少年期-5 海兵団入団
1892年 6月
「本当に行くのか…義二…」
「旦那様。申し訳ない。弟を死なせるわけにはいかないんです。」
「確かに明治6年(1873年)の徴兵法には兄弟が兵役中に召集されることがない旨、記載がある。だが今はその記載はないはず。君が読んだ本や先達の情報は古い。それでも行くのか。」
「松村、中牟田両閣下へはすでに根回し済みです。表立って検査は受けてもらう必要性はありますが、甲種合格者でも抽選から省いてくれるとのことです。」
「馬鹿者が…生きて帰ってくるんだぞ。」
数日後
「兄貴!!兵隊に行くって本当か!!」
義三が家の表で兄の義二に対して叫ぶ。兄の義二は17歳。兵役に就くのは通常20歳。史実ではぎりぎり日清戦争に参加しないで済む…。当の本人には言えない。だが、この時点で3年兵役に行くことは開戦時点で兵役期限満了寸前だ。一度民間に放出された招集兵よりも練度面を考慮に入れて戦場に送りやすい兵士である。
「義三。兵役は避けられない。作品を出す上で2人同時の兵役は避けねばならん。旦那様も同意見だ。それに…戦場で活躍すれば立身出世にもなる。」
義二は笑みを浮かべながら言うと義三の返答を待たずに歩みだす。
「バカ兄貴…あんただけ死なせてのうのうと生きられると思うのか…」
1892年 7月頭 呉海兵団
海軍の義務兵役期間3年 その前に4カ月半の訓練期間がある。だが、志願兵に関しては5年、5カ月半の期間だ。
この訓練期間は各海軍基地に存在する海兵団の中にある訓練機関で行われる。広島に一番近い海兵団は呉にある。
この呉海兵団敷地は戦後編成された海上自衛隊でも新兵教育に使用されている土地にある。
「田中義二。弟の師範学校入学の資金のために志願しました。書生先の主人が条件付きで学費を出してくださったので広島尋常中学出身です。親は捨てました。」
田中義二は最後の方には暗い表情になる。やはりコンプレックスである。家族構成に傷がある。これは海軍兵学校入学前に行われる身元調査に引っ掛かる条件である。高等教育を受けているのに兵学校受験を選べなかったことを意味するのだ。彼自身海軍兵学校という選択肢を考えたこともあるが海軍兵学校元校長から入試の現実を聞いた以上ムダ金は使えない。
だが、条件付きとはいえ書生で条件付きとはいえ学費を出してもらっていることを考えると異常だ。
そして書生先が本当に受け入れたかったのは弟の方だと周りは察する。
「なので学問は得意です。なお中学入学時点で英字新聞程度は読めましたので。兄弟で協力してフランス語とドイツ語(当時の中学は農学もしくは独仏語の選択式第2外国語教育がなされている。) ができます。」
だが、察した直後、爆弾発言が飛び出る。中学入学時点で英字新聞が読めるということだ。つまりは小学校から英語教育を受けていた。そんな書生はまずない。故に兄弟での独学で英語の読み書きをマスターしたようなものなのだ。
「義二といったか。学問では頼らせてもらうぞ。」
自己紹介を終えると調子のいい同期が声をかけてくる。
「任された。まあ、もやしで運動はあまりだからそっちは助けてくれ。」
義二は胸をたたく。
「もやし?」
「大豆を室内の暗闇で育てた野菜の一種だね。あまり家の外で遊んだことがない奴のことのたとえだね。」
「家の中にずっといるなんてお前女みたいなやつだな。色白だし。」
「もやしも白くなるよ。僕らの場合、勉強もあるし、条件の仕事もあるしね。」
「そういえば仕事ってなんだ?」
「一言でいうなら絵描きだね。『桜花』『元寇戦記』『三国志赤壁合戦』『義経記』…弟と僕の合作で、途中から引退した海軍軍人さんも協力してくれていたよ。」
その発言に回りが凍る。
「お前あれを書いていたのか!!」
それは驚きだった。全国的に販売された娯楽本の作者の一人が目の前にいるのだ。
「まあ、弟と合作なんだけどね。」
「てことは次が出ないということか?」
「量が出ないだけだよ。弟はまだ絵描きをしているし。僕ら以外にも書いてくれる人雇うって旦那様は言っていたし。何しろ弟も期間は別として兵役はあるんだ。新作の量は減る。完全に出せない時期が生まれるよりもマシってもんさ。」
事実上の身代わり兵役については銀河英雄伝説の2次小説 カーク・ターナーの憂鬱から発想して似たような制度がなかったか探した結果です。
2次小説中では主人公・ヤン・ビュコックなど自ら身代わり志願のような状態で軍人になっていますね。銀英伝2次作品ではヴァレンシュタインシリーズ級です。