日清戦争 -20 情報操作
改変前より恨みにとらわれた状況を過剰表現に変えています。
巡洋艦 筑紫 仁川港 1894年7月27日
巡洋艦 筑紫 は日本で初めて帆走を廃止した巡洋艦である。もともとはチリが当時起きていた戦争に向けに合計3隻が建造されていたが、終戦。契約解除された。これによって宙に浮いていたこの艦のうち1隻を日本が購入したものである。
残り2隻は今回の戦争の相手である清国が購入している。性能的にはそれと同等である。それは発射速度の遅い巨砲を少数のみ搭載する艦であるということだ。これは当時の日本海軍の新鋭艦とは真逆…小口径速射砲の速射戦術とは相反するものであり、戦列を組ませる上では扱いにくい船であったのだろう。
なお、同様に巨砲を搭載した松島級は巨砲が役に立たないために巨砲を事実上、甲板上の置物とし、速射砲を積むことで戦列に加えられるようになっている。清国艦隊も同様に速射砲の搭載が検討されていたが、その整備費用も新造艦整備費用もその多くが西太后の予算流用の犠牲になった。ここ10年。彼らはほとんど新造艦の整備はなかった。
だが、日本艦隊としてはほかの船と行動を共にできないという特徴は独立行動を促進させることになる。その独立行動の一環として、僚艦から離れて負傷兵である田中一等卒、自決した古志大隊長の遺体、一時帰国予定の軍医 森鴎外 、襲撃した朝鮮人の生き残り を搭乗させた。
これは極めて異例のことである。これは大島旅団長のほぼ独断である。
このような早い動きにはもともと存在した仁川=漢城間の電信に日本軍の後方支援部隊増強にて派遣されていた通信部隊による電信敷設による通信速度の向上があった。そのため、最前線からの情報がいち早く大島旅団長のもとに届き、前日に発生していた豊島沖の詳細情報を本国に打電するため、仁川に入港していた艦隊に連絡を取る。(当時は艦艇に無電が搭載されていなかったために電信網に接続されている港湾に入港しないと通信ができない。)
それに際し艦隊はあまり戦力価値がなく、戦闘に参加していないことで損傷のない艦艇を回収に派遣した。それが旧式巡洋艦 筑紫 だった。
なお、森鴎外は他軍随伴の衛生兵部隊編成のために後方に帰還する。
「なんじゃと!?あの男を!!」
驚いたのは秋山と呼ばれた若い海軍士官だった。仕事を押し付けられたらしい。当の本人は秀才だが変人と評されていた。若すぎるが行動すぎる話に周りがついてゆけない男のおもりが役目だ。士官なのに。
「いろいろな意味であの男が生きていることはまずいのです。清国の非道を喧伝するのに利用させていただきます。そのための情報収集をこの艦上で行い。その尋問中に自ら死を選んだ。という結末です。」
田中が目の底に闇が見える表情をしながら話す。その目は人をとらえていない。幽鬼のような眼だ。
「死人に口なし。それならば情報は好き放題できる。清国から脅されて襲撃行為を行ったという情報を偽造。新聞に流すこと、それを列強が知ればこの戦争に際して申告を打ち倒さねばならぬ大義名分が一つ生まれるということになる。」
秋山はその発言に驚きをもつ。その発言は義三の耳に通じていない。
「高陞号以来の世論を気にする本国が、早急な帰還を求める理由がわかる…」
その幽鬼の目が森鴎外をとらえる。
「森先生…最終的に遺体は海中に投棄します。その場合、漂流して打ち上げられる可能性ががあります。死体が発見されたとき、死体に傷がないことを尋問の条件とします。」
森鴎外はそれにのまれ、口を開けない。確かに必要なことだが、あまりにも非人道な手だ。弔うこともなく、海に捨てるということだから。
「投棄…」
秋山はその事実を海の男として信じられぬものを見ている表情だ。
「痕跡が残らない拷問…一番いいものが近くにありますよ。」
田中が無事な手を壁につけて立ち上がり、扉を開けてその外を指さす。
「水攻め…か…」
秋山は海の男であるがゆえにそれを察した。
「海水攻めですね。傷口に海水を塗り込むことはもちろん、海水を飲ませ続ける、いざとなれば濃いめの海水を血管に刺しこみます。それなら痕跡は残りません。せいぜい泣きわめき、苦しんでもらいましょう…」
異常な目。それがこの時の田中の目から流れていた。
「塩攻め…むごいことを考えるな…」
森はつぶやくしかできなかった。




