日清戦争 -32 戦力評価
史実黄海海戦には日本艦隊に12隻が参戦していた。
史実における編成は
第1遊撃隊 坪井航三 少将
吉野(隊旗艦)、高千穂、秋津洲、浪速
本隊 連合艦隊司令長官兼任 伊東中将
松島(総旗艦)、千代田、厳島、橋立、扶桑、比叡
その他
西京丸、赤城
しかし、いくつか史実と違うところが日本艦隊に存在した。第1遊撃隊と本隊の編成である。
第1遊撃隊 坪井航三 少将
吉野(旗艦)、高千穂、秋津洲、浪速、和泉、千代田
本隊 連合艦隊司令長官兼任 伊東中将
松島(旗艦)、厳島、橋立、比叡、
金剛(史実第2遊撃隊旗艦)、扶桑
その他
西京丸、赤城
この世界では『和泉』、『金剛』が存在していた。『金剛』の代わりに本隊唯一の高速艦『千代田』が第1遊撃隊に所属、『和泉』とともに史実4隻だった第1遊撃隊を6隻に強化している。
『金剛』は『比叡』の同型艦だ。もともと、第2遊撃隊旗艦だった船である。この世界では代わりに第3遊撃隊から比較的足の速い『筑紫』を編入。第3遊撃隊には連合艦隊の内第1・2・3遊撃隊や本体にも所属していない艦から適切な艦を『筑紫』の代わりに編入している。
第2遊撃隊の編成は
筑紫 (史実は第3遊撃隊旗艦
この世界では第2遊撃隊旗艦)
高雄、大和、武蔵、葛城、天龍
『和泉』の取得に関しては史実とは違う経緯をたどる。その関係で史実、1894年11月25日に購入されたこの船は日清戦争の佳境である黄海海戦に間に合ったのだ。
この件では作中にすでに記載がある。千島艦事件が原因である。1892年11月30日愛媛県沖にてP&O社所有英国商船ラヴェンナ号と日本の新鋭水雷砲艦千島が衝突。千島が沈没した事件だ。
史実では領事裁判権の元、英国領事の1審日本勝訴、同じく上海英国領事2審日本敗訴(誤審)英本国での、3審中に和解。という結果だった。
だがこの世界では2審の誤審の結果を見た日本がすぐに動いた。世界に英国へのネガティブキャンペーンを打った。曰く「英国商船と衝突すれば英国裁判所が裁き、国際法無視、無条件で英国有利に判断される。英国海域に接近するべからず。」
これは長期的に英国に響く。貿易立国である英国にとって内外問わず、商船の入港は必要不可欠なものだった。それを避けよと言い回られたら経済に響く。
「坂本さんが生きていたらやりそうなことだな…」
幕末に死んだ坂本龍馬を知る人間がそうつぶやいたという。彼は紀州藩(和歌山)の明光丸と彼の経営する海援隊いろは丸が衝突、いろは丸が沈没。その賠償金請求過程で国際法を持ち出したり、民衆をあおったりした。それとよく似ている。ただしそれを天下の英国相手にやるとは面白い。
政府要人の彼を知るものは参加したという
英国政府はこの非難を辞めさせるために『和泉』を提供することになったのだ。
それを意見したのは『浪速』艦長の東郷…いや彼もその部下である水兵田中義二の意見具申を上に報告したものである。無論田中自身にも海軍上層部へのパイプはあったが、立場上、私信という形以上のことはできない。東郷経由となった。
『千代田』、『金剛』の配置換えに関しても奇数での戦隊編成は運用上の不便につながることから行われた処置である。
遊撃隊4隻・本隊6隻それ以上に完璧ともいえる遊撃隊6・本体6の編成。
史実では日露戦争に備えての軍用艦船整備計画を66艦隊と評すことになるが、この世界では日清戦争の連合艦隊を66艦隊と評することになる。
なお、清国艦隊は史実通りである。




