そりゃやさぐれもするさ
「あ・・・天蓋付きのベット・・・」
気づく、と言うより、よく寝た。と言う感想だ。布団の中で手脚を思い切り伸ばす。
どのぐらい寝ていたんだろう。気だるさはあるが、身体に痛いところは無い。
透け感のある白い布に囲まれ、柔らかいベットマットの上に、羽毛のかけ布団だろうか。肌触りの良い真っ白な寝具だ。
カーテンの開けられたガラス窓から光が差し込み部屋の中が少し明るい。
身体を起こすと、見覚えのないネグリジェに着替えさせられている。
風呂に入った記憶はないが、手足が爪の先までピカピカで、髪も艶々に梳られ、頭皮がいかにもお手入れされましたってほどにスッキリしている。
意識のない状態で大勢の手を煩わせて、風呂に入れられ全身磨かれたと思いたくない。どうせなら魔法的な何かで一瞬でこうなったと信じたい。そうであってくれっ。
渚は部屋を見渡し自分の着ていたスーツを探す。
床に足をつけ立ち上がった瞬間に「おはようございます」と声がかかった。
気配を感じた方を見ると、装飾の無いシンプルな黒い上下。ピッタリとした上着、裾の長いスカートに白い前掛けをつけ背筋を伸ばしたいかにもな女性がいた。
絶対メイドだわ。いや、部屋の中で待機できるのは侍女って言うんだっけ? 逆だっけ? でも無理。プライバシーゼロ。無理。
渚が固まっていると、侍女は部屋中のカーテンを開けた。
明るい。壁一面が窓だ。そして広い。そしてなんかゴージャス。
1番大きな窓の先はテラスになっていてその奥に緑の植え込みが見える。
この部屋は1階にあるのだな。と確認できた。
侍女はサクサクと部屋を歩き回り、ベットサイドのテーブルに、タライを置いて水差しから水を入れた。
渚は、おずおずとその水で顔を洗う。
化粧はとっくにはげている。おそらく風呂で磨かれたのだろう。
考えたくもないことが脳裏を掠めると、侍女がすかさずリネンの布を差し出した。素直に受け取り顔の水滴を拭う。
「本日はどのお召し物になさいますか?」
再びかけられた声と共に開かれたクローゼットの中は、リボンとフリルとコッポラ監督も真っ青なドレスが並んでいる。
「あ、無理です」
「え?」
「あの、こんな、高級そうな服はとてもお借りできません。私の着ていた服を返してもらえますか?」
「この部屋にある物は全て貴方様だけの為に用意され既に貴方様のものです」
「私の服とバッグを返してください」
「ですが、」
「私の服とバッグを返してください。今すぐ」
「・・・・・」
困ったように眉を下げ、上がった口角をそのままに無言を貫く侍女に、渚はイラっとした。
悪いけど、下手に出てるフリして思い通りにコントロールしようとしてるのバレバレだかんな。
そちらがその気なら、コチラも相応の対応をさせていただく。
渚は、手首や耳やデコルテに手を当て、盛大にマヤった。
「え、ヤダ、つけてたアクセも全部ない。アナタが盗んだの?」
「盗んだなんて!!」
侍女が大きな声を出した途端、ノックもせずに部屋に人がなだれ込んだ。
騎士? 衛兵? とにかく男が数人入ってきた。まあそれは良い。
「どうしました!?」
どうもこうもねえよ。
こっちはペラッペラのネグリジェ姿だが?
渚は呆れてため息をついた。
すると侍女が慌てて弁明する。
「ここにあるドレスでは無く、ご自身の衣服を返して欲しいと望まれまして」
「ご安心を。遠慮はいりません。ここにある物はすでに、全て貴方の物です」
「それは聞いた。用意してくださってどうもありがとう。でもそれとこれは別。元々私の物だった服とバッグは返して」
「それは・・・」
「拉致監禁になんらかの方法で昏睡させて、さらに窃盗も追加する気? それ、私の国では昏睡強盗って言うんだけど」
さらにまだ未定な罪名はあげないでおいてやる。
渚が目を細めて騎士衛兵を見ると、1番偉そうな奴が目配せして、1番扉に近かった兵が部屋を出て行った。
そしてその1番偉そうな奴が思いもかけない言葉を吐いた。
「[界渡り様]の私物は、一時保管させていただいただけでございます。昨日[界渡り様]の意識を奪った魔法師はすでに牢に捕え、しかるべき処分が下るのを待たせておりますのでどうか、誤解なきよう・・・」
「はぁ? アンタらが彼に命令してやらせたのに、仕事した彼だけが罪を問われんのおかしくない!? この国の管理責任者の人権意識どうなってんの!?」
「そんな!? 我々は[界渡り様]を害するような力を持ち合わせておりません! 昨日の事はあの者が勝手に!」
ほほう? コチラにもなんらかの“力”があるのね。
コチラを[界渡り様]って呼ぶって事は、コチラの事なんぞ何も解らない状態だからこそ、力技で止められなかったって事よね。なるほどね。
それはそれとして、彼だけ処分されるのは気分が悪い。
あの時、彼だけが唯一自分の事を慮ってくれたのは間違いないのだから。
「とにかく、直ぐにその魔法師とやらは解放して自由にしてっ! そして今後一切、彼の望まぬ仕事はさせないで! 誰もっ・・・王侯貴族の誰もよ! できないならこの国ごと呪って滅ぼしてやるから!」
「「「ヒッ!?」」」
「それとっ」
「ハイっ!?」
渚は、自分にどんな権力があるのかわからないが、最小限でも出来うる事はしておこう。と、あからさまに怯える騎士衛兵達に向かって“力”とやらを行使してみる。
「今この部屋にある物は全部私の物って言った?」
「ハイっその通りです!」
「間違いない?」
「はい。間違いありません」
この場で1番偉そうな騎士衛兵と、侍女から言質をとったので、渚はクローゼットの適当な1着を選び侍女に手渡した。
「これ、アナタが着替えて見せて」
「え? あ、お手伝いしますので問題ありません」
「問題はあるの。着方が全くわからない。手伝いは結構。一旦着て見せて」
次いで「だから貴方達は出て行って」と、騎士衛兵達を部屋から追い出し扉を閉める。
侍女がどうしたものかと思案しているのが見て取れたが、渚はフォローする言葉を告げず、じっと見て待った。
渚が折れないと悟ったのか、侍女は思い切った様に服を脱いだ。
うん。思った通り、脇腹にボタンのある上下に分かれたメイド服。これなら問題無い。
侍女がドレスを羽織りぱっくり空いた背を見せながら「後ろを止めて完成なのですが、一人では着られないドレスです」と恥ずかしそうに言った。
「そうなのですね。では私はこちらを着ます。『今この部屋にある物は全部私の物』なのでしょう?」
脱ぎ置かれたメイド服をし示し「ウグッ」と言葉に詰まる侍女を横目に、ネグリジェを脱ぐと、手に取った上下を素早く身につけ、脇のボタンを止め前掛けもつけて扉を大きく開け放った。
騎士衛兵達が驚きたじろぐ。侍女は慌てて壁に背をつけ顔を赤面させた。スマンね。
「なっ!? [界渡り様]が何故その服を!?」
うるさいなぁ。
さっきネグリジェを脱いだときに確信した。だって見覚えのない白い下着をつけているんだもの。不同意わいせつ罪も追加だ。こんちくしょう。
しばらくして、兵士たちと明らかに違う肋骨服の男が数名、恭しく木の板の上に乗せたスーツとリュック、それにパンパンのランドリーバッグと買物袋を持ってきた。
新たに現れた男は、渚を見てギョッとした顔をしたが、テーブルの上に置かれたそれらを、渚は無言のまま不躾にその場で検品した。
ざっと見るに、盗られたり細工されたりしてないとなぜか感覚でわかる。
お気に入りのブーツを履いて、剥き出しのスーツとキャミソールとブラとパンツと破れヨレヨレのストッキングを、真っ赤な顔をしながらランドリーバッグにぎゅうぎゅうと押し込む。
なんで男が持って来んだよ。パンツとブラ丸出しでさぁ。しかもこれ脱がせたやつじゃん! なんで部屋から出す必要があるのさっ! 何処でなにしてたわけ? マジで理解できないんだけど!
リュックを背負い、バック2つを引っ掴んで肩にかけ、今度こそ。と、テラスに向かってダッシュした。
部屋を完全に出きったところで、やっと後ろから声がかかる。皆様もびっくりしたのかな?
「んなっ!?」
「ちょ、まっ」
「お待ちください!」
「何処へっ!」
「私の事はもう放っておいて!」
大声で叫び、振り返らずにテラスから庭に出て真っ直ぐに進んだ。
庭からみえる腰高の石壁の上に飛び乗り、鉄柵の間から荷物を出し脚を柵の間に差し入れると、行けると確信してすり抜ける。
石壁から飛び降り、リュックを背負い直して、さっさと走って逃げた。幸い追いつく追手は無く、1時間ほど道なりに走って歩いて、潜んだ薄暗い路地裏に腰を下ろす。
周りに誰もいない事を確認して、渚はやっとため息をついた。
逃げながら見た街並みが、ワインで有名な古いフランスの田舎町のようだ。
それなのに、耳に入る街のざわめきは決してフランス語では無い。それどころか、英語でもイタリア語でもないし、スペイン語も違う。聞いたこともない言語なのに、何を話しているのかはっきりとわかるし、看板の見たこともない文字も読み取れた。
どうやらこの状況、間違いなく異世界召喚されたっぽい。
一先ず犯罪者集団から距離を取ることには成功したのだ。次にするべきことは決まっている。
渚は大きく深呼吸するように息を吐いてから、そっとその言葉をつぶやいた。
「・・・ステータスオープン」
目の前にうっすら光を放つ透過モニターが浮かび上がった。
ステータス
ナギサ・コマゴメ(28) 称号[魔女]
種 族:人間
スキル:【翻訳】加護により全言語対応
【魔術】加護により全属性対応
【亜空間干渉】亜空間に干渉可 空間操作 亜空間展開 収納 など
ユ ニ:【魔素干渉】鑑定解析 加工 複製 など
魔 法:〈全属性〉
加 護:異世界人 加護によりステータスの偽装隠蔽可
職 業:無職
状 態:健康 加護により状態異常攻撃無効(後発)
「おうふ、無職、そして魔女・・・オワタ」
[無職]くる。脳にガツンとくる。“状態”の(後発)って注釈も気になるが、そんな事よりおそらく[魔女]は信仰のある世界では討伐対象。
ナギサは、頭を抱えて石畳の地面をみた。自分のブーツが目に入る。
Dr.マーチンのチェルシーブーツ。お気に入りで高校生の時からこればかり履いてる。もう3代目だ。ドレスコードの無いエンジニアに就職できて良かった。
「イヤイヤイヤイヤ、現実逃避している場合じゃ無い」
気を抜くのはまだ早い。訳がわからん状況なのは変わってないのだ。
【翻訳】【魔術】【亜空間干渉】の[収納]と、異世界転移3点セットはありがたい。生き延びる自信が出た。
でも魔女なんて聖女の真反対の存在じゃないか。
一体なんだって巻きこまれた?
あんなのが聖女だなんて。私だって無理だけど、アイツの方が無いだろう!? いや、そんなどーでもいー事を考えている場合じゃない。
ナギサは、ビジネスリュック以外の荷物を[収納]で蔵い、深いため息をついた。
『魔法はイメージ』とはよく言ったもんだ。何も意識せずに難なく【スキル】は発動できた。
問題はここからどうするか。な、わけだが。
誰かと接触して情を持ってしまったら最後、絶対に使い潰される自信がある。
何せそうやって生きてきた結果がこれなのだ。
こんなわけのわからん世界で、「力があるなら助けて当然」と搾取されるのも「弱い者達の力になって」と奴隷になるのも真っ平ごめんだ。
となると、取れる手段は一つ・・・でも、そんな事、自分にできるのだろうか。
幸い独りは苦にならない。
苦にならないどころか、独りで良い。独りが良い。魔法が使えるのなら尚更。
「できるできないじゃないんだ。やらなきゃ・・・」
これほどの目にあってもまだ『死にたくない』という感情が、ナギサの身体を充している。
そりゃやさぐれもするさ。そうだろう?