第9話「ユナの計画」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AI――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
夜の宿舎は、海底のように静まり返っていた。
廊下の非常灯が時折かすかに瞬き、その淡い光がドアの隙間から細く差し込んでいる。外では風が旗を揺らし、布が擦れる音が一瞬だけ入り込み、また消えた。
ユナは机に向かっていた。
ノートPCの画面には、兄が遺した古い設計図と、港で撮影したばかりのドローン映像が重なっている。指先でマウスを動かし、図面と映像を交互にズームする。その瞳は、深海のような暗さを湛えていた。
――これは、兄を見殺しにしたこの国への復讐劇。
舞台は、開通したばかりの海底トンネル。その内部で行われる、セレスティアとヴァルガード両国の初めての文化交流式典だ。
ユナは息を潜め、頭の中でシミュレーションを始めた。
映像には、直径四十センチの送気口が映っている。金属製ルーバーの隙間から覗く防虫ネットは、固定ビスの一本が欠けて揺れていた。海風に揺れるその動きは、小型ドローンの侵入を許す“口”のようだ。
一次作戦。
式典前夜に海岸のテトラポットの陰に爆弾を搭載した小型ドローンを沈める。
式典当日、私は交流団メンバーの一員として式典会場となる海底トンネルの国境ラインに向かう。
式典が開始すると同時に、スマホからドローンに発信命令を送り、ドローンはオートパイロットで海面の塔の送気口へ侵入。
枝分かれしたダクトを抜けて送気装置を破壊し、換気を止める。トンネル内に煙と粉塵が渦を巻き、視界も呼吸も奪われる。
爆破の直前、つまりドローンを飛ばしてから十二分後に、自分は「気分が悪い」と言って会場を離れる。式典の喧噪を背に、救護室へ向かう足音だけを残して。トンネルゲートの警備員に、大切な物を忘れたので取りに行く、と告げてトンネルから出ると時限爆弾を取りに向かう。
そして二次作戦。
爆破後の混乱の中「仲間を助けに行く」とトンネル警備員に伝え再びトンネルへ。
その警備員と普段から特別に親しくしてきたのはこの為だ。
爆破で吹き荒れた粉塵と警報の赤い閃光が交錯し、人々は咳き込みながら押し合い、足音と悲鳴が狭い通路に反響していた。
兄が命を落とした崩落事故現場まで進み、時限爆弾を設置する。爆発は一次作戦が引き起こしたパニックが最高潮に達した瞬間を狙う。
爆発音とともに人々が更に悲鳴を上げる中、自分は逃げる人波に混じってトンネルから脱出する。
全てのタイムスケジュールはもう頭に刻まれている。
海底トンネルは再び閉鎖、両国から犠牲者が出て、関係も悪化するだろう。
でも、それは兄の命を奪ったこの国が負うべき当然の報いだ。
「……大丈夫、いける」
小さく呟くと、胸の奥に鋭い熱が灯った。
(お兄ちゃん、もう少しだよ)
鏡の前に立ち、口角を上げる。目尻をわずかに下げ、練習通りの笑みを作る。
だがその瞬間、港で澪にドローンを見られた記憶がよぎった。
視界に、あの真っ直ぐな瞳が差し込んでくる。
「……っ」
ユナは首を振った。
澪の映像を頭から振り払い、感情のざわめきを押し殺す。
(やるしかない。迷うな)
再び机に向かい、映像ファイルを暗号化。推定図を削除し、痕跡を消す。
ドローンを折り畳み、黒いケースに入れ、ベッド下の奥に押し込む。
立ち上がってもう一度鏡を見る。今度の笑みは硬く、数秒と保たなかった。
PCの画面は暗く沈み、ユナの顔を映し返す。
その瞳には、すでに式典の日の光景が鮮明に浮かんでいた。
煙の向こうで響く人々の叫びと、金属が軋む音――そして、兄の名を胸に刻む自分の姿が。