第3話「文化交流団の結成式」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AI――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
港町の朝は、やたら潮の匂いが濃い。
海から吹く風に、陽射しの熱と人のざわめきが混じって――今日が“普通じゃない日”だってことを、誰にでも分からせる。
市民会館の大ホール。
舞台の上には、はっきりと一行。
〈セレスティア若者文化交流団(対ヴァルガード派遣) 結成式〉。
今日はセレスティア側だけの結成式。ヴァルガードは来週、向こうの首都でやるらしい。
制服、スーツ、民族衣装、パーカー……年齢も雰囲気もバラバラな若者たちが、入り混じっている。
(……うん、見た目だけなら平和そのもの)
私はスタッフ用パスを首から下げ、インカムを耳に装着。
式典の運営担当――裏方だ。
「澪さん、右袖の集合を誘導お願い」
「はいはい、すぐ行きます」
慣れた調子で答えながら、背中ポケットのタブレットが気になって仕方ない。
――私のプロジェクトが開発している感生AI〈Affectis〉ーのモバイル版。
今日の私の“もう一つの仕事”が、そこに詰まっている。
壇上では、科学技術大臣、市長、教育委員長……セレスティア側の要人だけがスピーチをつないでいく。
拍手、フラッシュ、ドローン中継。
(こうやってニュース映えする映像が量産されるわけね)
でも私の役割は映像じゃない。
交流団メンバーの中に“危ない色”がないか、見抜くこと。
そんな時、背後から上司の低い声。
「澪。参加メンバー、Affectisで一通りスクリーニングしてくれ」
「……え、今ですか?」
「反社会的思想の兆候があれば何でもいい。攻撃性でも計画性でも。とにかく“危険は見逃していない”って報告が要る」
(報告……うんうん、来期の予算の確保の為の実績づくりってやつね、お金かかるもんね、コイツ)
ため息は飲み込んで、うなずく。
会場後方のブースでタブレットを起動。
カメラとマイク、応募書類やSNSログを束ね、Affectisが会場全体の“感情地図”を描く。
ディスプレイの中で、参加者の顔アイコンが並び、それぞれの周囲に色のリング――喜び、緊張、虚偽、怒り、喪失。
(さて、今日はどんな色が見えるかな……)
スクロール中――ひとつ、赤い三角が瞬いた。
〈ATTENTION〉マーク。
名前:Yuna。セレスティア代表。年齢16。
経歴欄には「ヴァルガード語・母語同等」「選抜倍率100倍突破」。
(すごい経歴……なのに要注意?)
詳細を展開。
【警戒理由:ノイズ過多/情動ベクトル不整合】【確度:低〜中】【推奨:観察継続】
(……何よそれ、曖昧すぎ)
視線を上げ、会場を探す。すぐに見つかった。
琥珀色の瞳の少女――ユナ。
隣の参加者の話に、教科書どおりの笑顔で頷いている。
笑顔の角度、声の高さ、相槌の間――全部が完璧。
(あ~……作ってる。この笑顔、絶対練習してる)
Affectisのグラフが、彼女の周辺だけ微妙に乱反射する。
彼女の瞬きの間隔が不自然に長い、眼球の微細運動が減っている、皮膚電位反応は低いのに手指の筋電だけ強張ってる。
Affectisがそう言っている。
要するに、心はブレーキ、顔はアクセル。
まるで透明な壁の向こうから笑っているみたいだ。
今ここで踏み込むのは悪手。
私は〈ATTENTION〉を**“監視リスト”に登録して、通知閾値を一段下げ**るだけにしておく。
(結論は急がない。急いだ結論は、だいたい間違える)
――閉会後。
人がはけた会館の裏手で、私は端末を切り替える。
ここから先は、一般検索じゃない。
プレート移動事件以降、国外からの違法入国を防ぐため、セレスティアは国民の基幹データを精密管理する国家になった。
そのデータベースに触れられるのは、ごく少数の特別権限だけ。
私の所属する国家AIプロジェクトには、そのアクセスが――ある。
端末が二段階、三段階とロック画面を出す。
まずは掌静脈。次に虹彩。
最後に、〈Affectis Gate〉が要求する感情署名。
――イヤホンから流れる、私にしか“懐かしさ”を誘発しない短いメロディ。
心拍変動(HRV)と呼吸リズムが、私固有のパターンに収束していく。
〈一致率 98.7% 認証完了〉
(……やっぱりこの仕組み、好きじゃない。けど、今は使う)
国民データベースに入る。
ユナの基本情報、親族、過去の住所、学校記録。
――そして、事故関連のフラグ。
別窓で、ユナの家族の個人情報を並べてスクロール。
ユナの兄の個人情報ペインでスクロールの指が止まった。
――「死亡」
海底トンネルの作業監督で6年前に海底トンネル崩落事故で死亡。
顔写真を開く。
ヘルメットの下の笑顔の目元が、ユナとよく似ている。
関連する事故報告書を検索する。
報告欄には簡単な経緯と遺族のコメントもあった。
三年前、トンネルの作業用坑道建設作業中の事故。原因は「構造材の不備」。
賠償協議は長引き、結論は出ていない。
(……そりゃ、笑えるわけない)
窓の外、港の海が夕陽で金色に染まっていた。
そのきらめきの少し外側で、ユナが一人、海の方を見ている。
笑っていない。泣いてもいない。
ただ、風の向こうに何かを測るみたいに、じっと。
(――潮の匂いが強くなる時が、近い)
白髪の青年の声が、唐突に胸の底から蘇る。
私は彼女から目を離せなかった。
この出会いが、セレスティアの運命を揺らす最初の一歯車になる――そんな予感だけが、はっきりと残った。