公爵令嬢、家の恥を晒すぜ
王子とは、大層話しが弾んだ。
これまでも沢山の話題を手紙で遣り取りしたのだ。実際に会っても話が尽きることは無かった。
そんな風に婚約者同士が話の花を咲かせている最中のことだった。大叔母のモクサロンティーヌ様がやってきたのは。
「トリマッカローニの太陽の王子殿下に、御挨拶申し上げます。殿下に於きましてはご機嫌麗しゅう。突然の御来訪で先触れも知らされず、遅参した我が身が恥ずかしい限りですわ」
うおっふ。敬語の中にピリリッと効かせた胡椒がまじる。自身を下げているようで下げていない。大叔母らしい見事な慇懃無礼っぷりだあ。
先触れのことだけど、きちんと俺には届いている。大叔母に届かなかったのは日頃の行いの所為じゃないですかねえ。
「これはこれは、フィスティンバーグが一の公女モクサロンティーヌ様に於かれましては、我が婚約者殿との仲を取り持っていただき、また、ここまで婚約者殿を慈しみ育てていただき感謝に絶えません」
対して王子も負けてないぞ。王子ともなれば社交辞令はお手の物だ。
我が家で一番の公女とはまた持ち上げたな。上げておいて後で落とすんだな。わかる。はよ落とされた大叔母を見てみたい。
公女ってのは姫みたいな意味合いで使ったと思われる。嫁ぎ遅れ大年増には似つかわしくないわけで、遠回しにディスってるんだな。
と、モブ的な蚊帳の外感を醸し出しつつ脳内実況している俺は、空気。空気に徹するぞ。
「キリアネット、相変わらず辛気臭い子ねえ。挨拶ぐらいしたらどうなの」
空気を煽るなオバハン。
しょうがないので返してあげる。
「三日ぶりで御座います。大叔母様に於」
「五日ぶりよ。日数も数えられないのかしら」
被せてくんな。
挨拶を途中で遮るの、淑女としてどうなんでしょうかねえ。
「すみません。三日前にお見かけしたもので」
「見かけただけじゃない。矢張り挨拶もろくにできない子なのね」
「大叔母様と私の仲じゃないですか」
「あら、言い返すなんて行儀の悪い子。これだから、あの嫁の子は駄目なのよ。ちっとも我が家に馴染もうとしないんだから……」
う、うーむ。どう返しても嫁を悪く言う小姑から抜け出せないんだな、このオバハン。
ある意味、小姑の鑑だなあ。こういう小姑は嫁から嫌われるっていう見本だ。
「嫁に来た時から正式な挨拶もできず、これが今風だとか流行りじゃないとか文句ばかりつけて、これだから身分の低い嫁は……」
ぶつぶつと愚痴を垂れ始めた大叔母。王子が「まあまあ」と宥めて椅子に座らせなければ、立ったままでも永遠に嫁の悪口垂れ流しマシーンになっていたに違いない。
隣国の王子に気を遣わせて何しとんじゃこのババアとは、言わないぞ。思ってても、言わないぞ。どうせまた嫌味が飛んで来るだけだからな。
俺も王子の隣に腰掛けて、しばし大叔母の愚痴を聞く。
王子はそれなりに相槌を上手く打ち、大叔母の相手をしている。
社交性高けえなこの殿下。陽キャか?
「ほうほう、正式な挨拶と言えば、フィスティンバーグの御当主は如何なさいましたか? まだお目に掛かっておりませんが」
ナイスツッコミだぞ陽キャ王子ぃ!
「――――は、あら、そうですわね」
大叔母が動揺しているのも無理はない。うちの当主、つまりお父様は遊び人で、この家に帰って来る時は愛人との待ち合わせぐらいなのだ。
大叔母にとってのお父様は可愛い甥っ子である。甘やかしまくって叱ったことなどない。それで増長したお父様は現在、浮気や不倫を気軽に行う下半身クズ男に成り下がっている。
そんなダメ当主で我が家は大丈夫かと問われれば、大丈夫じゃない。先祖の財産が莫大だったから生き残っているだけで、早いところ事業でも起こして金稼ぎをしないと死活問題だ。
だけれどそこは古い貴族のプライドで「商人の真似事など」と忌避している。
どこかから金を調達せねばと焦った大叔母がキリアネットと隣国の王子との縁談を取り付け、玉の腰を画策したのが10年前。
つまり、10年以上前から我が家の財政は破綻へと向かっているのだ。
「御当主が不在であれば、奥様でも構いません。我が婚約者殿の御母堂には未だお会いしたことがありませんので、是非この機会に、正式にご挨拶させて下さいませ」
にっこり、明るく朗らかな笑みを浮かべ、王子殿下がおっしゃる。
対照的に大叔母の表情は暗く青ざめてきた。
「ええ、ええっと、あの嫁は……」
言えないよな。自分が追い出したって、言えないよな。
母親についてキリアネットの記憶を探ってみたところ、幼い頃から母との触れ合いは一切無く、嫁は同じ食卓につくなとの大叔母の命令で食事も別々。数年前、母は子供を置いて勝手に家出したと大叔母は周知しているようだが、実際は苛め抜いて追い出したのだ。
追い出される前、キリアネットは一度だけ母親に会っていた。その時に母から大叔母の仕打ちを聞き、母はキリアネットを残して行かなければならないことを涙ながらに悔いていた。だからキリアネットは母親の味方だし、父親の浮気は母に対しての裏切りだと思っている。
というのを、さっき思い出した。遅いよ。ママンまでキリアネットを見捨てたのかと勘違いするところだった。ママンはいい人。キリアネットを最後まで守ってくれようとした。
「恥ずかしながら、殿下に御挨拶できるような身分の嫁じゃ御座いませんのよ。代わりにわたくしが正式なご挨拶を致しましたでしょう? それでご勘弁下さいな」
わあ、苦しい言い訳をし始めたぞこのオババ。お前が誰の代わりになると言うのだ。ただの嫁ぎ遅れのくせに。
公爵家当主の正妻の方が、身分が上に決まっているのになあ。とは思うが、俺がここでまた口出したら母が悪く言われるだけだろう。
本当に嫌な性格しているよ、この大叔母は。
「私は身分など気にしませんよ。挨拶だって、真心が篭っていれば、どのような仕方でも良いと思っております」
「まあ、王子殿下はご立派な考えをお持ちですのねえ」
「お褒め戴き光栄に存じます」
「ですが、それは甘い考えですわ。王侯貴族の身分差は、その者の価値の違いなのです。身分相応の振る舞いをせねば、下の者がつけ上がりましてよ」
「ご忠言、痛み入ります」
身分がどうこうの問題は、大叔母にとったら問題提起にもならないのだろう。彼女の中での王は絶対で、公爵家は偉いのだから。
逆に王子殿下の考え方の方が、王侯貴族蔓延るこの世界では異質のように思う。生粋の王族であるはずの殿下なのに、まるで人類は皆平等とでも言いたげだ。
それこそ転生前の世界での、現代進歩的な考え方……。
「ところで、跡継ぎ様は御在宅でしょうか」
ここで王子が切り込んだ。跡継ぎとはお兄様のことである。
「ヴェルソードなら……あの子は魔法学校に通っておりますの。何故、殿下があの子のことを気になさるのかしら?」
これまでも父と母に言及して大叔母を怯ませていた王子殿下だが、その比でないくらい、大叔母の顔色が険しいものに変わった。
あれ? 兄に関して何ぞ問題あったっけ?
キリアネットからしたら「お兄様……そういやそういうの居たわね」くらいの薄い記憶。かなり疎遠のようだ。どういう容姿だったかすら思い出せない。
「いえね、御当主は不在、御母堂は身分の関係で姿も見せられないときては、私は一体誰に挨拶をすれば良いか困るわけですよ。跡継ぎ様ならば、もう直ぐ魔法学校をご卒業と伺っております。今、ご在宅ではなくとも、少し待たせていただければ、ご挨拶できると思うのですよね」
王子ったらこれまた、にっこり。少々の腹黒さも醸し出すダーク笑顔だ。
何だか、これまでの大叔母との会話は、王子の手の平で転がされている感もする。
ここに来たばかりの、キリアネットに嫌われたんじゃないかとプルプル震える豆柴王子は、どこ行ったのだ?
あれは幻だったのだろうか。可愛かったのに……。




