悪役令嬢のおともだち
「ヴィヴィアナ•リースデン! この場をもって、貴殿と私の婚約は解消することとなる!」
朗々と響き渡る、第一王子殿下の宣言に、思わずといった風に一瞬宮廷音楽士の織る音色が止まった。
今日は王族もお越しになるパーティーとはいえ、所詮は学院の卒業記念パーティーだから、ドレスコードも求められる参加者の品位も、そこそこといったところだ。
澄まして着飾る人もいれば、格好はそれなりだが料理や歓談に夢中になる人もいるーーそんなパーティー。
それでも、この国の第一王子であるブライアン殿下が声を張り上げれば、衆目は当然集まるというわけで。
「……理由を伺っても、よろしいでしょうか」
毅然と顔をあげ、淑女たる佇まいを崩さないヴィヴィアナ•リースデン侯爵令嬢に、たくさんの視線が突き刺さる。
光を受けて流れる銀糸の髪、深い泉を思わせる紺青の瞳。意地悪な人によれば、雪の女王とか冬の魔女などと言われるらしいが、結局のところ、嫉妬の産物ではないのかと思われるほどの人間離れした美しさだ。
「白々しい! 貴殿は私の婚約者たる立場を思うがまま利用し、学院で権威をふるい、弱きものを虐げつづけてきた。その最たる例がこのアナベル•ラグナード嬢だ!」
ブライアン王子殿下に肩を抱かれる格好で紹介されたのは、学院の下級生ーーヴィヴィアナ•リースデン侯爵令嬢やブライアン王子殿下の一学年下の女生徒だった。
ややくせのある金色の髪に新緑の瞳の色の、かわいらしい女生徒は、こぼれそうなほど大きな瞳を潤ませて静かに震えている。きつく締めたコルセットが、華奢な腰と豊満な胸元をこれでもかと演出している。
「ラグナード嬢の一挙手一投足を監視し、意見し、行動を制限し! 所有物を破壊し、追い詰めた! これが貴族たる者のすることか!」
正確に言えば、婚約者がいようがいまいが異性に手当たり次第声をかけて粉をかけて、ぽろり必至の露出多めで迫っていくのを止めたり、人を魅了して操る呪具といわれる魔道具を壊したりーーまあ、それらの雑ごとが貴族のすることかと言われれば違うかもしれないけれど。
やっていないかと言われれば、どれもやった。かといって、そんな風にとらえられるなんて心外だとしか言いようもなく。
案の定、ヴィヴィアナは失望を含む色を浮かべたまま、
「それが、王子殿下の見解ということですか」
とだけ答える。
「はっ。往生際が悪い。つくづく愛想がつきるとはこのことだな! 長く婚約を結んだせめてもの温情として、これは王家側からの破棄だ! 婚約破棄の賠償金を持ち帰れば、有用な草さえ生えない貴殿の田舎の一助になろう」
ブライアン王子殿下からは見えないだろう背後で、ひそりと数人が言葉を交わしているのが見える。
あっちでもひそり、こっちでもこそり。
大きな声で言ってもいいと思うけれど、あえて要約するなら、これだろう。
「僭越ながら我が領地は国防の要たるリースデン。賠償金に頼るほどの弱小な領地ではございません」
ヴィヴィアナは、生まれた順も性別も関係ないというご両親の教育方針のもと、十歳で学院に入るまで、領地経営を学ぶ傍ら、裸馬に跨って領地を駆け巡っていたのだ。領地も領民も彼女の宝であり誉。それを大したことないもののように言われて黙っていられなかったのだろう。
「黙れ! たかだか国境に接する領地をおさめるというだけで、驕るにもほどがある」
とうとう、遠くの方でプッと吹き出す音がした。
これが王宮のパーティーだったらきっと我慢したはずだ。だがこれは学院の卒業記念パーティーで、平民出もたくさんいて、格式もそこそこ、王子殿下の人気もまあそこそこでーーとくれば。
「え、王子様ってリースデン侯をただの国境近くをおさめる田舎貴族だと思ってるわけ? まさか?」
王子様、じゃなくて王子殿下って呼ぼうよ、と反対側から騎士見習いの男の子に注意されているのは織物問屋の後継娘だ。
「え、えー? 殿下とかどうこういう前に、やばない? 国防って意味知ってるのかな?! 王家がリースデンの嫁もらう意味もわかんないってありっ……もが! ぐ!」
織物問屋の後継娘は普段から裏表のない気持ちの良い人柄だが、口が過ぎるところがある。青ざめた友人たちに果物を詰め込まれて黙らされていた。
幸いにも、舞台上の人たちに、織物問屋の後継娘の声は届かなかったようで、流れは止まることなく進んでいく。
「ラグナード嬢が心優しい女性で救われたな。本来ならば全ての悪行をリースデン侯にも知らしめてやるところだが、それは望まないと言うのだ」
そりゃあ、そうでしょう。リースデン侯爵は武のリースデンと言われることが多いが、たいそう頭もキレる。大事な娘がこんな扱いをされて、そうですかと引き下がるわけもない。娘の無実を証明するために、とことんやるだろう。
ラグナード嬢もそのへんには頭が回ったようだが、少し足りない。いや、だいぶか。
「……ご温情に、感謝いたします。ありがとうございました」
あとは沙汰を待つように、と言われたヴィヴィアナは腰を落として淑女の礼をし、そのまま会場を出て行く。心中穏やかではないだろうに、おくびにも出さず、その美しい歩き姿を乱すことはない。
ひそひそだった声は、すでにざわざわと大きくなり、一つずつを拾うことが難しい騒々しさへと変わっていく。
「皆の記念パーティーを騒がせてしまった。だが、皆に私の想いの有り様を知ってもらう良い機会になったことは、大きな喜びだ」
朗々と語りながら、ブライアン王子殿下は傍のラグナード嬢に熱い視線をそそぐ。ラグナード嬢も喜びにふるえながら、王子殿下を見つめて擦り寄っている。
まあ、そうか。さすがにこの場でラグナード嬢と新たに婚約を結ぶ! なんて宣言はできないか。この婚約破棄のことだって、御璽のある書類を出さなかったあたり、根回しは済んでいないのだろう。どうせなら、そこまでやりきってほしかったが、及第点というところか。
「私もそろそろ帰ろうかな。あとは頼むわよ」
静かな応えが背後から返るのを確認して、私も帰路へついた。
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一般的な貴族令嬢としては随分と早い時間ではあるが、予定通りの訪問だったので準備はもちろん終わっている。
ちょうど季節の花が見頃の東の庭にすえられたテーブルには、淹れたての熱い紅茶と茶菓子。ゆったりと寛げるよう、膝掛けやクッションも用意されている。
お友達と少し込み合った話がしたいから、と告げただけだが、我が家の働き手たちは優秀だ。来月の休日は少し多めに褒賞を出してあげるようお父様に進言しよう。
「それで、ヴィヴィアナ? 昨夜はよく眠れた?」
答えを聞くまでもなく、白磁の頬は薄く桃色に染まり、美しい瞳も髪も朝日に輝いている。たっぷり寝たのだろう。
「ええ! もうぐっすり。本当にティアナの言う通りになったわ」
「ふふ。私も、ここまでとは想像しなかったわよ」
相手に気づかれる危うさはいつもあった。ラグナード嬢のまわりはともかく、ブライアン王子殿下のまわりには常に人目があった。こちらの動きに気づかれてしまえば、国家に楯突く賊扱いされても仕方がない案件だ。慎重に常に気を張っていた日々に胸が熱くなる。
「昨夜のことはどのくらい広がったのかしら?」
「そうねえ。もう伯爵以上の貴族家には、大体知られているはずよ。ブライアン王子殿下もとうに叩き起こされているでしょうね」
ブライアン王子殿下は王妃陛下の第一子であり、立太子はまだだったものの、玉座に一番近いと言われていた王族だ。
本人はまだ年若く、先見の明に乏しく、人望に厚くないーー悪口しか出てこないなーーところをヴィヴィアナを妻に据えることでどうにかしようというのが第一王子派の思惑。
「まあでも、ヴィヴィアナが背負うものの大きさを考えたら、負債もいいところよね」
「負債って……」
ほっそりした指で砂糖菓子をつまみあげていたヴィヴィアナが口元を綻ばせる。笑うのを堪えたのだろう。
「国政に加えて、好きでもない夫の面倒見なきゃいけないんでしょ。負債以外の表現が私には思いつかないわ」
「ティアナったら」
とうとう声を上げて笑い出したヴィヴィアナは本当にかわいい。
今回のことだって、私が無理に押し進めなかったら、ヴィヴィアナは最悪お飾りの正妃にされていただろう。リースデン侯とて、娘がのんだ清濁を思えば横槍を入れにくかろう。
優しく、清く、強いヴィヴィアナ。でもその中身は十八になったばかりのまだか弱い娘だ。
守り切ることができて、本当に良かった。
「これで心置きなく、好きな殿方に嫁げるわよねえ」
「!?」
がちゃり、と銀の匙がソーサーの上に音を立てて落ちる。ヴィヴィアナらしからぬ粗相だが、詫びることも忘れてヴィヴィアナは真っ赤だ。
「な、なんの……!」
「ねえ、ヴィヴィアナ? 私があの茶番を最後まで見守った意味、あなたならわかるわよね?」
ヴィヴィアナの未来を憂いて王子殿下との婚約を解消させるだけなら、もっと穏便なやり方があった。
「あのように派手に立ち回られて、ブライアン王子殿下の器はいかほどのものか……。まさか学院の卒業記念パーティー程度のところへ、名だたる名家が諜報員を入れていることに気づかないなど、どれほど……」
最後濁したのは、どうやっても暗愚とか愚鈍とか悪口しか出てこなかったからだ。
個人的には徹底的に貶めてもいいくらいの相手だと思うが、ヴィヴィアナがそういうことを好まないのを知っている。せっかくの友との優雅なひと時を、不快なものにしたくない。
「気づいておられての、あの立ち回りだったということはないのかしら?」
まだほんのり赤い頬をさすりながら、ヴィヴィアナは首を傾げる。
「そうだとしても、ね。国王陛下の決めた婚約を覆そうというのに、一般市民に嫌がらせしたから、という理由だけで、公文書も何も出さないのは悪手ね」
たとえ、ヴィヴィアナが世に言う悪役令嬢だったとして。大勢の前で辱めるような行為は、為政者として失格だ。
少なくとも、きちんとした証拠を集め、書類を整え、家を通じて申し伝えるべきことなのだから。
「王宮にはしばらく近づかない方がいいでしょうね。第一王子派が勢力を失って……順当にいけば王弟殿下が立太子される運びになるわね。そうすればこの国も安泰だわ」
ぴくり、とヴィヴィアナの肩が動く。
本当に、かわいい、私の大切なともだち。
「飛ぶ鳥を落とす勢いの、リースデン侯の愛娘。王族の妻になるべくして教育を受け続けてきた淑女の鑑。……王太子妃に、いつでもなれるわよね」
「ティアナ!」
まっすぐで、心の清いヴィヴィアナは、婚約者がいる立場で他の異性に靡くことなど自分に許さなかった。王弟殿下とヴィヴィアナと居合わせたことも何度かあるが、二人とも顔見知りという体を崩さなかった。
私が気づいたのは、たまたまだろう。
「ジェームズ王弟殿下は、継承争いを厭って王都を離れておられて、避暑地であなたと出会ったのだったかしら?」
「どうしてそれを……!」
「あなたが大事に持ち歩いているそのハンカチ……ちらりとしか意匠が見えなかったのだけれど、あなたのものではないものね」
避暑に行ったヴィヴィアナの様子が気になる、あのハンカチの意匠は何かしら? そうつぶやけばあとはうちの働き手におまかせあれだ。
「互いが何者であるか知らない時に出会い……。再び会った時には思いを通わせてはいけない人だと知るなんて。巷で人気の物語のようよね」
王弟殿下はあのような人柄だから、ヴィヴィアナが甥の婚約者と知ってからは、一線を引いた態度を崩さない。だが、私たちの調査結果から、王弟殿下の心がどこにあるかは明白だった。
あとはいかに表舞台へお出ましいただくか、だ。
『どう見ても! 両片思い! あんなにエスコートのお上手な王弟殿下が、一瞬手と足が同時に出ておられましたよ!』
私の学院での友でもあり、我が家の諜報員でもあるエミリアが拳を握ってキャアキャア叫んでいたのを懐かしく思い出す。
「だって……そんな……私は! 婚約を解消したかったら言うことを聞いてとティアナが言うから! 悪役令嬢だなんて不名誉なことを言われても、頑張って……」
「ええ。そうよ。ヴィヴィアナのために婚約は解消したい。けれど円満に婚約解消しただけなら、ブライアン王子殿下の立太子は避けられない可能性があった」
なるべく派手に、ヴィヴィアナを傷つける形で、己の愚かさを皆に見せてほしい。
憔悴したヴィヴィアナがまた別の権力者へ嫁がされるのを、ジェームズ王弟殿下は黙って見ていられないだろう。
大人の余裕で気持ちを押し殺すつもりかもしれないが、こちらとて負けはしない。
「きっとすべてうまくいくわ。だからヴィヴィアナはなるべくお屋敷で大人しくしていてちょうだいね? 誰かと顔を合わせる必要があるときは、少し暗い色味をこのあたりにのせて」
目のまわりを示しながら微笑んで見せると、ヴィヴィアナは困ったように目尻を下げ、ふと息を吐く。
「ティアナがそう言うなら……きっとうまくいくのでしょうね」
「ええ、もちろん。私は役ではないから」
え? と首を傾げるヴィヴィアナには微笑みだけ返して。
これからのことを考えると、忙しい。表舞台から降りてもらう役者の方々には静かにしていてもらう……よりも醜態を晒して、万一にも戻ってこられない方がいいか。
思わず笑いを漏らすと、離れたところに控えていたエミリアが一礼して立ち去った。
「本当に、よくできた働き手に囲まれて、しあわせだわ」
書けて楽しかった。