人の心は弱い
「私は何もしてませんよ」
「いや、だって、現にっ」
「フフッ、困りましたね?」
「オマエっ!」
「さぁ、紙を、円をなぞって。元に戻してあげる」
ナギサは、焦るランベルトにしばらく紙をなぞらせると、そのまま手を上げコモン魔法で水を出す様に言った。
ランベルトは、言われるままに左手で水の球をブワリと溢れさせると、そのままの動きで水を水鏡状に変えた。
ナギサは、そのままぐるぐると動かす手を眺めみる。
「ま、まだかっ!?」
「まあ落ち着きなさいよ。大丈夫だから」
ナギサは、そっとランベルトの右手を掴み上げ「私の目を見て」と、視線を合わせた。
ランベルトさんの瞳は、キレイなエメラルド色の虹彩だ。カラフルな瞳は本当に宝石みたいだ。でも今はすごく慌ててるのがわかる。必死だな。つくづく可愛らしいオジサンだなぁ。
「火を灯す〈スペル〉を言ってみて」
「・・・〈パイロットフラム〉」
ナギサの瞳に集中していたランベルトの右手に ポッ と、小さな炎が点った。
「ほら・・・できた・・・コレをアナタ達は多重魔法と言うのでしょう?」
「!!」
そして掴んだ右手をユラユラと左右に動かしてやると、炎は掌についてきて正しく“操る”ことができた。
「できましたねっ」
「・・・なんだ? 何をした?」
「私は何も。やったのはランベルトさんです」
「・・・・・」
驚かせたお詫びにもう一押ししてあげよう。
ナギサは「炎の形を変えることはできますか?」と質問した。
ランベルトは、左手の水鏡も右手の炎も止めることなく頷いた。
「では何か獣の形に、そうね、ネコちゃんに変えて。ネズミを捕まえて」
ナギサが小さな水の球をネズミの形に変え、2人の周りを跳ね回させる。
ランベルトはそれを目で追いながら、言われるがままに右手の炎を猫の形に変えると、水のネズミを追いかけ始めた。
ナギサはフフッと笑って、そのまま指示し続ける。
「もっと素早く動かさないと、捕まえられないですよ」
「!?」
「早く動かすにはどうするんですか?」
「!!」
炎のネコがグンッと加速し、水のネズミに飛びついた。
ジュワッ!!
異なる現象の衝突で、水の球は湯気に変わって、ブワリと湧き上がり二つの魔法は消えた。ランベルトの左手の水鏡はそのままに。
「水、火、風の三重魔法でしたね」
「・・・ハッ・・・ハハッ」
傭兵でそこそこヤレる大人のランベルトだ。マルチタスクが苦手なんじゃない。知らなかっただけ。ナギサのその思惑は見事に功を奏した。
思わず笑い出したランベルトは、左手の水鏡をダバリと地面にこぼし流し、再び焚き木に手を伸ばすと、手元に引き寄せられた炎を、心底ホッとした表情で操り薪に戻した。
「あぁ、さっき子供たちにはああ言ったけど『人は平等だ』なんて嘘だわ」
ナギサは、握っていたランベルトの右手をテーブルの上にそっと戻して話を続けた。
平等だと言ったのは嘘だ。貴族平民に関わらず人には個体差が有り、人生が始まった時点でスタート地点まで違うレースに強制参加させられてしまう。
「平等なのは圧倒的暴力や死に対してだけ。わかってる」
ナギサの吐き出す様な言葉を、ランベルトは黙って聞いていた。
「コッチに来てからおかしい」
この世界に来てから何かおかしいんだ。感情が、特に怒りがなぜか、どうしても抑えられない。今回は説教くせえ戯言を述べただけで済んだけど、湧き上がった怒りに駆られて、何をするのか、自分でもわからなくて怖い。
何故か向こうではできていたことができなくなっている。
その反動の様に、弟妹達を思い出し感傷に浸るのがウザくて気持ち悪くてたまらないのだ。
ナギサは、俯いたまま視線を自分の両手に向ける。
異世界チートがなんだって言うんだ。どんな力があったって元の世界には戻れない。それなのに、コチラの世界の常識なんて知らない。なんの縁もない。どうやってそんな世界でひとりで生きていけっていうんだ。
「わかってる、わかってんのっ、この言い知れない怒りは、募るばかりで解消の方法がないっ」
好きでこんなところに来たわけじゃない。でも、もうあんなところに居たくないと思ったのは紛れもない自分自身なんだ。
考えても意味のないことをグルグルグルグル考えてる。どこの時点で間違えた? どうすれば良かった? どんなに考えたって、もう戻れないのに!
「なるほどな。お嬢さんの言ったことがわかったよ。ヒトは・・・そうやって自分で自分に呪いをかけるのだな」
ワナワナと震えるナギサの手を、今度はランベルトの大きな手が覆い隠した。
「・・・できたんだからもう良いでしょっ」
ナギサは、掴まれた手を振り払って立ち上がると、テーブルの上ですっかり忘れられていたポットの中身を[収納]して[削除]した。
「・・・もう行って」
「・・・まぁ、あんまり考えすぎんなよ」
背を向け焚き火のそばに移動して再び大麦を煎り始めたナギサに、ランベルトは大きなため息をついて宿の中に戻って行った。
あぁ、嫌だ。なんて脆弱な心と身体。
コレだから 女の身体 って嫌になるわ。
気持ちが沈んでるとすぐ誰かに頼ろうと寄りかかる。反吐が出る。その選択の結果は元いた世界で十二分に味わったはずなのに。
ナギサは、握られた手の感触を振り解く様に鍋の中の大麦に集中した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ナギサ、大丈夫?」
ランベルトが立ち去った後、煙草を吹かしながら呆然と空虚を眺めていたナギサだったが、不意にかけられた言葉に視線をあげると、カイル達が不安そうに立っていた。
ナギサは腕時計をチラ見する。2時間か。自分で起きたんだな。偉いな。
「なんで? 大丈夫よ」
「泣いてない?」
「・・・泣いてないよ。新しいお茶を試していたの。飲んでみる?」
優しい子達だなぁ。
ナギサは慌てて煙草の火を消すと、水の球で手を洗った後〈浄化〉して、先ほど試したばかりの麦茶を新たにいれた。
ぬるい温度に[加工]したポットから、カイル、エド、アルの分のティーカップに恭しく麦茶を注ぎ入れ差し出した。
「美味しい」
「全然にがくない」
「こんなお茶は初めて!」
「ゆっくりよ。ゆっくり」
嬉しそうに顔を綻ばせる3人に、目を細めたナギサは、やっとホッと一息ついた。
「おウチでは何飲んでたの?」
「紅茶」
「あまり美味しくない。渋くてにがい」
「ありゃ、そうなの。さすが貴族様。こっちでは子供でも紅茶を飲んで良いのね」
「お茶会の練習の時だけ」
「僕、お茶会嫌い」
アルの可愛らしい正直な感想に、フフッと笑ってナギサが質問を続ける。
「貴族だとやっぱり、お茶の時間も食事の時も、マナーとかお作法とかの練習になるの?」
「うん。ずっとそう」
「まいにち」
「フフッそっかそっか、そりゃ窮屈だね。んじゃベットでオヤツ食べ放題はやっぱり悪い事なんだね。ンフフフ」
ナギサは[干し芋]と[牛乳]をマッシュして作った[スイートポテト]もどきを皿に取り分けると、小さなフォークを添えて3人の前に差し出した。
カイル達は行儀良く、カトラリーを使って小さく切り分け口に運んで食べ始める。
さすが貴族様のご子息だ。自分の弟妹とは大違い。
「でも先生達に言われなかった? 『美しい所作は身を助ける武器になる』とかなんとか」
「武器? これが?」
エドが、手に持っていた銀色のデザートフォークを持ち上げ、まじまじと見つめる。
「フフッ違うよ。エド達が教わった行儀作法は大人になってから苦労しないために必要な事でもあるんだよ」
どんなに美味しい食事でも、隣で汚らしく無作法に食べ散らかされてたら嫌な気持ちになるでしょう。と、ナギサはアルの口の周りをタオルで拭きながら言った。
「だから、お父様とお母様はアナタ達を愛してなかったわけじゃないんだよ。みんなの食事の所作は本当に素晴らしいんだもん。こんなふうに大事なことも、ちゃんと教えてくれていたでしょう?」
そりゃバカみたいな政治理念の巻き添えにもしてるかもけど、それだけで親の愛情を全て否定して良いわけじゃない。いやカイル達に言ったことは許せんけど。
「・・・そうなのかな」
「そうよ。次からは悪い魔女がベットでオヤツを食べようと唆しても、言う事聞いちゃダメだわ」
「なんで? 楽しかったよ!」
「ンフフっそうね楽しかったよね。でもね、悪い子はそのまま大きくなるともっと悪い大人に食べられちゃうの。忘れないで」
「え、ナギサは悪い子でも良いって言った」
「そうよ。子供のうちは悪い子でも良いの。でもみんないつかは大人になるでしょう? その時ベットでオヤツを食べたせいで病気になるのも、歯を磨かないで寝たせいで虫歯になって痛い思いするのも私じゃないわ。私はみんなのオヤツをちょっとつまんで食べただけで、なあんにも困らないもの」
ナギサがアルの皿からカケラを摘んでお菓子を口にすると、子供達はそろって「あ!」と驚いたような顔をして途端にバツの悪そうな顔をした。
「僕たち病気になるの?」
「何度もやるとなるわ」
「何度ってどのくらい?」
「さぁ? どのぐらいかしらね?」
顔色を悪くする子供達に、ナギサはフフフと笑ってアルの柔らかな頬を撫でる。
「お父様とお母様は大人になった時、カイル達が困らない様に教えてくれたのよ。みんなと一緒に楽しく食事ができる様に」
「・・・そっか・・・」
「そうよ。どうして嫌な事させるんだろう? って終わりにするんじゃなくて、次からは理由を聞いてみれば良いわ。怒るのはその後でも良いでしょ?」
ナギサは「わからないことは知ってる人に聞けば良いのよ。答えが出るとは限らないけど」と、笑んで教えた。
自分の弟妹達は、いつから自分に質問しなくなったのだろう。いやきっと違うのだ。何も問うことなく文句ばかり言う様になったのは、日々の生活に忙殺され、先に聞くことを拒否した自分のせいだったのかもしれない。
自分は、元いた世界で弟妹達にそう言ってあげられなかった。
さっき追い払ったランベルトに、自分が吐いた台詞がブッ刺さる。
『そりゃ知ることがないなら知りたいと思う人もいないって訳ね』
あぁ、なんてことだ。向こうでは思いもしなかった。知ろうともしなかった。こうなって初めて思い知らされた。
「ナギサ、泣かないでっ」
「・・・泣いてないよ?」
「でもっ・・・」
隣にいたアルが、どうしてか泣きそうな顔をして、口元を拭ったタオルを差し出した。
「あぁ、また・・・勝手に・・・」
ナギサは、差し出されたタオルを手に取って、溢れ出ている涙を抑えるように目元を隠す。
「この世の中はね、一緒に暮らしていても、どれだけ近くにいても、口に出さなきゃ伝わらない事で溢れているの。だからアナタ達にはこんな有様にならない様にたくさん話をして欲しい。そうじゃないと、どんなに大事にしているつもりでも知らない間にこぼれ落ちてしまう。ね?」
ナギサは「あぁ困ったな」と、笑いながら鼻をすする。
話を聞いた後でなら、納得できる理不尽もあるのかもしれない。人はそうやって折り合いをつけながら日々を過ごしていくものなのだと、やっと思い至ったのだな。
全て、後の祭りなのだけど。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうでした?」
「どうもこうもねえなあ。ありゃ真っ黒だわ。あのお嬢さんは異世界人だ[界渡り様]で間違いない」
「それはそれはっ!」
部屋の窓際で目を細め口端をあげ、どこかとろりとした微笑みを浮かべながら中庭を見下ろすブランドンに目をやって、新たな商機を確信しホクホクとするベリメールをよそに、ランベルトは大きくため息をついた。
「そんな事より拙いことを聞いた」
手中に[界渡り様]がいるのがそんな事だと? と、ベリメールが片眉をあげてランベルトに視線を返す。
「あの子供ら、ただの獣王国の貴族家子息じゃないかもしれん」
「・・・と、いいますと?」
ランベルトは、多重魔法を習得する前に聞いた、子供達の話を端的に話し説明した。
ベリメールは確認するように問い返す。
「トレハンツ獣王国の現王妃は、確か隣接する[オリオン国]の第3王女でしたか?」
「そもそも、話にあった3代前の王妃は[ウハインハイツ聖国]の王女だっただろう。そん時になにか、獣人の《番制度》を狂わすような、なんだっけか、なんかあったろほら、〈テイム〉に有効な」
「〈魅了〉の魔法ですか?」
窓辺から移動してきたブランドンが会話に参加する。
ブランドンはヒト族の中では希少な〈テイム〉の【スキル】持ちだ。
しかもモンスターの〈テイム〉においてこの国では片手に入るほどの実力の持ち主が、なぜいち商人の子飼いになっているのか不思議なほどだが、ベリメールにもブランドンにも、何度聞いてもはぐらかされている長年の謎だ。それは今はいい。
「〈テイム〉とは違います。〈魅了〉は本来、同族にのみ発動するデバフ魔法だと聞いていますので、話からすると初代と言うよりは今になって。と、考える方が無難です」
「確かに[ウハインハイツ聖国]からの輿入れは、[トレハンツ獣王国]との古からの戦争を終わらせた結果の交友的な象徴ですしねぇ」
「3代かけて力を削いで、今になって利用したっ? っか〜気の長え計画だな」
とは言え獣人族は、ヒト族の比にならぬほど寿命が短い。半分ほどだと言われている。その力の差を補ってヒト族がこの大陸に蔓延っていられるのも、それほどの寿命の差があるからだ。と考えられている。
ここ[メヒカイツ連合国]は、そのいざこざに長らく巻き込まれながら、小国13国が一つになることもなく、今も尚その大国二つに挟まれた緩衝国として存在している。
「これはこれは。きな臭くなってまいりましたね」
「ッチッ、これだから商人は・・・」
どこか楽しげに軽口を叩くベリメールに、ランベルトは堂々と舌打ちで返した。
ランベルトは、ベリメールがそのような事を口にする権利がある人間だという事を知っている。
こんなことを言っても、他の商人のように多種族、特に獣人族との争いを心から望むはずがない理由を。
そんなランベルトに、話題を戻すようにブランドンが質問する。
「連合国でも更に獣王国派の[カニス][プロキオン][オリオン]の三国が、獣王国を裏切るようなことをするとは思えませんし、カイル達は[アクイラ]から、やはり[ウハインハイツ聖国]に送られるはずだったのでしょうか?」
「そりゃ今回それを阻んだってなら、ウチら[パイシス]と同じ完全な中立国の[アクイラ]の[奴隷解放団]のファインプレーだが、単に面倒事を避けたかっただけかもしれんし、攫われたのは[オリオン]で、だろ?」
[トレハンツ獣王国]現王妃の母国での失態だ。あからさますぎる。
しかし、カイルの親は『反王族派閥の伯爵家だ』と、言っていた。気づいたランベルトが、思いのままに言葉を続ける。
「[聖国]にどんなメリットが・・・いや・・・[獣王国]国内か?」
「他国との[戦争]ではなく[獣王国]の[内戦]だと?」
「単なる派閥争いに子供を危険に晒すか?」
「あっ! いえっ!」
ランベルトとブランドンのやりとりを、スゥと冷めた目で見ていたベリメールが、地の底から響くような声で2人を諌める。
「獣人はヒト族のように、私利私欲に子供を利用することは、決してありえません」
それこそ[本能]がそれを許さない。と、ベリメールは言いきった。
「いやまぁ、内戦に乗じた戦争の線も捨てきれねえが、このまま子供達を連れてって大丈夫なのかよ?」
ランベルトは、大きくため息を吐きながら「俺達が」と、保身を全面に押し出した。
「その問題は、ナギサ殿が解決してくださったではないですか」
おいおい、それは行きがかり上そうなったってだけで、お嬢さんの同行は当初の予定にないよね?
爆弾発言と共にニコニコといつものように笑み返したベリメールを、気色を変えたランベルトが眉間にシワを寄せ睨むが、抜け目のない商人はどこ吹く風と屈託のない言葉を続ける。
「えぇもちろん。相応の護衛代は弾ませていただきますとも」
クソっやられた。確信犯かよ。その上、引きがいいと来てやがる。
ランベルトは、心の中でエルリック含む今回の護衛に誘った傭兵達に謝るしかなかった。




