第17話「シミュレーション」
[式典1日前 深夜0:10/セレスティア王国 ・科学技術省国家戦略AIラボ]
深夜のラボ。
扉を押し開けた瞬間、青白いモニターの光が薄闇を裂き、机に肘をついていたリオンが顔を上げた。
白衣の袖を無造作にまくり、寝癖のついた前髪を片手で払う。目の下の薄いクマ――でも、その瞳だけは冴え冴えと光っている。
「……来たか、澪」
私はうなずいた。喉がひりつくほど緊張しているのに、言葉は驚くほどまっすぐに出た。
「あなたを――リオンを、信じる。だから全部、話す」
息を整え、これまで掴んだ断片をひとつ残らずつないで差し出す。
ノナカ記者の玄関越しの証言。公式発表の矛盾、崩落が“仕組まれた可能性”。
争いが続くほど肥え太る影の連中――《ダーク・ヒールズ》。
そして、ユナ。Affectisが示した“理想語彙と感情の乖離”、ドローン映像の嘘、兄への言及で弾ける怒りと喪失のスパイク。
ランチの席で「爆破」と口にした瞬間に跳ね上がった異常反応。口紅の跡のないナプキン――メイク直しという言い訳の空虚さ。
リオンの表情が、言葉を追うたびに強張っていく。
驚愕、否認、そして受容。最後には、真剣な静けさが宿った。
「……ユナが。式典で――」
「信じなくてもいい。でも私はもう確信してる。誰かが止めなきゃ。私が、止める」
言い切った瞬間、胸の奥のぶるぶる震えていた何かが、ひとつの芯に固まるのが分かった。
リオンは数秒、黙ったまま私を見つめ――小さくうなずいた。
「分かった。なら、俺の切り札を使おう。EIDOSを起こす」
背後のラックで、複数のサーバが一斉に喉を鳴らす。
リオンがキーボードを叩くと、湾曲モニターいっぱいに黒地のUIが立ち上がった。
EIDOS――Event-Integrated Decision Optimization System。
都市インフラ、時刻表、潮汐データ、警備動線、そしてAffectisログのような“人間のノイズ”まで飲み込み、確率の海から「起こりうる作戦」を引き上げる、予測合成AI。
「インプット、全部出して」
「うん」
私はUSBキーを渡しながら、口頭でも補う。ユナの行動ログ、ドローン目撃地点、送気塔の位置図、消えた映像、港でのやり取り、ランチの応答――細部まで。
リオンは端的な質問を差し挟みながら、EIDOSにタグを付けて放り込んでいく。
[取り込み:Affectis_Logs_Yuna-Lunch-12:00]
[取り込み:Harbor_Drone_Sighting_CAM-08]
[取り込み:Vent_Tower_Map v2.3]
[取り込み:Ceremony_Timetable + TideChart]
[取り込み:Security_SOP_Redacted]
[変数設定:ユナの“兄”トリガー係数=高/虚偽指標=高]
モニターの片隅で、潮汐曲線が滑らかにせり上がる。式典は満潮帯。――「潮の匂いが強くなる時が、近い」。あの青年の声が、耳奥で淡く重なった。
「走らせるぞ」
リオンがEnterを押す。
黒い海に白い点群が生まれ、群れ、分岐し、やがて三つの大きな筋道に束ねられていく。
画面の上部に浮かび上がるラベル。
【Sim-A】Vent→Panic→Re-entry→Secondary(CollapseSite)
【Sim-B】PowerGrid_Smoke→Evac_Unlock→Maintenance_Bypass
【Sim-C】Pre-placed_Parcel→Signal_Hijack→RemoteTrigger
私は無意識に息を止めていた。
リオンがポインタでAを選ぶ。詳細が展開される。
――【Sim-A】
・T0:式典開始。ユナ、参加者として国境ホール付近に配置。
・T+00:30:スマホ端末より送気塔へ“起動信号”送出(確度:中)
・T+02:00:通気ダクト内の異常圧変化 → フィルタ損傷 → 送気装置停止(換気低下)
・T+03:00〜:煙・粉塵の滞留、視界不良。参加者の軽度パニック開始。
・T+12:00:ユナ「体調不良」を申告、医療テントへ退避(再入場口の事前下見あり/確度:高)
・T+13:30:混乱を縫って“崩落事故区画”へ単独移動。時限装置設置(推定起爆:T+15:00)
根拠リストには、私の目撃情報とAffectisログが重ねられ、ユナの“爆破”語彙トリガー、嘘をつく時の右耳たぶタッチ、ドローン映像の虚偽回答まで、すべてが赤いアンダーラインで結ばれている。
喉が鳴った。これだ――。
「BとCも見る」
リオンが流れるように切り替える。
――【Sim-B】
・セレモニーホール側の展示ブースで“異臭源”を発生(煙発生器もしくは化学物質の疑似反応、確度:低〜中)。
・非常警報の優先度上昇 → 一部エリアの隔壁が自動開放(Evac_Unlock)。
・そのタイミングでメンテナンス回廊へすり抜け、電源系統のサブパネルを破壊。
・換気・照明が不安定化し、避難動線が乱れる → 二次的な事故誘発。
(根拠:ユナの“カメラ死角”への異常関心/電源ルートの下見ログ。だがドローン要素との整合が弱く、ユナ単独の負荷が高い)
――【Sim-C】
・式典前日までに“文化交流荷物”に偽装した小型装置を搬入済み(協力者が必要:確度 低)。
・舞台側のオーディオ/通信リグに混ぜたリモート経由でトリガー。
・爆煙の発生地点がホール側に偏り、警備が集中 → 別働で重要区画へアクセス。
(根拠:搬入リストに不審な空白あり/だがユナの行動ログに“搬入フロー介入”の痕跡が乏しい。協力者仮定の不確実性大)
私は画面と自分の記憶を何度も往復する。
港でのドローン。送気塔。ランチでの“爆破”スパイク。
そして、彼女が口にした「メイク直し」――口紅の跡のないナプキン。
「……Aだよ、リオン。Aに賭けるしかない」
「俺もそう見る。EIDOSの事後尤度もAがダントツだ」
[尤度スコア]
A=0.71 B=0.19 C=0.10
リオンが息を吐き、椅子をぎぎっと近づける。
「いいか、方針は三段階に分ける」
モニターに新しいレイヤが重なる。リオンのきれいな字で、簡潔な戦術線が描かれていく。
①《前哨戦》送気塔ルート妨害
・式典当日、送気塔周辺で“未知帯域のトラフィック”を監視。
・もしドローン制御信号を検知したら、その波形に合わせて“疑似管制”を上書きし、港外へ誘導。
(※広帯域ジャミングは使わない。式典通信に支障を出さないため)
・港警備へは「装置の自己診断テスト」として、最低限の追加見回りを依頼(目立たせない)。
②《時間稼ぎ》医療テントでの再入場阻止
・ユナが体調不良を申し出た瞬間、受付側のプロトコルで“安静観察 15分”を挟ませる。
・その間、身辺チェックを“通常手順の強化”として自然に実施。
・澪は現場に張り付いて、アフェクティスの“微表情”で再入場タイミングを見極める。
③《決戦》崩落区画での待ち伏せ&説得
・最悪、①②を抜けられても――最後の砦は崩落現場。
・澪と俺で先回りし、設置ポイントに張る。
・取り押さえるだけじゃない。話す。真相を、敵の正体を、“兄の夢”を。
・彼女の手で手を止めさせる。それが一番、後に残らない。
私は図を見て、拳を握った。
③――そこで、ユナと向き合う。兄の影と、《ダーク・ヒールズ》と、そして私自身の臆病さと。
「③ね、崩落現場で…ユナを待ち伏せる、私一人で」
「……怖いか?」
リオンが横目で尋ねる。
「怖いよ。めちゃくちゃ。でも、もっと怖いのは……ユナが“間違った相手”に刃を向けたまま、二度と戻れなくなること」
一拍の沈黙。リオンが小さく笑った。
どこか、誇らしげに。
「なら決まりだ。EIDOSのシナリオAに賭ける」
彼が“実行計画”タブを展開する。
私のAffectis端末に、同期のピンが飛んできた。送気塔周りの見取図、医療テント動線、崩落区画の立体図。
すべてが、ひとつの線に収束していく。
「潮、満ちていくな」
リオンが窓の外を見やる。夜の都市の空にも、海の匂いは届くのだろうか。
「うん。――潮の匂いが強くなる時が、近い」
言って、自分でも驚くほど静かな気持ちになった。
恐怖と、決意と、奇妙な確信。あの図書館で、白い髪の青年が告げた合図――それはたぶん、今だ。
私はタブレットを胸に抱え、リオンに向き直る。
「行こう、リオン。前哨戦の準備を」
「おう。澪、絶対に一人で突っ走るな。危なかったら、俺が前に出る。……君を守る」
真っ直ぐすぎる台詞に、心臓が一つ跳ねた。
でも、今は前を向く。
ラボの自動ドアが静かに開く。深夜の廊下へ踏み出した瞬間、空調の風が、かすかに塩の匂いを運んできた気がした。
――海が、動き出している。
私たちも、動く。




