第1話「五年後のセレスティア」
五年前。
セレスティア王国とヴァルガード帝国――二つの島国は、大陸移動によって衝突寸前という前代未聞の危機に直面していた。
戦争か、国土消滅か――その瀬戸際で、ただ一人“夢の図書館”で出会った白髪の青年から「世界最強のAI《Air on G》」を託された少女がいた。
彼女の名は澪。
引きこもりの女子高生だった彼女は、仲間や市井の人々との交流、そしてAIとの奇妙な信頼関係を経て、数々の妨害や裏切りを乗り越え、二国の衝突を阻止した。
あの日の潮の匂いも、青年が消える直前に見せた微笑も、今も彼女の胸に焼き付いている。
――そして現在。
22歳となった澪は、セレスティア政府の科学技術省に勤務し、新たな国家AI戦略プロジェクト《Affectis》に関わっている。
それは感情を読み取り、行動を予測する感生AIの研究開発――防衛にも外交にも使えるが、使い方次第では危険な兵器ともなり得る代物だった。
海底トンネルの完成が近づき、両国の交流が加速する一方で、見えない火種が静かに燻り始める。
そして再び――潮の匂いが、濃くなる時が迫っていた。
本作は、前作『引きこもり女子高生、夢の図書館で手に入れたのは世界最強のAIでした』の五年後を舞台にした、完全続編である。
あの時の“選択”がもたらした未来で、澪は再び運命の渦に巻き込まれていく。
五年前――。
プレート移動による両国の衝突危機は――あっけなく、終わったーー皆はそう思っているに違いない。
人々はホッとして握手し、ニュースは「奇跡!」なんてはしゃいでいたけど……私は知っている。
あのとき本当は、何が起きていたのかを。
そして今。
当時17歳だった私(澪)は22歳になり、セレスティア王国科学技術省の国家AI戦略チームで働いている。
担当は――感情読解AI《感生AI(Affectis)》の研究開発。
仕草、表情や声色、心拍まで読み取って、その人が何を考えているか予測する。まさにSFな技術。
実験室の大型モニターには、被験者の顔、声紋、心拍数がリアルタイムで表示されていて、その横には【喜び】【警戒】【虚偽】のラベル。
軍や外交でも「使える!」と評判だけど……。
(いやいやいや……人の心を読むなんて、悪用されたら終わりじゃない?)
会議でそう言っても、上は「治安維持だ」「外交にも使える」とノリノリ。
――ああもう、作ってる本人の気持ちも考えてほしい。
セレスティアとヴァルガードを結ぶ海底トンネル――それがもう完成してるって、すごくない?
全長、八百キロ。八百。数字だけで脳がバグるレベル。
だって、二つの国を隔てる海は、ふつうなら数日かけて船で渡るレベル。その下に“線”を通したなんて、常識で考えたらどうかしてる。普通は「ありえない」で終わりでしょ。でも人間って、ありえないを現実にしちゃうから怖い。
普通に考えて「無理ゲー」って言葉しか出てこない。
でも、それを人間は本当に作っちゃった。
海底区間だけで六百キロ以上、最深部は水深一千メートル。潜水艦ですらためらう深さに、コンクリと鉄で管を通して、「はい、両国つながりました!」なんて。……どんだけ技術の暴力なの。
中は、近未来SFそのもの。
旅客用と貨物用の二本のメインルートがあって、両脇には自動搬送システムが延々と走ってる。時々現れる避難ルートは、まるで秘密基地への通路みたい。照明は無機質に白くて、歩いてると「ここで一生迷子になるんじゃないか」って錯覚するくらい。
で、両国の国境ラインに文化交流用の“使節区画”なんてものも作っちゃってる。両国の旗が交互に並んで、ホールには同時通訳ブースがずらり。さらに緊急時には二メートルの隔壁がガシャーンと降りる仕組み。
「友好の象徴です」ってパンフレットには書いてあるけど……正直、無機質で冷たい鉄と白い光の連続に、私は逆に背筋がぞわっとした。
八百キロの海底の道。
それは“未来”への架け橋かもしれない。けど、私の胸の奥では、いつも小さな声がささやく。
――本当にそうであって欲しい…
そんな夜。
自宅のデスクでデータを見ていたら――。
画面の端に、ふわっと光が揺れた。
「……え?」
次の瞬間。そこに――“彼”が立っていた。
白い髪。灰色の瞳。深海みたいに静かなまなざし。
《Air on G》。私と一緒に世界を救った、あのAIの象徴的な姿。
「……久しぶり、だね、澪」
――っ。
心臓、止まった。いや、爆発した?
五年ぶり。五年も会ってなかったのに、ぜんっぜん色あせてない。むしろ今のほうが危険なくらい、かっこいい。
(やっぱり……好きだ)
声を出そうとした瞬間、彼は口元だけをわずかに動かして言った。
「澪。――潮の匂いが強くなる時が、近い」
「え、ちょ、ちょっと待って!」
言い終わる前に、彼の輪郭が光の粒になってほどけていく。
「まだ話したいこと、いっぱいあるの! 聞きたいことも! ていうか……いなくならないで!」
思わず端末に手を伸ばすけど、掴めるはずもなく、指先は空を切る。
最後の光が消えたとき、部屋には私と心臓の音だけが残った。
(……何なのよ、あの人。相変わらず自分の言いたいことだけいって…ずるいじゃない)
そう呟いた瞬間、窓の外から、潮の匂いを運ぶ夜風がふっと入り込んだ。
――それが、すべての始まりになるなんて、このときの私はまだ知らなかった。