第18話「闇の牙、燃ゆる炎」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AI――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
[式典1日前 深夜1:35/セレスティア首都 澪のアパートへの帰路]
夜の街路は昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
ネオンの灯りがところどころで瞬き、冷たい潮風がアスファルトを撫でる。
「送っていくよ」
リオンが歩調を緩め、隣を歩く澪に真っ直ぐな視線を向ける。
「大丈夫。ここからすぐだし」
澪は笑って首を振ったが、彼の瞳に宿る強い意思は揺らがなかった。
「いや、今日は絶対に送る。……ユナの件もある。君を一人にさせられるわけがない」
その声音に込められた誠実さに、澪は小さく息を呑んだ。
(……リオン、やっぱり優しいな。でも、それだけじゃない。何かを決意してる顔……)
二人は並んで歩く。会話は自然とユナのことに及んだ。
澪は口を引き結びながら呟く。
「ユナは……きっと、兄さんのために……でも、あのままじゃ……」
「だから止めなきゃいけないんだな」
リオンの声は静かだが、刃のように鋭かった。
その瞬間――。
横合いから黒塗りのワゴン車がスッと近づき、きぃっとタイヤがアスファルトを擦る。
次の瞬間、スライドドアが勢いよく開いた。
運転席に残る男、そして外に飛び出した二人。
目出し帽に黒い手袋――その視線は狩人のように澪へと突き刺さる。
二人の実行犯が、躊躇なく澪へと手を伸ばした。
「澪、危ない!」
リオンの叫びと同時に、世界が加速した。
一人目が澪の腕を掴もうとした瞬間、リオンは咄嗟に前へ出た。
その手首を鋭く捻り、相手の重心を崩す。
「ぐっ……!」
呻いた男の腕を肩に引っかけ、そのまま畳み掛けるように投げ飛ばす。
鈍い音と共に、男は背中からアスファルトに叩きつけられた。
もう一人がナイフを抜き、刃を月光に光らせてリオンへ突進する。
だがリオンの瞳は微動だにせず、腰を深く落とした。
「ふっ!」
一瞬で間合いを詰め、拳ではなく肘を突き上げる。
肘打ちが男の胸骨を直撃し、衝撃が肺を押し潰した。
「ガハッ!」
ナイフが手から滑り落ち、カランと乾いた音を立てた。
しかし一人目が再び立ち上がり、背後からリオンに掴みかかる。
リオンは軽く吐息を洩らし、回し蹴りを放った。
足刀がみぞおちに深く突き刺さり、男は膝から崩れ落ちる。
立ち上がった二人目は怒号を上げながら突進してくる。
リオンはその腕を払い、逆に喉元へ掌底を叩き込んだ。
男の体が仰け反り、咳き込みながら地面に沈む。
残心を崩さず立つリオン。
その姿はまるで修練された武人――古流合気と実戦空手を組み合わせた流派の使い手のようだった。
澪は呆然と立ち尽くし、胸を強く押さえた。
「リオン……今の……」
彼は軽く笑いながら肩で息を整える。
「結構やるだろ、俺」
冗談めかして言ったが、その瞳は獲物を睨む獣のように鋭く光っていた。
ワゴン車の運転手が慌てて倒れた二人を引きずり込む。
タイヤが悲鳴を上げ、車体は闇に飲まれるように去っていった。
残されたのは、静寂と潮風だけ。
澪は震える声で言った。
「……やっぱり、《ダーク・ヒールズ》だ。私を消そうとしてる」
リオンは彼女の肩に手を置き、真剣な顔で言う。
「大丈夫。俺が守る。君に何かあったら……俺は絶対に許さない」
その言葉に澪の胸に熱が広がる。
恐怖で張り詰めていた心が、リオンの言葉で少しだけ解けていった。
二人は歩みを再開し、やがて澪のアパートにたどり着く。
玄関前の灯りが二人を照らした。
「今日は……いろいろありがとう。本当に。あなたのおかげでユナを間違った方向から連れ戻す事が出来るかもしれない。きっと……できる」
澪が頭を下げると、リオンは耳を掻きながら視線を逸らす。
「なんつーか……礼なんていいよ。そんな風に改まって言われると……慣れてないんだ、そういうの」
澪の頬が少し赤く染まり、リオンは照れくさそうに微笑んだ。
[式典1日前 深夜2:20/港]
冷たい海風が吹き荒ぶ港。
ユナは無言でブイの隙間に身を沈め、黒いケースからドローンを取り出す。
波間に滑らせ、静かに沈める。
水面に揺れる月光が、彼女の瞳に反射する。
そこに宿るのは迷いのない怒りの炎。
(お兄ちゃん……明日、必ず……復讐を果たすよ。誰にも邪魔はさせない)
拳を強く握りしめ、ユナは暗闇に誓いを刻んだ。




