公爵令嬢、乙女だぜ
「え。ヒュミエール王子殿下が、いらっしゃ、る……?」
当然の殿下訪問を知らせてくれたのはゴリンダだ。彼女は神妙な面持ちで、王子訪問を伝える手紙を目の前に捧げ持つから、俺もそれを強張った顔で受け取った。と言っても、いつも冷徹な仮面を付けているような表情のキリアネットだ。いつも通りの顔とも言える。
しかし一体、何の用で王子は来るのか……?
手紙にはご機嫌伺いだろうなという当たり障りない内容しか読み取れない。
公爵令嬢キリアネットに転生したと気づき、もうすぐ輿入れだと知り、厄介な大叔母の存在も知り、ヒュミエール殿下の愛のプレゼント攻撃をも知った。
もう、転生先基本情報は満タンだ。これ以上の衝撃の事実は要らない。
だいたい、前世男だった俺が、今世で男と結婚するという奇跡転生アンビリバボーな事態を把握するのでいっぱいいっぱいなのだ。
これ以上は過食だから。本気で。お腹いっぱいだから。余計に食べた分はゲロるから。
そうだ、初夜でゲロる予定だった。少々早くゲロっても誰も文句は言うまい。
「オゥベエロエロエロ…………」
「お嬢様ああああ! 何故ここでお吐きにいいいい! ご自分を苦しめることはおやめくださあぁいい!」
ゴリンダが悲鳴を上げた。
しまった。誰にも文句言われないわけなかった。ゴリンダが居た。
日に日に、吐く技術はうまくなっている。それはもう、手を喉の奥に突っ込んで数秒で吐けるくらいに。
でも、それやると、ゴリンダが泣きわめく。最近ではメイド長も目に涙を溜めてこちらをじっとみつめてくる。
やり辛い……。
「王子殿下は、お嬢様がお吐きになることを心配していらっしゃるんですよ。お体を壊しているんじゃないか、夜は眠れているのかと」
「ゴリンダ……。それは本当に? あ、俺。いや、私ね、ヒュミエール様のことを疑っているわけじゃなくて……あの方の愛は本物だと、たくさんの贈り物から教えてもらったから……」
うん、ほんと、重い愛のプレゼントたちだ。キリアネットは喜んでいるから大丈夫だ。お前らの愛、本物だよ。
でもさ、俺は、前世の俺はまだ戸惑うばかりで、納得できない。結婚すること、初夜すること。それを想像するだけで逃げ出したくなる。
今逃げ出さないのは、キリアネットの想いが分かったからだ。彼女はこの孤独な館で、ずっと耐え忍んできた。
家族に放置され、大叔母の嫌味を聞き、社交に出ても、口さがない者たちの餌食になっていたようだ。
キリアネットの無口無表情たまに喋っても威圧的に言葉を発する様子から、キツイ性格の女だ、情がない、果ては人間じゃないとまで。酷いと、自国の王家に背いて隣国の王家に尻尾を振る売女だとか、人格を貶めるものもあった。
これでよく逃げ出さなかったなキリアネット。俺なら言い返すし、公爵令嬢という立場を使ってやり込めることを考えるだろう。上から物を言い、下の者を使える立場だからな。
まあ、やり過ぎたら我儘令嬢になるだけだが。それこそ、ネット小説で流行っていた悪役令嬢みたいに。
そうならなかったのは、キリアネットの関心が外へ向かなかったからだろう。周りの人間がこれだもん。誰にも心が開けなかったに違いない。
唯一、王子殿下には笑顔を返したみたいだけどな。
王子に初めて会ったのは6歳の時か。一緒に散歩をして石とドングリを拾った。幼い子がやりがちな収集癖だ。
そんなものをどうするのかと思ったら、石に顔料でニコニコマークを描いてくれた。
石を顔の横に掲げ、石に描かれたニコニコマークと同じ顔をする王子殿下に、思わず笑った。笑ってしまったのだキリアネットが。
王子が帰った後、その時に拾ったドングリを繋ぎ合わせ、人形のかたちにしたものが再度、贈られた。
石もドングリもコレクション棚に飾ってある。
キリアネットの、大事な思い出だ。
大事な思い出を胸に、キリアネットは成長した。たとえ周りが辛くあたろうとも、キリアネットにはヒュミエール王子という拠り所があったのだ。
ヒュミエール・ド・メッソン・トリマッカローニ王子殿下。
キラッキラの後光が差すタイプの王子様が今、目の前にいる。
「突然の訪問、失礼する。キリアネット譲、加減が良くないと聞いた。手紙だけでは貴女の笑顔も見れないと思い、こうして参上した。どうか、私に貴女の心を労わらせておくれ」
甘くね? 王子、ド甘くね?
俺、前世から数えて20数年間生きて来たけど、こんな甘い生き物、初めてみたぜ。
「嗚呼、初めて会った10年前と変わらず貴方は美しい妖精だね。妖精の姫君、ここではお体が冷えてしまいましょう。どうか貴女のぬくもりを感じれる秘密の花園に誘っては頂けないでしょうか」
秘密の花園ってどこだーっ?! 王子が意味不明なんだが?!
戸惑っていたら手を取られ、手の甲に口付けまで贈られて、ひいいいい。
目を反らした先ではゴリンダが右手上げて横に振ってワンツーワンツーしていた。ゴリラ音頭か?
あ、違う。「あちらへ、お部屋を御用意しております」のポーズだな。俺を助けてくれるジェスチャーだ、あれは。
「殿下、10年ぶりにお会いできて光栄です。積もる話もございましょう。お部屋を用意いたしましたから……ゴリンダ、案内を。殿下、そちらにお行きになって」
「キリアネット譲……」
大人しくゴリンダに付いて行く、しょぼん顔の王子殿下。寂しそうな声だ。
いや、俺さ。王子様なんて雲上人へ、どう声かけたら正解かなんて知らないから、キリアネットの淑女教育知識でやってみたんだ。
そうしたらさ、こうなった。
恐ろしく冷たい対応になったんだぜ。自分でも愕然としている。キリアネットよ、あれはない。
ど、どうしてこんな冷たい態度なんだ?! ツンにも程があるだろうキリアネット! 淑女教育怖ええええ! こんなキリアネットに誰がした! 大叔母だよ!
王子ったらしょぼんしちゃってたよ。まるで捨てられた柴ワンコのようだ。
もうやっちまったもんはしょうがねえけどさ、後で挽回できるかなもおこれ、どうすんだよ、もおこれえ……と、俺が頭抱えている気持ちとは別で、キリアネットの心が震えていた。嬉しさで。
え、ちょ、喜びでいっぱい、だと?
王子に会えて、10年ぶりに王子を見て、生で見たぜ、生殿下だ! ひゃほおぅぅという舞い上がった気持ちでいっぱいである。キリアネットの心中はお祭り騒ぎなのだ。
どうやら、ヒュミエール王子に会えた嬉しさを隠そうとして淑女の面を被り、あんなツンな態度になったらしい。
とんだツンデレ令嬢だぜ。
初めて見た。外面がツンツンで内心はデレデレなツンデレ令嬢。て、俺のことか。
で、え、王子様が会いに来てくれた。私のこと見てくださった。お部屋案内するなら手を取ってか腕組んでかになりますわよね。婚約者だもの。だって婚約者だもの。きゃ、やだ、恥ずかしいっ。という、嬉し恥ずかし乙女心で案内を拒否しゴリンダにお任せよ☆した理由もわかった。
その乙女心が俺の胸中を締める。キュウウウンと切なく疼く乙女心ってやつだ。それを自覚した途端、頭が沸いたように熱くなった。熱は頬、耳までを赤く染め上げてゆく。
俺、が? 俺がああ?! 俺が照れてどんすんだよおおおお! 確かにキリアネットは俺だけどさあ! はっきり言ってツンツンとかやっとらんで普通に王子を案内しろよ、それが勤めだろおおという心がないわけではない。
だが、それをも上回る乙女思考、乙女パワー。なんと恐ろしい。
前世男としての人格がどんどん遠ざかっていく気がしたので、気合入れて、部屋案内される王子の後ろをついて行った。
ヒュミエール様のお背中、背の筋が伸びていらして美しいですわ。参りましたわね。背筋まで麗しいなんて…………。
しっかり俺ぇ、あれはむさ苦しい男の僧帽筋であり広背筋だ! 自我を保つんだ俺ぇ!




