第一章 Ⅰ 【すべては必然的】
少し文字を詰めすぎて読みにくいかもしれません;
そこはご了承ください。
「はぁ……」
私、鈴木楓が深い溜め息をついたのは高校での日本史の授業だった。
頬に生暖かい五月下旬の風を肌に感じながら、先生の長々しい説明や雑談を聞いている。正直、私は日本史は好きじゃない。どっちかというと嫌いな部類に入る。何故、現代の人が過去のことを勉強しなければならんのかと、不思議で疑問だ。
第二次世界大戦とか現在に近い歴史なら別に構わないんだけど、縄文時代とか弥生時代みたいなそんな昔のこと学んでも生きていく事に必要なのかなと時々思う。
日本史だけではないけれども、他の教科でもたまに疑問になる。例えば古文。現代にある文字さえ読めればいい。正しい日本語が言えていれば昔の文字を解読出来なくてもいい。
私は“昔”を学ぶ教科が大嫌い。昔なんて振り返っても良いことなんて何もない。自分を成長させる為に知識を入れる為に“昔”を勉強するのだと思うけど、私はいまだに“昔”を勉強する意味が理解出来てない。
高校二年生ならばそろそろ何を目的にして、何故学ぶか分かっていなくてはいけない時期なのに、私は全く理解出来ない。そもそも理解しようという意思がどこにもないのだろう。とりあえず生きていければ、それでいいじゃない。ただ生きる為に勉強は必要だから、やらなくてはいけないだけ。
人は過去の、昔の苦みを学ぶから、強くなるという言葉を聞いた事がある。
だけどそんなの嘘だ。
だって現に私は昔のままで、何も変わらない。大切なものなんていう物も無いし、守りたいと思える物も誇りもない。
悲しい気持ちは理解出来ても、心から笑える気持ちが分からない。
本気で好きになる人もいない。本気で信じられる人もいない。
私は自分の為には生きていない。何故なら、誰かが私を求めていると縋っていたいから、私は生きているんじゃないかと、ふと思うから。でもそれってある意味、結局は自分の為なのかもしれない。
「ふぅ……」
また自然と溜め息が出た。
どこかで聞いたんだけど、溜め息というのはこの疲れや悩み、憂鬱感や疲労感を誰かに伝えて癒してほしいんじゃないか、という人間の心理があるらしい。
だけど、私はもちろんそんな馬鹿げた事を考えて溜め息をついてるわけじゃない。ただ自然と、当たり前に出るものだ。まるで椅子を指差して「椅子は何で椅子なの?」と聞くくらい当たり前な愚問。
私はただこの長たらしく続く授業がつまらないだけ。先生の声が子守唄みたく聞こえて眠くて眠くて仕方が無い。だからため息をついている。
ただそれだけの事。
疲れてはいるけれど、誰かに癒してほしいとは思わない。そんなの自分で何とかしなきゃいけない。
早く授業が終わらないかと黒板の上の時計にちらっと目線を送る。もう一分くらいで授業終了時刻だった。黒板にチョークで書かれた白い文字も全部ノートに写したし、これ以上先生が何か書く様子も無さそうだし、後は話を聞くだけで、もう終わりだ。
この日本史の授業で今日の最後の授業だから、帰るだけ。面倒くさい授業とは明日までおさらばだ。それだけで私は嬉しいわ。
眠くて仕方が無い状態だったからもう終わりかと思った途端に、先ほどと比べ物にならない睡魔が襲ってきた。まぶたが閉じそうなのを、首をこくりこくりと頷く動作をしながら絶える。
せめて終わりを告げるチャイムだけは聞きたい。私が睡魔に負ける前に早くチャイム鳴ってくれ。
頬をつねったり、頬をビンタしたり、眠気を覚ます方法を試しているうちに、目覚まし時計のように終わりを告げるチャイムが私の耳の中に木霊する。
ああ、やっと終わった。
「終わったー」
誰よりも早くといった気持ちで椅子から立ち上がり、大きく背伸びをした。一気に肩の力が抜け、疲れが取れて楽になる。
この瞬間がたまらない。この達成感がいいんだよ。うん。
一人で勝手に心の中で頷きながら、私は帰りの支度を始める。鞄に重たい教科書をぴしっと詰めて、整える。そして教室のドアから担任の先生が入室し、帰りのホームルームが開始された。
明日の持ち物、明日の時間割、明日の連絡などを言い、先生のちょこっと長めの話、当たり前でつまらない帰りのホームルームが終わる。教室の全員が立ち上がり、礼をする。
私は鞄を肩に担いで席から離れようとした。だけど、そこで不意に後ろから声がかけられる。
「ねぇねぇ、楓! 今日さ、カラオケ行かない?」
後ろの席にいた女の子の友達からの遊びのお誘いだ。
でも、今日はあまり行く気になれない。いや、暇なんだけどさ。たまに暇なんだけど遊ぶ気分じゃない時ってよくあるじゃない? 今はそんな気分だから。理由は不明だけど。
「ごめん……、今日は無理なんだ!」
両手を顔の前で合わせ、申し訳なさそうな表情を作る。
「えー、そっか……」
周りからみれば何でも無い極普通の友達同士のやり取り。
ただ何かが違うのは誰一人として私は皆の事を友達と思っていないこと。私の理想の人間関係は広く浅い関係を保つ。
例え見掛けは信じられる人かもしれないけど、もし心許して裏切られたりしたら立ち直れない。だから最悪の状況考えながら誰に対してもそう接している。そう接すれば深い傷を負わなくて済む。
別にむなしいとか寂しいとか関係ないし、くだらない。それが昔の私が学んだことだから。
人との関係は当たらず触らず。むやみに他人の心に入ってはいけないし、自分の心にも他人を入れてはいけない。
他人の心に入ってしまって自分が傷つくのも怖い。そして他人に迷惑をかけて責められるのはもっと怖い。
だから私は……。
「じゃあね!」
私は笑顔で友達に別れを告げてから、急いで教室から足を踏み出す。
廊下を歩きながら窓の外を見てみると、雨雲が広がっている。これは一雨振り振りそう。
簡単な天気予想をしながら下駄箱の近くの傘置き場から置き傘を手にする。傘が割りと小さいので鞄やら制服が少し濡れてしまうだろうから、雨が降る前に自宅に帰りたい。
小走りで学校を後にする。でも、自宅から学校までの距離は遠いわけじゃない。なんと電車は利用せず、歩いて十五分で着くという、とてつもなく便利な通学路なのだ。走って十分。全力疾走で走れば七分くらい。
まぁ、近いところがいいって話で地元の高校にしたんだけどさ。
とりあえず高校うんぬんの話は置いといて、早く帰ろう。まだ夕方だというのに空が薄暗く、空気も湿っている感じがする。これはマジで一雨振りそうだな。
最初は小走りだったはずなのに、いつの間にか全力疾走していて寄り道せずに家に帰ってきたので、あっという間に着いてしまった。
しかも雨はまだギリギリ降り出しそうにもない。もう少し遅く帰ってきても良かったかも、と家の前で息を切らしながら後悔した。
「ただいま」
自分の家の玄関の扉をあけて、呟いたような小声を言い放った。私の声がやけに玄関に響く。
いつもこの時間帯に家に親がいないのは珍しくない。むしろ親が家にいることの方が少ない。家ではいつもひとりでいることの方が多かったりするのだ。
少し家族構成について説明すると、私はお母さんと二人暮らしをしているから、お母さんがこの家を養わなければいけない。お母さんとお父さんはあまり仲が良くなくて、何故か離婚はしていないのに別居中なのだ。私はそこらへんの話は詳しく知らない。
お父さんが今どこに暮らしているのかも分からない。もしかしたらお母さんは知っているのかもしれない。
私が知っているのは、お父さんは小学校一年生の時に家を出て行った。そしてその日以来、会ったこともない。だから、かなり曖昧な記憶であまり顔は覚えていない。
お父さんとお母さんは元々、共働きだったのだけれど、お父さんが出て行った事によってお母さんは私の為に、夜遅くまで働く事になった。
自分の為に、私の為に働いてくれていて、それだけでも感謝しなきゃいけないのに、私は小学生の頃はかなり寂しくて泣いてばかりだった。「ただいま」といっても返してくれない空しさ。ひとりでご飯を食べる寂しさ。小学生の頃はそのマイナスの感情がとても苦痛だった。
でも何回何回も回数を重ねれば、慣れていた。いや、無理にでも慣れてきてしまっていた。
夜御飯はいつも食卓のテーブルの上に置いてある。それならまだいいのだが、たまにお金だけがそこに置いてある場合もある。お金が置いてある時は近くのコンビニへと向かい、買って食べる。それがどんなに寂しかっただろうか。どんなに誰かと一緒に食べる食卓に憧れただろうか。私は「普通の家庭」という言葉に憧れてただろうか。今でもまだその感覚は覚えているし、今でもそういう感覚になる事が多々あるのだ。
今日はまさに、さびしいという感覚に陥っている気がする。何故かは分からないけど。
今夜の夜御飯は何だろう。少し元気なさげな重い足取りで、食卓のあるダイニングキッチンをドアを開けてのぞく。
「今日もお金……か」
食卓のテーブルの上には千円と五百円が無造作にぽつんと置いてあった。
最近、お母さんが作ってくれた御飯よりも、お金が置いてあることの方が多くなってきてた。
それほど忙しいのだろうか、それほど大変なんだろうか、と考えるととても申し訳なく、一人でいる事がさびしいと思う自分が腹立たしくなった。
私がいなければ母はこんなにも働かなくたっていいのに、何度もそう思った。悲しくなるばかりなのに、何度もそう思った。
何度も思っても、状況が変わるはずもない。だから私は、そんな状況でもお金を置いていってくれた母に感謝する事にする。悲しくなってしまう感情は、どこかへ行ってしまうように。
「……どうしよっかな」
お金を自分の財布の中にいれて、コンビニへおにぎりでも買ってくるかどうか悩む。正直、お腹はあまり空いていない。だけど夜な夜なお腹が空くかもしれない。こんな私以外誰もいない家にいても、何もすることがない。返ってさびしい思いをするだけだったら、コンビニ行って暇つぶしするほうが、よっぽど良いだろう。
財布を持って玄関に近づいてみると、雨の音が家中に響くような錯覚になった。ダイニングキッチンにいる時は気が付かなかった。雨が降り出していたことに。
やっぱりどうしようかと思った末、早く帰ってくれば問題ないと判断して、制服のまま財布と大きめな傘を持って、雨が降る外にへと外出した。
地面にはもうすでに小さな水溜りが出来ていて、予想以上に大量の雨が降っている。歩いていく道が濡れていて、転びやすいほどつるつると滑りやすかった。
歩道橋とかがとくに滑りやすいのではないか。これから歩道橋を渡るので、気をつけようと足元に気を配りながら慎重にゆっくり歩いていく。
まさか転ぶとは思わないけど、もしかしたら転ぶかもしれない。何事にももしもこうなったら、と悪い意味で考えなければいけないからね。用心しよう。
自宅からコンビニまでは、歩いて十分ぐらいしか時間が経たない。歩道橋が途中あるけれど、歩道橋を渡らずに車道を渡るとさらに早い。だけど、歩道橋の近くの車道には横断歩道がないのだ。だから車の気配が無くなった頃合を見て、渡らなければ危ない。そんな自ら危険な事はしたくないから、私は歩道橋を渡る。
歩道橋を渡り終われば、すぐコンビニが建っている。
コンビニの傘置き場に傘をいれて自動ドアを通り、中に足を踏み入れる。
おにぎりの置いてあるコーナーに買い物かごを持って急いだ。コンビニとかのおにぎりってわりと美味しいものが多いんだよね。いつもはシンプルな鮭おにぎりとか、梅おにぎりだけど、今日は何か違う気分。オムライスのおにぎりなんてマニアックなおにぎりもあるし、丁度目に付いたからこれにしようかな。
迷いながらもオムライスのおにぎりを手に取り、レジに向かい千円札をだした。店員は私の手のひらにレシートと四百円を置く。
「四百円のお返しです。ありがとうございました」
コンビニの店員からお釣りをもらい、傘を持ってコンビニを出る。
空は雨雲に覆われていて暗いというより黒い。まるで闇の中にいるみたいだ。一瞬、身震いする。闇の中に自分がいると思うと怖くてたまらなかった。
早く帰りたい。家には誰もいなくたってこの闇にいるよりかは安心する。
雨で滑りやすい歩道橋を小走りでのぼっていく。行きは滑って転んだらどうしようかと思っていたのに、今はそんな事すっかり忘れていた。
早く帰りたい、ただそれだけの事しか考えていない。いつもならこんなに急ぐことはないのに。何でだろう。今日はいつもと何かが違う気がした。
歩道橋の階段を下る時にはもう走り出していた。危ないとは分かっていても、ここにいる状況の方が危ない気がして胸騒ぎがしたから。転ばない限り、私の足を止めるものはない。
だが、空が急に光りだして遅れてから迫力のある音が聞こえた。太鼓のように空が鳴り響いている。
それは言うまでもなく雷だった。
私の足は止まってしまう。
だけどそれは初めから決まっていたかのように、すべてが必然的だったかのように物事が始まっていた。
私はその太鼓ように鳴り響く空に驚き戸惑い、一段ずつ上がっていく足を踏み外していたのだ。私は階段から滑り落ちてしまっていた。まさかここで雷が鳴るとは思っていなかったから。
このタイミングで雷が落ちたのは何でだろう。
偶然なんだろうか。それともすでに私の運命として決まっていたのかな。
ただ分かることはすべてはここから始まったんだと――……
物語はこれからですね。
初投稿なのに、この小説は結構長く続いてしまう予感です…
まあ、気長に見てくださると嬉しいです。