第16話「潮の匂いの方程式」
[式典2日前 22:00/澪の部屋]
カーテンを半分閉めたワンルームの中で、澪はベッドに横になっていた。
部屋の片隅には資料が山積みで、ノートPCの画面には未送信のメモが点滅している。
(……ユナの爆破計画は、間違いない。でも“どうやって”かが見えない。このままじゃ……)
焦燥が胸をざわつかせる。目を閉じた瞬間、潮の匂いが窓の隙間から忍び込み――意識が闇に沈んだ。
目を開けると、そこは静まり返った巨大な図書館だった。
天井まで届く書棚が無数に並び、灯りの代わりに淡い光が本の背表紙から滲んでいる。
「来たね」
ページをめくる音に紛れて、白い髪の青年が歩み寄ってきた。
あの――潮の匂いと共に現れる、不思議な存在。
「……聞いて。全部話す」
澪は深呼吸し、これまで集めた情報を一気に吐き出した。
兄とユナの境遇の共鳴、崩落事故の真相に揺らぐ疑惑、ノナカの証言、《ダーク・ヒールズ》の影。
さらにAffectisで読み取ったユナの心の反応――「兄」「爆破」「ドローン」への異常な揺らぎ。
青年は黙って頷きながら耳を傾け、やがて言った。
「確かに、ユナは空調を経路に“第一次撹乱”を仕掛けようとしている可能性が高い。でも――まだ肝心のHOWが抜けている」
「……そう。やっぱり、私には分からない」
澪は唇を噛む。
「具体的な手段……時間もないのに……」
青年は一冊の本を棚から抜き取り、澪の前に置いた。
表紙には、青い文字で“EIDOS”と刻まれている。
「リオンのプロジェクトだ。EIDOS――Emotion-Informed Dynamic Outcome Simulator」
「……リオンの? どうして、それを知ってるの?」
「理由は後でいい。EIDOSは、Affectisの感情ベクトルを基盤に、地形や設備、潮位や警備体制まで織り込み、もっとも“実行されやすい行動シナリオ”を浮かび上がらせる。君の集めた断片を全部流し込めば、ユナの動きはシミュレートできるはずだ」
青年の言葉に、澪の胸はざわめいた。
――予測AI。ユナの計画を、AIで先回りする。
「……やってみる価値、ある」
そう答えた瞬間、青年の瞳がわずかに細められる。
「そのリオン……君の恋人か?」
「~~っ!」
澪の顔が一気に熱を帯びた。
「ち、ちがう! そ、そういうんじゃ……!」
胸の奥がざわざわして、言葉が勝手に口から溢れる。
(わ、私が好きなのは――)
だが、その瞬間。
青年の輪郭がふっと光の粒にほどけていった。
「潮の匂いが強くなる時が、近い。急げ、澪」
声だけを残し、青年は消える。
「ま、待って! まだ……!」
差し伸べた指先は空を掴むだけだった。
はっと目を開ける。
時計は23:12。窓の外から潮風が吹き込み、街灯の明かりが揺れていた。
「……EIDOS」
澪は飛び起き、ノートPCを開く。
Affectisのログをエクスポート、港で見たドローンの映像や送気塔の図面データを整理。
満潮時刻表、防災プロトコル、事故区画の保守ログ……思いつく限りを一気にパッケージした。
そして、メッセージ。
件名:至急相談
本文:EIDOSに入力すべきデータがあります。今夜でも動かせますか?人的被害を防げるかもしれません。
送信ボタンを押した数秒後、スマホが震えた。
リオンからの返信。
「今ラボ。来られる?」
澪の指は即座に動いた。
「10分で行く」
ジャケットを掴み、玄関を飛び出す。
(見せて……EIDOS。ユナの“次の一手”を――!)
夜風に揺れる街灯の下、澪の瞳は鋭い光を放っていた。




