日清戦争-13 幸運の塊
申し訳ない
新型コロナでまた死んでいた。
1894年7月26日 夕刻
「小僧!!よかった小池先生呼んでくるぞ!!」
九死に一生を得た田中。夕刻、空腹とともに目を覚ます。直後、痛さに叫びをあげる。それに気が付いた衛生兵の一人が叫ぶ
しばらくして衛生兵と複数の軍医がやってくる。
「二宮衛生卒ご苦労。」
小池先生と呼ばれた医者が声をかけている。
「はッ。」
返事をすると、衛生卒は違う仕事に向かう。
「容体はどうだね。」
小池が聞く。
「体が痛いです。腹が減りました。」
痛みをこらえた笑顔である。
「元気なようで安心したよ。君は幸運だ。状況、受傷部位の具合すべてにおいてだ。普通なら見捨てている。助からないからな。」
小池は笑う。
「そうですね。腹をやられたんです。下手したら糞が漏れてくるでしょうし、血管も多い。当たり所次第では血がなくなって死んじゃいますね。」
その言葉に周りの驚き顔が広がってゆく。
「頭がいいね君は。『血管に刺せ』というのは誰の意見かな?」
小池は真剣なまなざしを見せる。この情報、人命を救う可能性がある。それを考えてのことだ。
「刺された直後は刺し返した後の記憶がありません。そのようなこと私が申しましたか…」
ある意味言いにくそうにする。答え方次第では面倒なことになるからだ
「君はある意味自らの才が自らを助けた。自分の報告が自分の命を救った。『嫌日感情飢餓商売の結果酷し』の電文から後方支援部隊の増強が指示された。衛生部隊の増派もそれが原因だ。君の発案と聞いた。隊に食塩の備蓄があったのも大きい。生理食塩水の生成、投与が間に合った」
周りが無言に包まれる。どうやら余裕のある軍医が全員集合しているようだ。
「それに自らの身をもってそれを証明した。そして生還した。見事な事だ。」
外から声が聞こえる。
「やあ、森。来ていたのか?」
「負傷者が出たと聞いてな。まあ、必要なかったが、伝令からいろいろ話を聞いた。血管の話もな。私も聞きたい。」
周りの視線が田中に集中する
「個人的なたとえです。私は血管を鉄道のようなものと考えました。線路が破壊されたときに修復する行為は医者がけがをしたときにする処置のようなものであると。」
一部が首を縦に振る。理解したようだ。
「鉄道が壊れてしまったら街道がある代わりにある程度はできますが人体には代わりの道がない。ゆえに血は流れ出す。たとえ出血をふさいだとしても血は不足する…」
「損失した列車を補充するかの如く血を補充するという行為が輸液か…。」
考えるそぶりを見せる。
「正しくは貨車を馬にひかせる鉄道馬車に近いと思います。蒸気機関車より効率は段違いに悪いです。ですがないよりはましです。一番は他人の血を分けてもらう輸血でしょうが…まだ実用化されていないと聞きます。ですので無理でしょうから…」
生理食塩水は1831年ごろコレラ治療に使用されたのが始まりです。なお、輸血の研究が進むのは1900年ごろからで、この時点では血液型すら知られておらず、輸血は極めて危険な行為でした。でも輸液は血液型を気にする必要がありません。次善策としては十分でしょう。何しろタイムスリップ幕末医療小説 ー仁ー の描写の一つに存在ます。あの時代にできることがこの時代できないわけがないではないか!!




