第12話 「海底に眠る真実」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AI――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
[式典3日前 午前7:00/セレスティア王国 中央省庁・国家AI戦略チーム プロジェクトルーム]
朝の省庁はまだ静かだった。
プロジェクトルームの窓の外には薄い靄がかかり、摩天楼の影が青く沈んでいる。
まだ誰も出勤していない。
(へへっ、一番乗り!)
机の上に置いたマグカップからは、もう冷めかけたコーヒーの香り。澪は深く息を吐き、チーム専用の端末にログインした。
(……家庭環境の調査。Air on Gに言われたことを、本当にやるなんて)
内心で苦笑しつつも、指先は止まらない。画面には国民データベースの冷たいインターフェースが広がり、名前や生年月日、血縁関係が整然と並んでいく。
「……ユナ・アルヴェール」
検索結果の一行をクリックすると、詳細な個人記録が開いた。家族構成、親族一覧。そこに並ぶ無機質な文字列を追ううちに――澪の視線が、一点に釘付けになる。
(……ユナの兄……)
スクロールを止めた瞬間、胸が跳ねた。そこに表示された生年月日。学歴の欄。
「……嘘でしょ」
ユナの兄は、自分の兄と同い年で、しかも――王立セレスティア工科大学(Royal Celestia Institute of Technology)の卒業生。
(兄さんと……同じ大学?)
震える指先がスマホを掴んでいた。
(あ〜今すぐ兄さんに聞きたい……でも、兄さんのいる国は……今、真夜中じゃん)
時計を見て、澪は一瞬ためらう。
(ご、ごめん! もう、後で怒られても知らない!)
小声で呟いてから、勢いよく兄のアドレスのコールボタンを押した。
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ビデオチャット
「……兄さん!」
ビデオチャットの発信音が数回鳴ったあと、画面に映ったのは寝癖のついた男の顔だった。
海外の研究施設にいるはずの兄は、驚いたように目を瞬かせ、それから苦笑する。
『おいおい、こんな時間にどうしたんだ? 珍しいな』
「ごめんなさい、でも今すぐ聞きたいことがあるの。……ユナ・アルヴェールって人の兄さん、知ってる?」
唐突な問いに、兄は一瞬眉をひそめ――そして、懐かしそうに目を細めた。
「ああ……あいつか。ラルフ・アルヴェール……覚えてるよ」
「どんな人? 何でもいいから教えて!」
「……構造設計工学科の秀才でな。いつも図面の前に座って、誰よりも熱心に未来を語ってた」
画面越しに聞こえる声は、記憶をたぐるようにゆっくりしていた。
「あいつ、愛国心が強かったんだ。セレスティアとヴァルガードの間に海底トンネルが通れば、両国の関係が改善するって信じてた。いつ衝突してもおかしくないこの状況を、少しでも和らげたいってな。それで建設プロジェクトに加わったんだ」
澪は無言で聞き入る。兄の口調に混じる微かな尊敬の色が、かえって胸を締め付けた。
「……でも、あの崩落事故で亡くなった。坑道が崩れたって報道されてたけど、現場では“仕組まれた事件かもしれない”って噂もあった。俺も詳しくは知らない」
兄は少しだけ目を伏せ、それから言葉を継いだ。
「確か妹がいたはずだ……奴は妹を本当に大事にしてた。学費も全部自分で負担してたし、よく“あいつが立派に育てば、それでいい”って言ってたよ。……妹想いの優しい奴だったよ。俺が知っているのはこれぐらいだ。特に親しかったわけでもないしな」
(……ユナのお兄さんが学費を負担して……ユナを育てた……なんだかウチと一緒じゃん!)
胸の奥に、ムズムズと共鳴が走る。
自分の学費をすべて負担してくれた兄の姿。背中越しに見た、不器用な優しさ。
(……そうだ……ユナと私は……同じなんだ。兄に守られて、兄を支えに生きてきた。喪失を想像しただけで、心が壊れそうになる……)
喉が熱くなる。
(……もし、私の兄さんが事故でいなくなったら……)
想像した瞬間、心臓がぎゅっと締め付けられ、視界が滲む。
「おい……澪? 大丈夫か?」
慌てたように兄が呼びかける。澪はぶんぶんと首を振り、袖で涙を拭った。
「……大丈夫。平気。ありがとう、兄さん」
笑顔を作ろうとしても、声は震えていた。
ビデオチャットを終えた澪は自分とユナの境遇を重ね合わせていた。
(ユナ……あなたも、きっとこんな気持ちだったんだよね。大切な“兄”を失ったとき、世界が急に真っ暗になるあの感覚……。私は痛いほどわかる。あなたの悲しみを)
澪は机に突っ伏し、しばらく目を閉じた。
共通点は見つかった――“兄”という存在。ユナと自分の境遇は、思っていた以上に近い。
けれど、それ以上に心に引っかかっているのは兄の言葉――。
(……あの崩落事故。本当に、ただの事故だったの……?)
澪は深呼吸をして姿勢を正し、端末の画面に戻った。指先が検索窓を叩く。
「海底トンネル 崩落事故」
古い新聞の見出し、当時の現場写真が次々と浮かび上がる。
ほとんどの紙面は「予期せぬ崩落事故」と記していたが――一紙だけ、論調が違った。
『事故と報じられる裏で、不自然な矛盾が存在するのではないか?』
記事の本文を読み進めると――
〈崩落が起きた坑道区画には、通常の監視カメラが稼働していなかった〉
〈作業員の退避指示が出る数分前に、現場に不明の人物が立ち入った形跡〉
〈公式発表と、現場作業員の証言の間に大きな食い違い〉
(……この記者……他は皆“事故”って書いてるのに、ここだけは疑問を残してる……)
彼女は記事を書いた記者の署名を見つめ、唇を噛んだ。
「やはり……事故じゃないのかもしれない、この記者に直接話を聞いてみる...か?」
小さな声で呟いたそのとき。モニターの片隅で時刻が 7:45 を示した。廊下からは足音と笑い声。仲間たちが次々と出勤してくる。
澪は慌てて端末をロックし、何事もなかったように立ち上がる。
「おはようございます」
笑顔で挨拶を返しながらも――心の奥底で固く決意していた。
(私は……真実を掘り起こす。ユナの心の奥に眠るものを知るために。海底に眠るものが、何であろうと)




