日清戦争-08 内外の圧
日本 帝都 東京
陸奥宗光
「ロシアは兵力・兵站不足で本格介入はできないと思われます。シベリア鉄道が完成していない以上、欧州からの戦力移動は困難です。」
川村操六が陸軍の情報網から判断した事実を述べる。
「イギリスの敵国としての介入は事実上敗北を意味します。英国中國艦隊には新鋭戦艦センチュリオンの配備もあります。この戦艦は火力こそ低いものの運用のしやすさの面では強力で、日本艦隊の全力を割かねらない。定遠級2隻でも苦戦必至にもかかわらずセンチュリオンの相手などできません。仮に清英の計3隻を無傷で撃破できたとしても、英本国艦隊の来援もありうる…本国艦隊は世界最強…長期の外洋航行可能な戦艦だけで7隻。これに相対できる日本の戦艦は1隻もいません。」
山本権兵衛が当時世界最強の海軍力を有する英国海軍の情報を話す。彼は10歳で薩英戦争に参加した影響で英国を確実に知ろうとしていた。ゆえに情報収集に怠りはない。
「他に動く国はあるか?」
「アメリカ・フランスともに介入能力は低い。米艦隊は介入できる強力な艦艇はいない。フランス海軍は建艦計画に不備を生じさせて英国本国艦隊からフランス本国を守るので手一杯だ。」
「問題はイギリス…か。」
漢城
本国から第9混成旅団が到着し始めると、海軍臨時陸戦隊とともに伊地知少佐は帰国した。先遣隊は解散。従来の配備になる。田中義三は数字、語学に強かった。ゆえに物資の輸送や現地調達を管轄する輜重兵に配属された。兵役に早期志願して1年に満たない彼は正面戦闘に投じられるだけの練兵はなされていない。と表向きされていた。しかし、清国との戦争、1兵たりとも余剰を出せない。ゆえにこの判断である。
当時の輜重兵は太平洋戦争当時の兵站無視の悪癖はすくない。学力に差の大きかった当時としては数少ない高学歴者が配属されやすい部署である。
そこにある軍人が来る。
「田中義三 一等卒 ついてきたまえ。」
中佐の階級章をつけた軍人が田中を呼ぶ。
「確か君は絵描きだったな。英国大使が会いたがっている。」
移動中に中佐は語る。どうやら面倒ごとのようだ。
「養父に表向き、私の作品の販売促進のために外国語翻訳版を各国大使館に送っていただきました。どうやら布石にはなったようですね。」
だが、その面倒ごとはどうやら彼の手の中で転がされたことの模様だ。
「呼ばれることをわかっていたのか?」
中佐が驚くように聞く。
「呼ばれる可能性を作り出しただけのことです。伊地知少佐経由で興味を持っていただけるよう情報を流していただきました。彼らも迷っているようですね…。日本と清どちらがロシアの盾となるか…およそ10年後の戦争のために…」
そのあとの言葉に中佐は戦慄を覚える。
「中佐殿なら意味は分かるかと存じ上げます。シベリア単独横断の英雄…福島安正中佐殿。」
漢城 英国大使館
「君のような若者がこの作品の作者だったのか?」
英国大使はけげんな顔をする。若すぎるのだ。そして相当儲けているのに兵役に早期志願する理由がわからない。
「正確には私と実の兄の共作です。華族…日本の貴族の方々からの資料提供などのご協力がございました。」
特に対馬守護の家系、宗家現当主宗 義達伯爵からの情報提供は大きかった。なお彼らもこの作品を有名にすることで爵位の昇爵運動に利用していたのは面白いことである。
「相当儲けているようだな?学もあろう。どうして早期志願してまで兵士になった?」
英国大使は彼だけの力で書いたものではないことを理解した。当然だ。協力者なしでは作れない。
だがそれは同時に協力者への利益供与が必要だ。次の儲かる作品の出版による利益の分け前…それが必要だ。
「…兵役からは逃れられません…かつて日本の兵役制度には兄弟が兵役中には徴兵されないという原則がありました…。それを利用しようと兄は海軍に志願してしまったのです。この戦争前夜の時代に…兄を犠牲にして…のうのうと生きる…私にはそんな生き方はできません。」
その発言に英国大使は驚く。彼らが戦争前夜の時代を読み切っていたこと、その中あえて危険に飛び込む行為にも驚く。だから聞こうと思った。
「この戦争…どう思う?」
「日本にとって明白な歴史的事実は朝鮮半島を経由しての侵略行為が警戒対象であること。それ以外は兵站が持ちません。日本を守るためには防衛地点を前進させることで国内を守る必要がある。という意味のある戦争です。日本はすでに戦争に突き進んでいます。これは止めようがない。止められる人間はすでに日本政府内にはいない。そして清国も止める理由はない。10年前の戦争で清は事実上日本に勝利した。ゆえに今回も勝利を求める。その証拠に清国は増兵を続けている。」
この戦争は事実上両国が求めた戦争だ…ゆえに止めること能わず。
「英国はこの戦争を利益に変える手段を模索すべきでしょう…10年後極東にロシアが来ます。その盾になる者たちの力量を測る。戦えば戦訓が生まれる。10年あれば今回を戦訓にロシアとの戦争準備をすることができます。」
1894年 6月12日 陸奥宗光
「強く出るしかない。」
目の前の伊藤博文はつぶやく。
「現在、内閣はかなり危うい。下手に朝鮮から手を引けば内乱になりかねない…鎮圧はできるだろうが、日本の近代化すら倒れかねん。倒れれば列強が侵略してくる…。倒れなくとも10年後には朝鮮半島はロシアの占領下。日本は…いや日本人は列強の奴隷になる。」
当時、政権の危機的状況ではあった。それを打破する。そのために戦争に打って出るという1面はあった。それと同じ、それ以上に列強の植民地になる恐怖があった。政府、議会、国民すべてにである。
「伊藤さん…日本を守るためには朝鮮の近代化が必須です。日本の影響下において共同戦線を組むにしても兵站が持ちません。朝鮮の単独守らせるにも抵抗できる国力がない。朝鮮を近代化せねばどちらにしても朝鮮半島は敵国の植民地になる…
日清両国による朝鮮の近代化…を提案する。どうせ…清は傲慢。朝鮮の独立、近代化など認めん。そしてそれを実行する能力もない。何せ自分たちは近代化できていないのだから。そして10年前の勝利を未だ思う。弱小日本を馬鹿にして…断る。断れば日本国単独への近代化への大義名分が付く。」
陸奥は元来、皮肉屋、口の悪さで有名である。能力はあるがそういった面が嫌われた。
「そうなれば清は怒る。10年前のように戦を仕掛けてくる。それを口実に開戦。勝利すれば…諸外国も認め清も近代化に目覚めるかはわからんが少なくとも朝鮮を影響下に収め近代化はできる。大国清に勝てば列強は日本を一目置く。」
以上のことは15日天皇へ奏上。明治天皇の猜疑の中承認。清国へ提案がなされた。
以降の動き史実とこの世界での違いを記述する。
史実、駐留した武力を背景とした改革の強制という側面の大きなこの提案はどの国も了承しなかった。朝鮮・清・英・ロ、いずれもである。
史実、日本はロシアの圧力を無視した。むろん清は拒絶、増兵の動きを見せる。英国は撤兵と言外にロシアへの盾役を日本がする事を条件として事実上容認〈日清の開戦させず、不平等条約の改正による国際的地位の向上を約束。これは清国に不平等条約を押し付けている現実を考えれば日本を清よりも上とみなす動き。ただしこれを日本は理解しておらず開戦〉の動きに出る。
この世界では英国の動きだけは違った。ロシアへの盾役を日本がする事のみを条件とした。朝鮮の内乱は終わっていない英国はそうみなした…史実と違い、日清の衝突不可避と判断した。むしろバレない様に煽る動きを見せる。史実では不平等条約の改正による国際的地位の向上で日本をなだめようとした動きはこの世界ではむしろ、英国が日本の対清開戦を容認した動きにとられることになる。




