第13話 火星旅行の商圏調査(マーケティング)
西暦三千年を過ぎたあたりでほぼ人類全体は火星への移住を終わらせていた。
それは火星コロニー内の大気を酸素二割以上にするための空気循環装置が稼働してから二十年の事だった。二酸化炭素と窒素、そして酸素が大気中に多量に存在すれば、湿度と水分の供給が叶う。その願いが届いたことで、実験サンプルのように植物が広大なコロニー内で生育出来る環境も整ったのである。まるで地球の里山のような環境を模擬的に作り出していた。こうなればこの星には気象という現象が生まれる。ここに地球との類似的植生環境が整った。
そして降ってくる矢の嵐と言われた宇宙線の防御もなんとか鉛の防御壁で建物内への進入を妨げた。被爆を防ぐことで火星のコロニーは地球以上に快適な生活を実現したのである。
だが自然相手、宇宙が相手のこのプロジェクトに油断は禁物である。人類はドーム型のコロニーを作り、セントラルヒーティングの効いた住環境の中で、知識に長けた、そして選ばれた人類だけが入植をし始めた。だが当然まだ建物外での活動など出来やしない。それ以外は食料を必要としない生物や人工生命体が躍進していた。それこそ宇宙線の被爆の問題を必要としないことは大きかった。
そしてつい最近まで物理的な障壁もいまだ入植が思うように進まない原因のひとつであった。地球と火星の間は地球時間で一年ほどの期間で行き来していた。大昔の大航海時代とそう変わらない日数だ。
この火星に出来た植生の進んだ半径500キロのふたつの大コロニーは未来都市としてスピリットとオポチュニティと命名された。そう遙か昔にNASAが火星に送り込んだ無人探査船に因んだネーミングだ。
だがここ最近、移動時間は急速に短縮された。アルクビエレ・ドライブの発見と反物理力推力エンジンの生産が可能となった宇宙船は、瞬く間に宇宙旅行を以前よりも格段優れた快適なモノへと変化させたのだ。
それは即ち空間萎縮ワープ航法の実現。その空間にある重力を一時的に歪めて物理的に前へと進める重力波動である。それは燃料の要らないエンジンのようなモノ。このふたつの開発によって光速の百万倍のスピードで航行可能となった宇宙船が作られたのだ。おかげで通勤電車並みの所要時間で火星と地球は往復することが可能となった。
ここに地球と火星を定期的に行き来する男女がいた。マールとイザベラのカップルである。火星政府の観光地化計画が発表されて、「火星まんじゅう」と「フォボスダイモス煎餅」を売り出すためのマーケティングに乗りだしたのだ。火星で稼いで一旗揚げるという算段である。
火星に似せた赤い丸い薄皮のおまんじゅうと、火星のふたつある衛星に見立てた歪な形のふたつの煎餅を組み合わせて、火星名物にしようと考えていた。
宇宙ロケットの窓から流れ星を見ながらマールは、「これで地球の人が火星に来たときにお土産に買ってくれるなら嬉しいのだけどどうかな?」とイザベラに尋ねる。
「マール。あなたの野望には素晴らしさを感じているわ。脳内にインプットされた地球人の生活様式の実践プログラムと知識操作も完璧ね」
手放しの賞賛にマールは少し照れている。彼女の賞賛はとても珍しいからだ。
「ありがとう。修復プログラムも時間かけて解読しているので、かつての地球人に対するマーケティングも吟味しての計画さ」
彼の説明に軽く頷いたイザベラだったが、次の瞬間眉をひそめる。
「でもね。いまや地球上の生物はこの火星に移動して、実際に地球にいる人間は地下で生活するごくわずかな在地研究員だけだわ。だから星間旅行をしている大部分は人工知能を埋め込まれた人間形アンドロイドだけよ」
「うん、それがなにか?」
「つまり酸素も要らないし、宇宙線が自己体内を通り過ぎても何の支障もない。食料と言えば、バッテリーだけよ。充電型のバッテリーで満腹になるわ。誰がおまんじゅうと煎餅を買うのかしら?」
「うう……」
「それにどうして気付けないのか分からないわ。だってかく言う私たち自身も充電式のアンドロイドなのよ。誰ひとりそのお土産を必要としない味の分からない機械、メカなのよ。そもそもそのマーケティングは前提の段階で間違っているわ」
了




