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あやしいひと達のテッペン横丁  作者: 唄うたい
5/5

特別なおまかせ定食

 

 翌週の金曜日。


 この一週間、月曜午前を除いて一度も出社していない。


 私は月曜の朝イチに営業部長に退職届を渡し、引き継ぎ資料を同課の先輩方に預け、午前中に家に帰った。

 引き継ぎ資料は貴重な土日を使って纏め上げた甲斐あり、今のところ先輩方から問い合わせは届いていない。


 体調不良時以外一度も使わなかった有休を一気に消化している今の期間は、ちょっと早めの夏休みを取っている気分だ。


「はぁ………。」


 大きく息を吸い、大きな溜め息を吐く。

 入社以来初めてまともな深呼吸ができた気がした。



 歩き慣れた繁華街は、平日の昼と夜では全く様子が変わる。

 ランチを求めるサラリーマンで賑わう道をなんとかすり抜け、私は必死に路地裏に目を向ける。


「……。」


 金曜日の夜ではなく昼にこの繁華街に来たのは、本当に何となく。

 僅か2ヶ月間の常連だったテッペン横丁の昼の顔というものを見てみたかった。


「…やっぱり、無いか。」


 昼間の明るい陽の下では、提灯の灯りは目立たない。いくら目を凝らしても、赤提灯は見つからなかった。


 夜の世界。あやしいひと達の世界であるあのテッペン横丁は、きっと昼間は存在できない。

 覚悟はしていたつもりだけど…事実を突き付けられるとやっぱりショックが大きかった。


「……。」


 心がめげそうになっても、冬至さんの言葉を思い出せばなんとか踏ん張ることができる。


 冬至さんはやっぱり凄い。

 顔が見えなくても、私の心をこんなにも癒してくれる。


 …例えもう会えないとしても、夜に迷い込んでいた私が“昼の住人”に戻れたことを、きっと喜んでくれるはずだ。


「…ありがとう、冬至さん…。」


 先日の件で涙腺が緩くなってしまったみたい。

 周りに人がいない路地裏で、私は静かに涙を流した。



 ***



「あ。いらっしゃい、月見さん。」



 完全に予想外の展開に、私の涙も引っ込んでしまう。



 うろ覚えの記憶を頼りに、テッペン横丁があったであろう辺りをウロウロしていた時、見覚えの無い看板を見つけたのだ。


 電柱の陰にぽつんと立つ、黒い看板。

 12時からランチ営業をしてるみたいで、メニューは手書きの「おまかせ定食」のみ。750円とはなんともリーズナブルだ。


 看板の案内に従い、道を進み、どこか懐かしさのある渋い定食屋さんに入った私を待っていたひとこそ、


「……と、冬至さんなんでいるの…!?

 あ、あ、あやしいひと達って、夜の住人じゃなかったんですか…!?」


 そう。冬至さんだった。


 濃紺の前掛けも、頭に巻いた手拭いも、吊り目をちょっと緩めている顔も、見慣れた彼の姿そのもの。


 夜の電球色の灯りに佇む姿も素敵だけど、窓から差し込む昼の柔らかな光に照らされる冬至さんも溜め息が出るくらい素敵…。


「月見さんが夢から覚めるなら、俺もそうしようと思ってさ。

 昼12時も言わばテッペンだからな。」


「そ、そういうのもアリなんですか…?」


 あやしいひとの事情はよく分からないけど、冬至さんが今ここにこうしてお店を出してくれていることが全てなのだろう。



「それで、どう?

 居場所は見つかりそうか?」


 促されるままいつものカウンター席に座ると、優しい声に訊ねられた。


「…それが、会社を辞める決意はしたんですけど、次に何をしたいかはまだ見つかってなくて…。」


 新卒の頃からの怒涛の忙しさから解放された私は、突然緩やかになった時間の流れに戸惑っていた。

 いくらでも休める。何でもできる。あまりに自由な選択肢の海で、私は早くも遭難気味だ。


「人と接するのは楽しい。だから、営業職はやっぱり向いていたんです。

 …ただそれを活かす仕事って、すぐには思いつかなくて。でも、」


 具体的な目標はまだ無い。

 でも、確かな理想像はある。


「私も冬至さんみたいに、迷ってる人に寄り添える人になりたい。

 それが今の夢です。」


 彼がいなかったら、今の私はいないから。


「冬至さん。

 私を見つけてくれて、ありがとうございます。」



「俺は何もしてないよ。全部月見さんの力だ。

 俺は君の胃袋を支えただけ。」


 冬至さんはおもむろに、大きなお盆を取り出した。


 美味しそうな香りにつられて中身を覗いて、私は小さく声を上げる。

 そこに乗っていたのは、白ご飯ときのこ汁、メインはモツ煮、それにふろふき大根とゴマサバの小鉢だ。


「わぁ…っ!これ!」


「覚えてる?

 月見さんがウチで初めて食べた料理。」


「忘れるわけないです!!

 すっごく美味しかったんですから!」


 表の看板の「おまかせ定食」は、冬至さん力作の絶品居酒屋メニューのセットだったのだ。


「いただきます!」


「はいよ、召し上がれ。」


 ほかほかの白米と、きのこの旨味が溶けたお味噌汁がお腹を優しく包み込む。

 モツ煮も、大根も、そしてゴマサバも、あの夜私が感動した味そのものだった。



「美味しかったぁ…!ご馳走様でした!」


 定食をいただき、お財布からお金を出そうとして、私はまたもアッと声を上げた。


 千円札しか入ってない。あとは小銭がいくつか。今回のお支払いは問題ないけど、でも、


「どうかした?」


「……あ、う、その……。」


 正直に話すのは少し恥ずかしいけど、冬至さんならきっと、呆れたり馬鹿にしたりしない。


「…次の仕事がまだ決まってないので、節制しなきゃと思って…。

 今までのお給料は、家賃と会社の飲み代でほとんど使っちゃって、貯金もあんまり無いんです…。」


 社会人2年目なんてお給料が安くて当たり前。まして一人暮らしだ。仕方ないと思いながらも、我ながらなんて情けないんだろう…。


 ーーーでも、冬至さんの初のランチ定食代が支払えるだけ名誉なことだ。


「そうか。」


 私の差し出した千円札を受け取る冬至さんは、少し何かを考える素振りを見せる。



「じゃあ、大江山(ウチ)の二階住む?

 具体的な夢が見つかるまでは、ウチでアルバイトしてくれれば給料出せるし。」



 あまりの衝撃発言に、私はお財布をその場に手落とした。

 開いた小銭入れの中から、小銭が勢いよく四方八方に飛び散る音がした気がするけど、そんなことは今は問題じゃない。


「…いっ!?いいんですか!?」


 冗談ですか、とは言わなかった。

 冬至さんは冗談でそんなことを言うひとじゃないと分かっていたから。


 冬至さんはそんな私の反応が予想外だったのか、初対面の時と同じ、クスクスと可笑しそうな笑顔を見せてくれる。

 彼はあまりに笑い過ぎて、手拭いを外して目元を拭うに至ってしまった。


 南部鉄器色の角を露わにして、ちょっと潤んだ目をこちらに向けて、冬至さんは言う。


「いいよ。

 その代わりお願い聞いてくれる?


 美郷(みさと)さんがこれからみる夢、一番近くで見せてほしい。俺に。」



「……は、うぁ……。」


 そう甘く微笑まれてしまっては、私の中で期待とか感激とか、様々な幸せな感情が混沌と化していく。


 この目には見覚えがあるんだ。

 だって先週も、冬至さんは同じ目で、私の唇に……、


「そ、それ、どういう意味で……。

 っていうか、また私の、名前…。」



「そうだ、退職祝いにご馳走様してやるよ。

 昼飲み一発目は何にする?月見さん。」


 私の問いに答えることなく、冬至さんは手拭いを、再度頭に巻き付けてしまった。

 そして調理台に向かい、いつもの優しい吊り目を私に向けてくれる。



 夜が明けて太陽の光が降り注ぐ店内は、私の知っている大江山とはまた違った雰囲気を醸し出していた。

 でも、これは酔い夢なんかじゃない。


 一度躓いた私が、これから本当の夢を見つけるための、新しい目覚めなのだと思う。



「とりあえず(なま)!ください!」



 〈了〉

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