第1話 婚約破棄されたその場で、男爵家三男が叫びました
婚約破棄ものは数あれど、
今回の主役は「断罪される側」ではなく、
その場で勇気を出してしまった男爵家三男です。
静かに生きたい伯爵令嬢と、
想いだけはやたらと重い青年の物語。
どうぞ、肩の力を抜いてお楽しみください。
第1話 婚約破棄されたその場で、男爵家三男が叫びました
「――クラリス・フォン・エーデルシュタイン。
本日をもって、お前との婚約を破棄する」
王太子アルフォンス殿下のよく通る声が、謁見の間に響いた。
磨きあげられた大理石の床。
ずらりと並ぶ貴族たち。
真紅の絨毯の先、私はその中心で、きちんと礼儀正しく跪いている。
(はい出ました。人生イベント:婚約破棄)
周囲から、さっそく小声がわき起こる。
「やはりあの伯爵令嬢が……」
「冷酷な噂は本当だったのね」
「聖女様に意地悪したんでしょう?」
(いや、してませんけど??)
私、クラリス・フォン・エーデルシュタイン。
前世、日本でそこそこブラックな会社につとめていた社畜である。
気づいたら貴族社会に転生していて、気づいたら伯爵家一人娘で、
気づいたら王太子の婚約者になっていて――。
(気づいたら悪役令嬢扱いされてるの、納得いかないのですけど)
アルフォンス殿下は、芝居じみた身振りで言葉を続けた。
「クラリス。そなたはこれまで、貴族令嬢たちに冷たく当たり、
平民出の学園生を見下し、さらには聖女候補にまで辛く当たったと聞く」
(あれ? 私の記憶だと、むしろ逆方向に頑張ってたはずなんですが)
前世の社畜魂を総動員して、
・領地の税制見直し案を作り
・孤児院の運営改善案を出し
・学園でも「無駄な会議を減らしましょう」と提案し
――結果、「冷たい」「怖い」「完璧主義」などの評価を頂戴した。
(いやそれ、前世の上司たちにそっくりそのままお返ししたいんですが)
殿下は続ける。
「王太子妃に必要なのは、民を思いやる優しさだ。
冷徹な改革などではない」
(いや、冷徹な改革って言い切りましたね今。言葉選び……)
私はうっすらと笑みを浮かべた。
「……アルフォンス殿下」
「なんだ」
「ご婚約の破棄、確かに承りました。
これまでのご厚情に、心より感謝申し上げます」
謁見の間が、しん……と静まり返る。
「泣かないのか?」
「もっと取り乱すかと思ったのに……」
(すみません。前世で『急な左遷+給料カット+徹夜』みたいなコンボを経験してると、
婚約破棄くらい、もはやイベントの一つにしか見えないんですよね)
私はゆっくりと立ち上がり、スカートの裾を持ち上げて一礼した。
(これで王太子妃教育という名の終わらないサービス残業から解放。
実家に引きこもって、紅茶と本にまみれたスローライフ生活、始まる……!)
心の中で、ささやかなガッツポーズを決めた、そのとき。
「──あ、あのっ!!!!」
裏返った声が、謁見の間に響き渡った。
全員の視線が、一点に集まる。
(……誰?)
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
柔らかい茶色の髪。
そこそこ整った顔立ちなのに、全体的に「地味」「真面目」が先に来る印象。
きちんとした礼服を着ているのに、なぜか少し着慣れていない感じ。
男爵家バルディエの三男――レオン・バルディエ。
学園で何度か同じ教室になったことはある。
真面目で、騒がず、後ろの席で静かにノートを取っているタイプ。
(つまり、モブ寄り)
そのモブ寄りの彼が、今、
王族・重臣・貴族たちの視線を一身に浴びて震えていた。
「レオン・バルディエ。貴様、何をしている」
アルフォンス殿下が眉をひそめる。
レオンは一瞬ビクッとしたが、それでも一歩前に出た。
「も、申し訳ありません! ですが……ど、どうしても……!」
(やめたほうがいいと思いますよ? 今ここ、人生の地雷原ですよ?)
「く、クラリス様!!」
突然名前を呼ばれて、思わず姿勢を正してしまった。
「……はい?」
(なんでそこで私に振るんですか)
レオンは、真っ赤な顔で、しかしまっすぐこちらを見ている。
「ぼ、僕と……け、けけ、けっ……!」
「け?」
(え、まさか、いやいや、そんな馬鹿な。ここ婚約破棄の現場ですよ?)
「結婚してください!!」
……静寂。
空気が、本当に音を立てて固まった気がした。
「……………………は?」
自分の声が、思っていたよりも間抜けだった。
「けっ、け、結婚を前提に、ど、どうかお付き合いを!!」
(前提と結果が逆になってますけど!?)
周囲がザワザワし始める。
「ば、バルディエ男爵家の三男が……伯爵令嬢に?」
「身分差がありすぎるだろう」
「ていうかタイミング!!」
王太子が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「レオン・バルディエ!! 正気か貴様!! ここがどの場か理解しているのか!!」
「じょ、承知しております!!」
レオンはガチガチに緊張しながらも、声だけは精一杯張り上げる。
「王太子殿下のご決定に口を挟むつもりはございません!
ただ、その……婚約を破棄されたクラリス様が、次にどなたと人生を歩まれるのか……!
ど、どうしても黙って見ていられなくて!!」
(いや、その感情、どこから来たの)
私は反射的に口を開いた。
「レオン様。落ち着いてくださいませ」
「む、無理です!! こんな人生最大のチャンス!!」
「チャンスって言いましたね今?」
「すみません取り消します!! 人生最大の、真剣勝負です!!」
(言い換えたところで本質は変わってないのでは?)
私はこめかみを押さえた。
「……なぜ、わたくしなのです?」
「すきだからです!!!」
一切の迷いのない大声だった。
謁見の間の空気が、別の意味で揺れる。
「直球すぎる……」
「いや、でも真っ直ぐでいいな……?」
「でも男爵三男だぞ?」
私はじっとレオンを見つめた。
(この人、前からそんなに私のこと見てました?)
「あの、その……前から、ずっと……」
レオンは視線を泳がせ、言葉を探すように口を開いた。
「学園で、誰よりも真面目に講義を聞いて、誰よりも早く課題を終わらせて、
他の生徒の相談にも乗っていて、孤児院の支援計画も立てていて……」
(あれ、思ったより観察されてる)
「冷たいとか怖いとか言う人もいましたけど、僕には、ちゃんと“誰かのために動いている人”に見えました」
少しだけ、胸の奥がきゅっとする。
「でも皆、噂だけで決めつけて。
悪役令嬢だとか、聖女様をいじめただとか……!」
(いや、聖女候補のリリアナさんには、ちょっと説教しちゃったけど……
“勉強も仕事もイヤだから、なんとなく聖女で生きていきたいです”って言われたら、前世社畜的に反応しちゃうじゃないですか)
「だから、せめて僕だけは、ちゃんと見ていたいと思いました!」
(……いや、そんな綺麗なことを言われると、ツッコミの角度に困るんですが)
王太子が、苛立ちと戸惑いの混ざった視線をこちらに向けてくる。
「クラリス。お前は、こいつの申し出をどう考えている?」
(え、そこで私に振ります?)
私は小さく息を吸った。
(状況整理しましょう)
・私はついさっき婚約破棄された。
・その場で男爵家三男から公開プロポーズされた。
・ここには王族と有力貴族が勢ぞろいしている。
(ここで「はい♡」とか言ったら、完全に“尻の軽い元婚約者令嬢”コースですよね)
かといって、ここでレオンを一刀両断したら、
勇気を振り絞った一人の男爵三男の心を公開処刑することになる。
(それはそれで寝覚めが悪い)
「レオン様」
「は、はいっ!」
「まずは……わたくしのために声を上げてくださったこと、感謝いたしますわ」
「い、いえっ、そんな!!」
「ですが、この場で“はい”か“いいえ”かを答えるのは、さすがに軽率かと存じます」
「そ、そうですよね!!!」
(自覚はあったのね)
私はちらりと王太子を見る。
「アルフォンス殿下。
もはや、わたくしの婚約に口を出される立場ではございませんわよね?」
「……好きにしろ」
殿下は、露骨に不機嫌そうに顔を背けた。
(あ、これは完全に“後からややこしく絡んでくる元婚約者ポジション”フラグですね)
ならば、こちらも好きにする。
「レオン様。もしよろしければ――」
私はドレスの裾をつまみ、軽く会釈した。
「後日、改めてお話を伺う機会をいただけませんか?
わたくしとの結婚を望まれた理由を、もう少し、ゆっくりと」
「り、理由……」
レオンの顔が、これ以上ないくらい真っ赤になる。
「そ、そんなの……!」
「そんなの?」
「す、好きだからとしか言えませんが!!!」
(知ってました)
「……まあ、そのあたりも含めて、落ち着いた場所で」
「は、はいっ!! 全力で、準備してまいります!!」
「準備、とは?」
「心の準備です!!」
(それは当日までにやってきてください)
こうして私は、婚約破棄されたその場で、
地味で真面目で、でも妙に真っ直ぐな男爵家三男から公開プロポーズを受けるという、
なかなかにインパクトの強い体験をした。
(……想定していた“静かな第二の人生プラン”、開始前に崩壊してません?)
それでもなぜか、心のどこかでほんの少しだけ、
(……まあ、退屈はしなさそうですね)
なんて思ってしまった自分に、
私はこっそりため息をついた。
――こうして、私の“婚約破棄後のスローライフ計画”は、
出オチみたいな勢いで軌道修正を余儀なくされたのであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
真面目すぎる伯爵令嬢と、
想いだけは超一流の男爵家三男。
この二人の行く末、どうなると思いますか?
次話では伯爵邸での「正式な初顔合わせ」が始まります。
果たしてレオンは、空回らずに会話できるのか――。
よろしければ感想などもいただけると励みになります。




