表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/47

日清戦争-01 出兵の時

 5月末 朝鮮反乱発生からおよそ3か月。収まる気配なし。日本は朝鮮改革派の情報網を持つが、彼らは軍人ではない。純軍事的な判断は信用が置けなかった。ゆえに軍人を密偵として派遣した。伊地知 幸介砲兵少佐は30日に帰還。報告は「朝鮮政府に鎮圧能力なし。清国政府軍の派遣がありうる」だった。

 さらに朝鮮漢城の大使館からも清国軍が朝鮮政府の要請にて出兵されるとの情報をつかむと同時に日本も出兵を決める。その戦力は1個旅団。しかし、編成を戦時編成とした。これにより兵力は2千から7000ほどに増大した。しかし、戦時編成にするために平時においては兵士ではない予備役兵を呼集。いわゆる動員を行っている。そのために数日ではあるが、派遣が遅れている。

 そのために、あまり知られていないが、朝鮮出兵の初動は大使館の警護を名目とした海軍陸戦隊や警官隊が主力となったおよそ430名が最先鋒であった。

「絵描き!!戦場送りたあ災難じゃん。」

 しかし、この物語の時系列では若干違う。20名ほどの陸軍兵士と30名の海兵が追加、最先鋒は480名となった。全員が第5師団で、全員が兵役中の訓練兵であった。

「災難じゃの…まだ兵役から4か月…と聞く。死ぬなよ。」

 その20名に田中義三が含まれていた。

「仕方ないよ…輜重兵が足りないんだ…」

 この1個旅団は現地の兵站状況を加味して輜重兵を厚くした。だが、輜重兵に使える学のある兵士など少ない上にいたとしても市中にいる。召集まで待てない。

 そこで若年すぎるが田中義三は戦地に送られることになる。これには優秀さが士官にも伝わっており、彼の発言も取り入れられた結果である。特に「兵役中の兵士を引き抜き戦地に送る」という発言で、墓穴を掘ってる。発言者は発言者らしく戦場に行けということだ。 

「上陸だ。」

 彼らを乗せた軍艦は仁川港に入港した。6月10日午前2時のことだった。


 同日7時不休の行軍をしていた海軍陸戦隊は漢城に到着。現地は平和だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ