日清戦争-12 危篤の運
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1894年7月26日 明け方
「しっかりしろ!!若造!!」
「気を保て田中!!」
野戦病院に担ぎ込まれる若い兵士。言葉を発する余裕すらない。顔色は青白く、血の気がない。
「田中輜重卒ではないか!!どうしたんだ!!」
負傷者が出ている旨は聞いていたが、その対象が知り合いだとは知らなかったようだ。
「朝鮮人人夫に刺されたんだ!!早くしないと死んじまうよ!!」
その発言は混乱に満ちている。その情報はすでに軍医部には伝わっている
「麻酔をする暇はない!!抑えろ!!」
田中の顔色、負傷部位を見て医者は覚悟を決める。
「手が足りない。ほかの負傷者の治療もある。貴様ら田中輜重卒を抑えろ!!」
周りの兵士が若者を慌てて押さえつける。一人の兵士はその情報を伝えに走る。
「1,2,3で引き抜く!!腕の治療後はそこを抑えてもいい。暴れられるよりはましだ!!」
医者は抑えつけた腕を処置しながら叫ぶ。
大きな負傷部位は腹。腕部にも切り傷が多数ある。だが、腹部に関してはそこには刃物が刺さっている。
「1,2,3!!」
軍医は腹部の刃物を引き抜く。田中は叫び声をあげる。
「運がいいな。小僧…臓器も血管も無事なようだ。叫べる元気もある。」
本当に危篤であれば叫ぶ余力すらない。そして腹部をやられた割には出血が少ない。
「しっかり押さえろ!!暴れて治療が遅れれば助からんぞ!!」
運はよかったようだが、油断はできない。早く傷をふさがないと血を失いすぎる。それは死を意味する。現代医療においても体重50㎏の人間では800mlで危険な状態になり、1200mlで生命の危機がある。この時代では800ml…彼の体重を考慮すれば500mlペットボトル2本はすでに危篤状態だ。
「助かりますよね!!」
兵士が叫ぶ
「わからん。戦闘時であれば見捨てている。」
戦場では助かる命を助けることを優先するし、手当てをして戦線復帰できる人間を優先する。腹部や頭部を受傷した場合、見ただけで見捨てられる可能性すらある。
これをトリアージという。戦場や災害現場などで行われる。状況次第だが、現在において軍事上では軍事的必要性でのトリアージが優先される。この概念を有名にしたのは…阪神淡路大震災…6000人以上が死んだあの災害だ。だがそれ以前、トリアージという概念は日本国内であまり有名ではなかった。
現代の軍事的なトリアージは戦闘中であれば手当てをすれば戦線復帰が可能な軽傷者が優先される。後送の必要な重傷者は生命維持、戦闘完了後後送。そして助かる見込みがない兵士や助けるのに大量の医療資源を必要とする患者は見捨てられる。
同じ負傷具合であれば教育期間と五体満足ではないといけない兵という条件から士官を優先する。
なお、当時の日本では人の命を差別するような非道はしたくはない上に赤十字国際条約における差別医療に当たりかねないとして「分類はするが優先順位はつけない」という対処をしていた。
しかし、野戦病院の制度自体がトリアージを前提としているので実質的にはトリアージは行われていたのであろう。
「そんなこと言わんで、一番の小僧じゃ助けてやってくれ!!」
兵士が懇願する。年配気味の兵士だ。
「わかっている。できるだけやってやる。野戦病院は開店休業状態だからな。」
この時点では彼以外の大きな負傷兵はいない。せいぜい熱射病で倒れた兵士だけだ。この数も史実より少ない。見捨てる必要がない。
「そういや倒れる前に血が足りなければ塩水を血管に刺せと小僧が言っとった。なんのことわからんが何かあるか⁉」
向かっていた医者の一人がそれを聞いて目を見開く。直後一瞬凍り付いたように思考する。すぐに驚いたように声を上げ
「それなら全身の血液不足を補えるかもしれん!!なんで気が付かなかったんだ!!輸液の準備だ!!注射器を用意するぞ!!急げ!!」




