少年期-7 千島艦裁判
1893年10月 浪速
田中義二が浪速に配属されて半年以上が過ぎた。その中での待遇は他の水兵と隔絶されていた。艦長が自分の当番兵(従兵)を彼に指定した。当番兵は交代であることを考えるとこれは極めてまれな出来事である。
無論、やっかみもある。その影響は彼に対する仕打ちになる。だが、艦長に近いことから理不尽はない。不手際があれば仔細問わず指摘・改善が要求される程度だ。
「どう思う?」
艦長が新聞を見せながら従兵、田中義二に問う
「犠牲者には悪いですが好機です。運用面を考慮して足の速い巡洋艦を賠償金で購入しましょう。」
その代価に艦長と直接話せる。艦長は国際法に詳しかった。そちら方面の蔵書は多い。無論軍事関連の書物も多い。それらを暇さえあれば読む。結果は従兵というよりも参謀に近い存在に半年程度で成長した。
「現状、日本艦隊の主力をすべて海戦に投じた場合の編成は高速巡洋艦中心の5隻と装甲艦・打撃担当艦6隻です。建造中の戦艦・巡洋艦計4隻を加えても7隻と8隻の編成になります。」
それ以上に彼の発想は艦長の想像を超える。ここまで説明されれば海軍軍人ならだれでも理解する。
「さすがだな。5隻・7隻の編成は運用上面倒だ。艦隊分割に際して現場が混乱する恐れがある。それを補うために1隻足の速い巡洋艦の購入が必要であると?だがそれ以前の問題だぞ。内容を見たのか?」
だがそれは時に他者の理解の先を行く行為である。今回の記事は賠償金の使い道を論ずる以前の問題だ。裁判の結果に関して賠償金を得る道が遠のいたという記事だ。
これを説明するには1年ほど前に起きた事件について記述する必要がある。
1892年11月30日 日本国瀬戸内海を航行中の軍艦千島が英国商船に衝突され沈没した。この当時存在していた領事裁判権に基づき、日本の裁判ではなく横浜英国領事館で裁判が行われた…。
本来ここまでなら問題はない。問題だったのは裁判結果だ。横浜での裁判は日本側の勝訴に終わるが、納得いかぬが商船側。直ちに上告。上海の英国高等領事裁判所で第2審が行われた。結果は英国商船側の完全勝訴。しかも明らかなる誤審であった。
今回の新聞記事は第2審が日本の敗訴で終わった旨の新聞報道だった。
「理解しています。ですが、上告は可能。ここでひっくり返すことが可能です。最終的に勝っていた方が勝ちなのです。」
だが問題は勝ち方だ。上海では完全敗訴…英本国で行われる最終審で勝てるか否か。それはわからぬ。
「今回の裁判で敵はP&O(商船会社)社ではなく英国になりました。ならば英国を攻撃します。英国経済をたたきます。」
山本権兵衛
山本は2通の手紙を読んでいる。1通は数年前に会って以来個人的に文通している若者たち1通は若者の一人が入隊した海軍の上官からのものだ。
「経済戦争…か。」
内容を呼んだ山本はそうつぶやくとすぐに動く。行き先は元海軍大臣西郷従道と現海軍大臣仁礼景範…最終的には内閣総理大臣伊藤博文だ…
金子 堅太郎 太平洋航路客船上
「主敵は英国になった…だが戦う場は戦場でなく経済…」
金子は出発前に言われた内容を反芻する。
「ともかくやるしかない。」
裁判における公平性は経済にも影響を与えます。あまりにも理不尽な判決を出せばその国で商売をする企業にとって行動を考える要因になります。近年では隣国で発生したOINKと呼ばれる事例などは代表例です。特にクレーン船とタンカーが衝突した事例などは今回に類似する。
しかも今回事故を起こしたのは国家が航路独占を認めた勅許会社であるP&O社…英国はどうみられるかはご想像にお任せします。