第7話「琥珀色の決意」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AI――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
夜の宿舎。
外灯の光がカーテン越しに淡く差し込み、部屋の中はほとんど闇に近かった。
ユナは机の上に置かれた古びた写真立てを手に取る。
そこには、黄色い作業員用ヘルメットを被った青年――兄の笑顔があった。
兄の目尻の皺、笑うとわずかに見える八重歯。
それは、三年前のあの日まで確かにあったものだ。
視界の奥が揺らぐ。
――暗く濁った海底坑道。
金属の軋み。
突如響く轟音と振動。
崩れ落ちる鉄骨の影。
通信機越しの「待機しろ」という冷たい声。
助けを求める声が、次第にノイズに飲まれて消えていく。
救助は遅れた。
現場は封鎖され、遺族説明会では分厚い資料の束と形式的な謝罪だけが配られた。
原因はプレート移動の急激な変化による何らかの原因、と公式発表されたまま。
責任の所在はあいまいなまま、時間だけが過ぎていった。
セレスティア政府は責任を取りたがらない――なぜなら、ヴァルガード側の工事では一度も崩落事故が起きていなかったからだ。
兄を含む何人かの大切な命が事故で失われた、その事実が、くだらない国家間の見栄によって葬られようとしている。
「……必ず終わらせる。絶対に許さない」
吐き出すような小さな声が、夜の空気に沈む。
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3年前
ユナは兄の部屋の椅子に腰を下ろし、机の上のノートPCの蓋を開いた。
画面の暗転を解くと、パスワード入力欄が光る。
指先がためらいなく打ち込むのは、兄がかつて使っていたログイン情報。
そのアカウントは、正式にはすでに削除されているはずだった。
「……生きてる、やっぱり」
兄のアカウントは、建設関連のサーバに幽霊のように残っていた。
廃棄されていないテスト環境、アクセス権限の整理漏れ――杜撰さが、彼女に道を開いた。
(ユナの兄は工事現場の安全管理だけでなく、現場用ネットワークの端末設定やデータ送信のメンテナンスも任されていた。
休日になると、ITに興味があったユナに現場用の古いラップトップでタイピングや簡単なネットワーク設定を教えてくれた。
「コードはパズルみたいなもんだ、正しい形が分かれば必ず繋がる」――それが兄の口癖だった。
兄の死後、ユナは独学でプログラム言語や侵入テクニックを学び、匿名掲示板やダークネットのフォーラムに出入りして腕を磨いた。
復讐のためのスキルは、兄との思い出と共に少しずつ積み上げられていった)
VPN経由で国外の中継サーバに接続。
二重、三重の経路を踏み、元のIP痕跡を限界まで散らす。
ブラウザではなく、暗号化通信専用のコンソールを立ち上げる。
黒い画面に緑色の文字が走るたび、心拍数がほんの少しだけ上がった。
ssh -p 443 legacy_user@*****.intra
古い鍵ファイルを指定し、接続。
サーバが吐き出すバナーに、見覚えのある社内システムの名が表示される。
内部ディレクトリを辿る。
海底トンネルのヴァルガードデータ群――更新日が事故直前のものが残っていた。
ユナはそれらを一括ダウンロードしながら、並行してアクセスログの偽装スクリプトを実行する。
タイムスタンプを過去の日付に書き換え、ダウンロード元を別部署のIPに差し替える。
監査プログラムが動き出す前に、全てを元の静けさへ戻す。
ダウンロード完了の表示が出ると同時に、端末から全セッションを切断。
VPNを二重に落とし、キャッシュと一時ファイルを完全削除。
画面が黒に戻った瞬間、ユナの表情もまた、光を失った。
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今、机の上のUSBメモリに、3年前に盗り出した海底トンネルの構造設計図のデータが眠っている。
彼女はそれを無造作にポケットへ滑り込ませた。
琥珀色の瞳が、兄の写真へと向く。
その奥に宿った光は、昼間の交流団で見せた柔らかい笑みとはまるで別のもの――冷たい刃のような決意だった。
「……もうすぐだよ、お兄ちゃん」
カーテンの外では、港の波が静かに揺れていた。