「斡旋所」
ナギサは、しばらく呆然とした後、ランドリーバッグを取り出した。
コンビニまでクロネコさんが運んでくれた箱は3つ。
そう大きくもない2つは、妹へのプレゼントだった包丁セットと、父親が樽で買ったとかの酒だ。誰も飲まないから溜まる一方のブランデーとウイスキーのミニボトルが季節ごとに数本届く。出資者だったらしく本人が死んでも届く。いつまで続くのかわからん。
そして、少々大きいこの箱こそが、アルツベルグのティーポットだ。
九品仏の食器屋で偶然見かけて、一目で気に入って買ってしまった。
ぼってりと丸くて、真っ白なティーポット。
駒込家で紅茶を飲むのは渚だけだったので、このティーポットを使っている時は、家でゆっくりできる唯一の時間だった。
それが気に入らなかったのか、こともあろうに母親が、手を滑らせて床に落として割ったのだ。
自分が使いもしないポットに、一体何の用があったのか。
幸いキレイに割れたので、そっと破片を拾い集め、金継ぎを頼んでいた。
半年以上かかったけれど、やっと出来上がったんだ。
ナギサがダンボールを開けると、ティーポットの箱の他に、3つの小箱が入っていた。
どおりでティーポットにしてはちょっとでかいなと思ったんだ。
同封されていた封筒を開ける前に、待ちきれなくてティーポットの箱に手をかける。
丁寧に梱包された包みを慎重に開けると、そこには装いも新たに、黄金のラインを施された、より美しいティーポットに生まれ変わっていた。
「ステキ・・・」
しばらく眺めてから、そっと箱に戻す。
良かった。もっと好きになった。諦めて捨てなくて良かった。この職人さんに頼んで良かった。
そして、やっと封筒を開けてみた。てっきり領収書かなんかだと思ったのに、中に入っていたのは手紙だった。
驚いた事に、最初はお店の定型文のような印刷なのに、後の方に手書きの文字が綴られていた。
『駒込渚さま』
〜
ティーポットの金継ぎをしたのは初めてでした。
とても良い経験をさせていただき感謝しております。
練習にしたコーヒーカップとティーカップを添付してしまいましたこと、どうかお許しください。
こちらもとても良くできましたのに、この子達も行き場がなかったのです。
それがたまさか巡り合わせた渚さまのティーポットと、とても似合うと思ってしまったのです。
引き取ってくださるお礼に、いつも飲んでいる茶葉を図々しくもお薦めさせていただきます。
抹茶も好きですが、実は私も紅茶が大好きなのです。
この度のご利用、誠ありがとうございました。
『金繕いKASUGAI 松田』
あ、元気出た。
なんか、一つのことでもうダメだとか、しんどいとか、人権を蔑ろにされるって思考が真っ黒になる。でもだからって、自分まで腐っちゃダメだった。目の前の世界は色で溢れている。
小箱を開けると、どちらもソーサー付きで真っ白なカップだ。
時代を感じるデザインなのにシミひとつなく、愛されていた什物品だとわかる。
ところどころがぷっくりと、ミルクの海を滑らかに這った跡のような金継ぎが入っていて、うっかりすると体内から何かがでちゃいそうなほど美しい。
あとでじっくり眺めよう。と、慎重に箱に戻して、最後の包みを開ける。
紅茶はロンネフェルトの茶葉の缶だった。いつか、自分でも淹れてみたいと思っていた茶葉だった。
ナギサは、目を瞑り深くゆっくりと深呼吸した。
家族から解放されて、魔法が使える世界にいるんだ。
帰れないのなら、これからは自分のためだけに生きられるんじゃん。
そう考えたらなんだか楽しくなってきた。
もっと色々試したいことはあるけど、とりあえずこの壁に囲まれた街から出よう。
検問が敷かれているかも知れないから、なるべく秘密裏に壁抜けしたい。できるもんなら。
壁や門がどんな感じか見に行ってみようか。
スーツのポケットに入れていたアクセサリーも化粧ポーチに入れ直し、リュックにカラビナでぶら下げていたヘッドホンの代わりに[小鍋]を吊るす。
残りの荷物はとりあえず全て[収納]に蔵って、ナギサは決意新たに立ち上がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ナギサは、[斡旋所:南門前]と看板がある建物の前で逡巡する。
門が本当に目と鼻の先だった。
門前には門番のような兵士が数人いて、門の出入りをする人達なのだろう、何やら一人一人とやりとりをしているのがみえるぐらいだ。
荷馬車が数台列をなし、それなりに賑わっているように見える。
兵士達に高圧的な感じは見て取れないが、いかにも「検問でござい」と言った雰囲気は否めない。
いっそこのまましれっと門に向かってしまおうか。と、考えあぐねていると、またしても女性に声をかけられた。
「[斡旋所]にご用ですか?」
栗色の髪をフワリとゆるく一つに括った若い女性は、どうやらこの[斡旋所]の職員のようだ。
何屋さんなのかわからないが、その物腰の柔らかさに少々興味が出た。
「[斡旋所]とは、何を斡旋する場所なのですか?」
「? 王都は初めてですか?」
女性の返事にただ頷くと、女性はナギサを足元から頭の先まで眺め見る。
「それは、どこかにすでにお勤めでは?」
「そのはずでしたが仕事の内容に手違いがあったようで、途方に暮れているところです」
「あぁ、それは・・・大変でしたね。こちらへどうぞ」
俯き身体をさするように目を伏せれば、女性に「中でお話を聞きましょう」と促され、建物の中について入った。
会話の流れから、仕事を斡旋する所なのだろうと当たりをつけ、素直に従ってみる。
市場で見た人たちと違い、整った服を着ているし、こちらを気遣う優しさも感じる。
28にもなってみっともないが、少々小娘感を装って、オドオドと辺りを伺う様子を見せつつ聞いてみた。
「実は、気づいたときには見知らぬ部屋で目覚めまして、無理やり攫われ連れてこられたようで、なんとかお屋敷からは逃げ出せましたが、この街からも直ちに出たいのです。何か問題がありますでしょうか?」
「えっ!!?」
女性の優しさに付け込んで、少々乱暴なことを言ってみる。でも嘘じゃないし。
「そ、それは、人攫いにあったという事でしょうか!?」
「えぇそのようで。隙を見て逃げ出してみたのですが、本当に右も左も分からないのです・・・ですのであまり大事になりたくないのです・・・」
「あ、はい。でもっ」
「いいえ、今更相手貴族をどうこうしようとは考えておりません。ただできるだけ速やかに街から出たいのです。とりあえずここはどこなんでしょう?」
「あぁっ! やっぱりそうなんですねっ! あの、ここは[メスヒカイツ連合国]の内の[パイシス国]の王都で、そのまま[パイシス]と呼ばれる街です。その、どちらから攫われ・・いらしたのですか?」
「それもわからないのです」
「でっ、では街を出ても困るのでは!?」
女性職員の言うことは尤もだ。
王都と言うことは、この世界最高峰に優れた集落であろう。
だが、馬車や建物、市場での人々をみるに、文明的に現代日本とは到底かけ離れている。
人権意識からしても、女性の一人旅が成立する世界ではないだろう。
それを踏まえた上でも、この街に居続けるつもりはない。
[界渡り様]と言う存在が、どうゆう扱いになっているかわからないが、有無を言わさぬアイツらの世話にはなりたくない。
「とりあえず、ここから1番近い、次の街か村に移動したいのですが、何か方法はありますでしょうか?」
「えぇっと、その、なにか、壁の外に出て魔獣や獣に対抗できる【スキル】はお持ちですか?」
「え? 魔獣?」
「・・・外は、危険です・・・よ?」
「危険? 人攫いにあって逃げてきたのに? それよりも危険?」
「あ、で、ですよね〜・・・」
責めるつもりは全くないのだが、どうしても会話が不穏になる。ナギサは申し訳ない気持ちになった。
「あの、街を出入りするのに、何か制限がありますでしょうか?」
「あ、いえ、それは何も、お客様が犯罪者でもない限りなんの問題も、ない、と、思います・・・」
「あぁ、そうなんですね。ならばこのまま行きます」
「待って待って! 危ないって! また人攫いにあうかもしれないでしょ!」
「え、そうなの?」
「あ、いやぁ〜・・・」
口調が砕けると途端に幼さが目立つ。この子いくつぐらいなんだろ?
踵を返した足を止め、今度は逆にナギサがまじまじと職員の女性を眺め見る。
それにしても魔獣か。なるほどな。この世界は典型的な[剣と魔法と封建社会]なのだな。
「でしたら、定期馬車とか、定期隊商など、女性が同行できるような移動方法はありますか?」
「それはもちろんありますけど、その、それもお一人で?」
「やはり女性1人で壁の外への移動など、あまり一般的では無いのですか?」
「一般的でないどころか・・・傭兵や行商人には見えませんし、その、魔法使い様ではないのですよね?」
女性職員の視線がナギサの頭部に移動した。
あぁ、黒髪は魔力が強いんだっけ。
「魔法が少々使えるようですが、魔法使いではないんです・・・では、次の街まで行く定期馬車を斡旋していただけますか? あ、お金が無いな。おいくらぐらい必要でしょう?」
「えっ!? あ、ですよね、お金なんて無いですよねっえっと、どうしようっ」
「換金できるものを少々持っているのですが、品物を買取してくれる場所などありますか?」
「あっ! それでしたらこちらでできます! 大概の物は買い取れます!」
やっと自分の力になれることができた! とばかりに、女性職員が目を輝かせた。
「獣の肉ですか! 魔獣の素材ですか!? まさか魔石をお持ちですか!」
「あー・・・これなんですけど・・・」
ナギサは自分の耳からピアスを外して差し出した。
買物袋の中に3パック980円の肉はあるが、パックでラップでスライスだ。出せるわけがない。
そんな事より金の値段が知りたかった。
「これ、は、え、いいのですか!?」
「あいにくこれぐらいしか手持ちがなく」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください、これ金! 金じゃ無いですか!? いいの? こんなキレイなピアス、これ売っちゃって大丈夫!?」
「えぇ、私の全財産です」
女性職員は「ですよね!?」と目玉が飛び出さんばかりに驚いた声を上げた。
やはり金の価値はそれなりにあるのだろう。だが、通貨として金貨を使っているらしいじゃ無いか。まさか金貨とは名ばかりで素材は金じゃないとか?
「あぁ、それと・・・これも売れますかね?」
ついでにサワーチェリー味の飴の缶も取り出す。大盤振る舞いに10缶取り出した。
「これは? キレイな入れ物ですね?」
「飴です。砂糖を煮詰めて果物の味と香りをつけました」
ナギサはカウンターの上の缶とは別に、新しくリュックから出した缶を開けて中を見せ、一粒とって口に入れた。
あぁ相変わらず美味しい。
そして「おひとつどうぞ」と、女性職員の口元に飴を差し出した。
「え、あ、あ〜ん・・・ってウマっ! 美味しい! 甘い! なにこれ!?」
女性は口から飴を摘んで出し、じっくりいろんな角度で見つめ出した。
うおぉい。なにも口から出さんでもいいだろうに。
ナギサが若干引いていると、女性は慌てて飴を口に戻した。
「しっ、失礼しました! アメ! 砂糖菓子ですね! こちらも買い取れます! ひと缶金貨1枚でどうでしょうかっ!?」
「え、金貨1枚!?」
「あっもっとしますよねっ! でもっ私の裁量では一度のお取引で金貨10枚が限界でしてっ! お客様は緊急に逃走資き、お金が必要でしょうし、これなら10個全部買い取れますしっ! そのピアスも売らずに済みますし!」
あぁ、なるほど、この子もきっと良い子なのだ。
「金額に不満はありません。因みに、こちらのピアスはおいくらですか?」
「金は重さによって取引されますので、小さな物だとそう高い値がつかないのです。素晴らしい装飾ですが付与もありませんし、悪くなる物でも無いですし、このお菓子を売る方がずっと良いです!」
やはり。
ナギサはニッコリといい笑顔で女性職員を見た。凄く良い子じゃないか。
「気遣ってくれてありがとう。ではそれでお願いします」
ナギサが頭を下げると「ちょっと待ってて下さいね!」と、女性職員は飴の缶を持って奥へ引っ込んでいった。
大事にしたく無いと言うこちらの願いを聞いて、最大限こちらに良いようにしてくれたのだろう。
先程の熊の胆亭の女性店員といい、この職員といい、“困っている女性”に対してとても優しい。
こちらの女性はなかなか情に厚いようだ。