第19話「沈黙のゲート」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AI――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
[式典当日 10:00/港町多目的ホール]
朝の港町は、祭りの熱狂に包まれていた。
ホール前の広場には人の波が押し寄せ、無数の旗や横断幕が潮風を受けてはためく。
頭上をかすめる報道ドローンのローター音が、期待と緊張をいっそう煽っていた。
セレスティア文化交流団のメンバーたちは玄関前に整列していた。
彼らの装いは純白と深碧を基調にしたユニフォーム。胸元には銀糸で縫い込まれた「CE」の紋章、袖口には蒼いラインが走り、足元は黒のローファーで統一されている。
朝の光を受けたその姿は、舞台の幕開けを告げる役者のように眩しかった。
やがて行列は、鋼鉄のアーチに縁取られた海底トンネルのゲートへと進む。
二人の警備員が無言で立ち、通行者を監視していた。
そのうちの一人がユナに気づき、穏やかな笑みを浮かべる。
ユナはそれに応えるように、完璧な笑顔を返す。
――けれど、心の奥底では冷ややかに囁いた。
(今日は……あなたに、ちゃんと役を果たしてもらうわ)
巨大なゲートを抜けたその先に、銀色の巨体が待ち構えていた。
「わ……!」
誰かが息を呑んだ。
そこに鎮座していたのは、未来を象徴する乗り物――エアーライナー。
流線型のボディは陽光を反射して銀の矢のように輝き、海鳥の翼を模したエアフラップが広がっている。
レールの上に浮かぶその姿からは磁場が唸りをあげ、抑えられた低音が足元から伝わってきた。
「最高時速600キロ……」
団員の一人が呟く。興奮で頬が紅潮していた。
わずか22秒で、2キロ先の式典会場へ到達する超高速列車――初めて目にする者たちの目は子供のように輝いていた。
「乗り込みます!」
係員の声に応じ、エアーライナーの扉が滑らかに開いた。
団員たちは次々と乗り込み、真新しい白いシートや青白い光に包まれた車内をきょろきょろと見回した。
走行音はほとんど無く、未来そのものに触れたようだった。
ユナもまた、その一員として座席に身を沈める。
笑顔は完璧。談笑にも自然に応じる。
だが――胸の奥で燃えているのは、凍てつく炎。
(……兄さん。ついに始まるよ)
[海底トンネル内・式典会場]
加速の衝撃と共に景色が弾け飛び、わずか22秒。
エアーライナーは全長800kmのトンネルの入り口から2キロ奥――特設された会場に到着した。
ホールに足を踏み入れた瞬間、観衆のざわめきが凍りついた。
天井から降り注ぐ光が空間を満たし、二つの巨大なホログラムがゆっくりと姿を現す。
ひとつはセレスティアの会場。煌めく装飾と荘厳な演壇が立体映像となって浮かび上がる。
もうひとつはヴァルガードの式典。冷厳な石造りのホールが、まるで目の前に存在するかのような実体感で広がっていた。
距離にして八百キロ――本来なら決して交わらないはずの二つの都市が、いま同じ空間に並び立つ。
そこに立つ人々の息遣いまで聞こえてきそうな臨場感は、スクリーンでは決して届かない。
「まるで……同じ場にいるみたいだ……」
誰かの吐息が、静寂を破った。
幻想と現実の境界が溶け合い、実際には800km離れていても両国がひとつになるという“象徴”が、観衆の目の前に形を取っていた。
やがて音楽が流れ、式典が始まった。
1.両国代表の挨拶。
2.両国歌の斉唱。
3.未来世代を代表する学生による「平和の誓い」。
4.両国の子供たちが描いた絵の展示と紹介。
5.国旗色を織り交ぜたリボンを切るセレモニー。
会場は拍手に包まれ、ホログラムに投影されたヴァルガードの人々からの拍手も重なる。
空気は祝祭そのもの――ただ一人、ユナの心臓だけが冷たく跳ねていた。
(もうすぐ……)
式典開始から30分後。
ユナは胸ポケットのスマホを指先で軽く押す。
布越しのタップ――シグナル発信。
昨夜、港のブイに沈めた小型ドローンが、満潮の海から音もなく浮上した。
自動航行で送気装置へ向かう。
酸素供給を絶ち、トンネルを混乱に陥れるために。
十二分後、ユナはわざと力を抜き、椅子に崩れ落ちた。
「大丈夫ですか?」
スタッフが駆け寄る。
「……少し、気分が悪くて。救護室で休ませてもらえますか」
声は弱々しく、だが計算された震えがあった。
心配する団員たちを背に、ユナは出口へ向かう。
――救護室ではなく、まだ運用開始前の薄暗い貨物ルートへ。
人影はなく、冷気が沈む薄暗い通路。
最低限の照明の下、ユナはゲートへ向かって走り出した。
やがて鉄製のセキュリティゲートが現れる。
前に立つ警備員が、驚いたように彼女を見た。
「…ユナさん? 規則では今は会場から出られません、再入場も禁止ですよ」
ユナは胸に手を当て、申し訳なさそうに首を傾げる。
「ごめんなさい……多目的ホールに大事な物を置き忘れてしまったんです。ほんの少しでいいから取りに戻らせてください。必ず、すぐに戻ります」
警備員は苦悩に眉を寄せた。
本来なら絶対に許されない――だが、ユナの誠実な笑顔と、築いてきた親しさが彼の判断を狂わせた。
「……今回だけですよ。俺が責任を持ちます」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるユナ。その仕草は疑念を抱かせない。
ゲートが開く。
(……そう。それでいい。あなたには最後まで協力してもらう)
ユナは駆けた。
目指すは多目的ホール奥のロッカー。
(そこにある……私の“大事なもの”)
黒いバックパック。
中には酸素マスクと、時を刻む冷たい爆弾。
――命を繋ぐものと、復讐を果たす刃。
「お兄ちゃん……もうすぐだよ」
ユナの瞳に、迷いは一片もなかった。




