一歩近づいた。
「こちらへ」
「は、はい! ただいま!!」
即座に人の輪を抜け、私のもとへ小走りで戻る。
「……ご迷惑ではありませんでしたか」
「いいえ」
私は視線を逸らしながら言った。
「ただ、少々……落ち着きませんでしたわ」
「……!」
レオンの目が、一瞬で輝く。
「それは……僕が他の方と話していたからですか……?」
「その理由までは申し上げません」
(ですが、あなたが他の女性に囲まれている姿を見るのは…)
――少しだけ、面白くなかった。
そう気づいてしまった瞬間、私は自分でも驚いた。
(これは……嫉妬、というものでしょうか)
「クラリス様」
「なんですの」
「僕は、あなたの護衛なので…」
「今日は“通行人A”ではなかったのですか」
「設定を臨機応変に変更いたしました!」
「軽く流す勇気を持ってください」
「ですが、僕は…」
少しだけ声を潜める。
「あなたの視界から消えるのは嫌です」
そのまっすぐな一言に、心が静かに揺れた。
「……自覚は、ありますか」
「はい。重症です」
(自覚症状が潔い)
私はふっと息を吐き、視線を外した。
「それなら結構ですわ」
「……え?」
「今日くらいは“味方役”に戻ってください」
「はい!! 喜んで!!」
周囲から、またざわめきが起こる。
「結局戻ってるじゃない…」
「でもあの距離、安心してる顔ね…」
「クラリス様、少し機嫌良くなってない?」
私は自分の頬に触れ――
ほんのりと熱を帯びていることに気づいた。
(……困ったものですわね)
けれど。
不快ではなかった。
むしろ。
少しだけ、嬉しい。
「レオン様」
「はい!」
「一曲、踊りますか」
次の瞬間、彼が深く息を吸う。
「全力でエスコートいたします!!」
「自然体でお願いします」
「……努力します!!」
(やはり全力)
そんな姿を見ながら、私は静かに思った。
あなたを失うのは嫌。
あなたが誰かに囲まれるのも――少しだけ、嫌。
それはきっと。
ちゃんと、恋に近づいている証拠なのだ。




