くよくよする
おそらくお金の心配はひとまずなくなった。
ナギサは、ベンチの上の[中鍋]から水を捨て、手にしていたピアスを全部その中に入れた。
1個だけ手に取り、自分の耳に付け直す。
鍋を覗き込んで「ひと塊にならないかなぁ」と思いつつ鍋を両手で挟み込むと、鍋がポワッと光を放ち、中のピアスの束が、ドルンッと溶け合って丸い鍋の形に合わせて固定した。
「・・・中身だけ[収納]」
動揺しつつも、静かに作業を続けると、胸に蔵った金の塊は[金のインゴット]と一覧に表示された。
・・・あっぶね。なんだこの能力。
おそらく、[鑑定解析]や[複製]と同じ、ユニークスキルの【魔素干渉】の一つ[加工]なのだろうけど、そんなちょっと「そうならないかなぁ〜」と思った程度で術が発動してしまうなんて。
「いや、待てよ・・・これって・・・」
ナギサは[収納]から[中鍋]を3個取り出すと[加工]で3倍の大きさの鍋を作ることに成功した。
[鑑定解析]
コルドロン(大)長脚付き:直火オーケー
状態:魔力水入り
そして、逆に一つの[中鍋]を半分にしてみる。
鋳物の鍋は、にょるんと伸びて別れて2つの鍋になった。お店で見たのより小さい。可愛い。
[鑑定解析]
コルドロン(小)長脚付き:直火オーケー
状態:魔力水入り
「ヤッタゼ。マジで鍋屋さんになれるなこれ」
だって、ゴールドを売るとなると、防犯面での心配事が出てくるの必須。
よほど考えなきゃいけないけど、そんなことにリソースを割かれるぐらいなら[鍋]を売った方がマシだ。
何せ食料には困らなくなったのだ。
残業の日に食べ損ねたお弁当には、冷やご飯だが白米が入っている。あんなに米が買えないと嘆いていたのに、コッチじゃもはや食べ放題だ。
「・・・あの子達、お弁当どうしただろう」
不意に、残してきた家族の心配が募る。
弟妹の弁当どころか、駒込家で日々の食事を作っていたのはナギサだけだった。
米を買い渋り、弁当になるべく腹持ちの良い米を使う代わりに、朝食に簡素なうどんやパンのメニューが続くと、途端に弟妹の機嫌が悪くなった。
もはや最後になってしまった日曜の朝の会話を思い出す。
『お姉ちゃんお塩変えた? スクランブルエッグのお塩はトリュフ塩の方が美味しいのに? ねぇこのレモンちゃんと国産? ピーナツバターもいつものやつ買ってきてよ』
『手を抜くだけならまだしも、俺、麺つゆは味どうらくの里でっていっつも言ってるよね? なんで無いの? なぁドレッシングのストックも切れてるけど!? 何やってんの?』
『おねえちゃんったら、ママの実家を売ったお金を、自分のためだけに使っているの?』
ここぞとばかりに揃って責め立てられ、クソ重い思いをしてでも、意地になって残業帰りに買物をしたのだったと思い出すと、この状況で食料に困らないで済むのも、家族のわがままのおかげかと複雑な感情が胸で渦巻く。
この重かった荷物の中で、自分のための買物など、晩酌用に買った惣菜ぐらいだ。
それだって自分の稼ぎのほとんどを家計に入れてるんだ。文句を言われる筋合いはない。普段からお酒もお菓子も、コツコツ節約して捻出した小遣いで賄ってる。
それなのに、思春期真っ盛りの弟のコートを、3着クリーニングに出すだけで1万円もかかった。
コンビニに取りに行った荷物も、突然『料理覚えたいの』と言い出した妹のためにヨドバシで注文したグレステンの包丁セットだ。どんな理由であっても続いてくれれば。と用意したプレゼントだから、当然こちらも私の小遣いから出した。
「プレゼント・・・」
ナギサは、膝の上にのる化粧ポーチの中に、父親から貰った腕時計が入っていたのを思い出した。
普段はアップル時計を使っているので、ちゃんとした場面では付け替えられるよう、常に持ち歩いていた物だ。
急な展示会や説明会などの、人員増加に駆り出されることもあるので、化粧品や貴金属も常備もしていた為だ。
持ち歩いていただけで、あまり使っていないのは、ケチケチしながら生活している自分のせいなのに、分不相応な腕時計は見るたびに口の中が苦くなった。
友人の結婚式で、見栄で何度かつけただけの、カルティエパンテールの腕時計は、父親からの入社祝いだった。
確かに、父親が生きていた頃はお金には困らなかった。
生前の父親は、全く家庭を顧みない代わりに、家計にはしっかり金を入れていた。だから余計に、まさか死んだ後の家族の生活を考えてもいないとは思わなかった。
贅沢に慣れてしまった弟妹には、これから辛い思いも、我慢もさせることが多くなるかも知れない。
せめて学生の内だけでも、自分がした苦労をさせたくないと、ガムシャラに懸命に働いていたのだ。
見つめる石畳に、ポツリと雫が落ちる。
あ、やっぱだめだ。
持ってる物を見て、いちいち家族の事を思い出しては、言い訳がましい事を考える自分に鼻白らむ。
何考えてんだろ。そんなわけないわ。私の人生は私だけの物だ。つまり私が選択していただけで誰のせいでもない。都合のいいように考えるな。逃げるな。向き合え。
ナギサは、カルティエの時計をチャラリと音を立てて揺らす。
華奢なのにゴージャス。とてもキレイ。でもただの腕時計だ。今は迷わず腕につける。
だって、どうせこれもどっかの女の入れ知恵で買った物だろう?
父親はたびたび家に帰ってこなくなることがあったが、それは決して仕事のせいだけでは無い。
家でそんな夫を待つだけだった母は、弟を産んで病み、それなのに妹まで産んで、そのどちらもまともに育ててはいない。
父親が家によりつかなくなると『渚ちゃんではダメだった』と、10も離れた弟を作ったのだ。それから3年後に妹を。父親が変わらなかったので興味を無くし、気まぐれに可愛がるだけで、躾の一つもした事がない。
売った家屋敷も、元々母方の祖父母の土地だったらしく、私がさっさと売り捌いた事に対して、延々と恨み言を言ってくる。
私の手取り20万弱の給料だけで、弟と妹、ついでに寝たきりの母親と、どうやって食っていくつもりだったのだろう。
いや、何も考えてなどいないな。所詮母親もクソなのだ。
怒りに任せて、しぼんだ気持ちを奮い立たせる。
母親が産み捨てた弟妹が小学校に通うようになると、家事や学校の事は全部私の負担になった。
病床の母の代わりに、ケースワーカーさんの手伝いもあったが、弟の初夢精パンツも私が洗い、妹の生理用品も私が買っている。
自分がした苦労をさせたくないのは本心だったが、弟に至っては、高校生にもなって家事が一切できない人間になってしまった。夕食時、妹が食卓に食器を並べていても、目の前でゲームをしている無神経さが理解できない。
家を売った際も「離れが残っただけでも」と、私と同室になってしまった妹に我慢をさせている現状なのに『自分の方が部屋が狭い』と文句を吐いた。
思春期男子を個室にしてやっただけありがたいと思えよ。と詰めておいたが、あのままじゃ間違いなく父親と同じような人間になってしまっていただろう。
『お料理を覚えたい』と言った妹にしたって、自分の脱いだ服すら洗濯機に入れないし、共同で使っている部屋を掃除する風も無い。私が中学生の時には、すでに家事の一切を負担していたのに。
あの家は、長年の無料家政婦がいなくなった現実と、どう向き合っていくのだろう。
まだ学生の2人は大変だとは思うが、幼い弟妹の世話がない分、私の時よりずっと楽だろう。
なんなら、2人とも自分の事だけしっかりやればいい。
どうせあの母親のことだ。今更何もできやしないだろう。
あぁ、そうか。下手に社会人の私が家にいたせいで、行政の適切な支援が受けられなかったのかもしれない。
弟妹は、施設に入って正しく保護してもらった方が、真っ当な人間になれるかもしれない。
そう考えたら・・・これまでの人生が泡沫の泡と消えた。
いっそ潔いわ。